第5話 砂漠の都
砂漠の都や周辺の地下には、豊かな水脈がある。ちょっと掘れば、清く冷たい水が湧く。だから、砂漠の都は栄えている。
森の国や湖の国との国境から、都は遥か西にある。灌漑設備の整った農地、鉱物、燃える水や石を産出する掘削地帯など、人の住む地域は他の国々から隔絶し、戦で攻められる心配はなかった。人々が身を守る必要があるのは、砂漠狼と砂嵐。
都のさらに西、砂の大地の彼方に、竜の住むオアシスと神殿がある。様々な国から来た若い僧侶たちは、砂漠の都を通過し、修行のためそこを目指す。森や湖だけではなく、その向こうの氷の国からやってくる修行僧もいる。だが、そこに向かい、生きて帰った者は居ない。そのオアシスで修行の一生を過ごしたのか、たどり着く事ができなかったのか、誰も知らない。
かつて、都はもっと華やかだった。この十六年で、急速に衰えた。
衰退は、王子の失踪が発端だった。
王子失踪前日の朝、王の卵を抱えた卵守は、育児嚢の口を開けた。すぐに卵にひびが入り、王室の者達は固唾を飲んで見守った。
砂漠の王は、代々男性が継ぐ。現王には王女は大勢いたが、まだ王子は授かっていなかった。夕方、やっと卵から這い出して来た子供は、男の子だった。王はまたとなく喜び、国中がその知らせに沸いた。酒が振る舞われ、花火が上がった。
ところが、夜が明けると、王子は行方不明。国を上げての大騒ぎになった。
喜びの後の悲劇は、一層悲惨だ。王も妃も悲しみに暮れ、民も一緒に悲しんだ。今も、王子の行方は分かっていない。
今年は、久しぶりに王の卵が孵化した。だが、今度も王女だった。後継者問題で、役人たちはもめている。王は捜索や占いに財も力も注ぎ、治世はおろそかになった。
王子の情報を王に報告すれば、その真偽に関わらず、いくばくかの金がもらえる。王子の身の回りの品らしき物を持っていけば、その金は倍になる。候補者の男の子を連れていけば、一週間働かなくてすむ金が手に入る。大切な民の税が、際限も無く使われた。灌漑設備や道の補修は後回しにされ、農作物のできも悪くなり、運搬にも苦労するようになった。税は年々重くなり、人々の生活を圧迫した。時がたつほど、王の焦りは強くなり、支払われる額も増えていく。
一月後に予定されている、湖の国の王子の換羽の儀を思うと、王の焦りは最高潮となった。自分の国に王子が居ないのに、他国の王子の換羽を祝うなど。王の悩みは深い。
今回の換羽の儀は、湖の国の現女王が参加した換羽の儀以来、実に十七年ぶりの開催だ。今回の儀式に参加する王子は、前女王の息子だ。何世紀かぶりに湖の国に王子が孵化し、世間は驚いた。喜びは束の間、数か月後に、前女王は病を得、思いがけず、在位中に生涯を閉じた。
湖の国の王位継承制度は、直系男子が継ぐ砂漠とは違う。換羽の儀で競い合い、一番の者が王位継承者となる。参加者は、換羽時期の王族全員。希望しなければ免除される。換羽の儀で決まった王位を、十年から十五年ほどの在位で次々と交代していく。国の象徴を若く美しく保ちたいためなのか、それとも、王位が不在になる期間を作らないためなのか、理由は公表されていない。
湖の王政は、成人王族と大臣、知識人を交えた会議を基に執り行われる。だから、女王が若くても、政治や経済は安定していた。
自由で、豊かで、華やかな、新しい考えを重んじる湖の国の文化。王族の衣装や住まいは、伝統的なものだけではなく、流行や合理性を重視していた。そのため、湖の国は、洗練された衣料や生活の道具を中心とした経済発展が著しく、また、歌や音楽、絵画、文学、劇、踊りなど、芸術の発展した国となった。穏やかな気候や、緑豊かな自然からの農産物も多い。そして、何よりも、水産資源。魚、海藻、貝。貝が作り出す真珠は、貴重だ。
一方、砂漠は過酷な環境だ。その過酷さから、理論や技術、武術、騎馬、騎鳥、医術、薬学、数学などが発達した。砂漠で生き延びるために必要な術だ。そして、砂漠から掘り出される宝石や金属、燃える石や燃える水が、国の経済を支えている。
砂漠の王、ダルチ・ミドゥバルは、環境は厳しくとも、自国に誇りを持っていた。湖の国の豊かさや華やかさに嫉妬したことなどない。初めて妬ましいと感じたのは、湖の国に王子が生まれた事。湖の国から送られた王子の絵姿は、ダルチ王が理想とする王子の姿そのものだ。毎日のように見惚れてしまう。自分の息子であればよいのに。
大臣たちは、王とは別の悩みがあった。湖の都の儀式に参加するための費用を、どうやって捻出するか。
祝いの品や、旅のために雇い入れる者の賃金、食料や水、滞在費用、考える度に、宰相のブセア・ケルスの顔は青くなり、冷や汗が出た。思案しながら、ブセアは部屋を眺めた。美しく磨かれた暗い色の机。その机を買った時の事を思い出した。どうしても手にいれたかった品。ほかの貴族と競り合う羽目になり、打開策として、王に進言し、家具職人の税を免除してやった。恩を売れば、人は言うことを聞く。
そうだ、・・・・・・ブセアは机を見ながら策を思いついた。つやつやとした滑らかな曲線を描く机のへりを指先でたどった。
同行する商隊に、人も金も出させよう。協力する商隊の優遇措置を約束すれば、応じるはずだ。それに絡めて、もっと都合の良い事ができる。ブセアの笑顔は更に大きくなった。
砂漠の王の旅支度が始まった。
「王の旅支度を無償で引き受ける商隊は、向こう一年間、税を減免する。希望する隊は、本日の夕刻までに、城に出向くように」
立て札が、門の前に立てられた。
ウォセがそれを目にしたのは、都に着いた翌朝。用心棒の職を探そうと、宿を出たところだった。
都の門の中に足を進めた。都の城壁をはじめ、石造りの建物は、科学技術を持たない者が作り上げたとは信じがたい。石畳の太い通りが、中央に建つ城から放射線状に伸びている。城を中心点とした同心円状の細い道が、太い通りと交わっている。一番の大通りには店が立ち並び、都の門から城の門まで一直線に結んでいた。 店の造りはしっかりしており、派手さはないが、美しい建築様式だ。だが、立ち並ぶ店は、どことなく勢いがない。数種類の果物や、数種類の野菜、穀物、家畜が売られていたが、品物の隙間が多いような気がした。食物を売る店の前には、列ができていた。衣装や装飾品の店は比較的少なく、手持ちで買えなかった。諦めて宿に戻る事にした。勿論、いくつかの財布をかすめ取った。門外と違って、中身はたいして入っていなかった。
宿に戻ると、女が玄関に佇んでいた。会釈をし、通り過ぎようとした時だった。
「ウォセ・カムイ、お帰りなさい。黙って出かけるのは、酷いと思います」
エミナの声で女は話しかけた。ウォセはまじまじと女性を見た。その青い瞳は、まさしく、エミナだ。砂漠用のマントを着て、それにつながる頭覆いをかぶり、口鼻の覆いを着けて、目だけ出していた。前髪を上にあげて、この都の女性の多くが着けている布を額に巻いていた。つる植物の模様が付いた、濃い青色のものだった。
「驚いた。その服はどうした」
「ウォセが部屋に置いて行った、誰かのお財布から借りました」
「高かっただろう?品も少なくて・・・・・・そんな服、店になかったぞ。どこで買った?」
「宿から少し外に行った市場で買いました。宿のおかみさんが、寝間着しか着るものが無いのかと聞いたので、そうだと言ったら、古着を売っている店に連れて行ってくれました。おかみさんは、店主に、私が盗賊に襲われて、こんな服しかないのだと言うのです。『だから、安くして当然でしょう?』って。本当ではないのに。でも、そのおかげで、店主は涙を浮かべて、半値にして、おまけまでくれました。私、買い物のコツがわかりました」
宿で昼食を済ませると、厩に寄ってブレナイトの世話をした。エミナが先に立って、二人は門の外の市場に出た。門内とは違い、活気にあふれる様子にウォセは驚いた。
門外の市場は、雑然としていた。簡易的なテントの下、石畳の上に布を敷いたり板を置いたりした上に、かごを並べ、商品が積まれている。机や台があるのはましな方だ。門内の市と比較すると、洗練されていないし派手さはない。でも、安くて品数が多くて、どんどん取引されていた。とにかく、生き生きしていた。
新鮮な根菜や葉野菜が並んでいる。芋類だろうかゴロゴロと茶色い丸い物が積まれている。かごに入った黄色い果実。真ん中から裂けて中の赤い色が見えている果汁の多そうな果実もある。果実から漂う甘い匂いが、あたりの空気を満たしていた。市場を歩くだけで心が躍る。
肉屋は、乾燥肉や、燻製肉、塩漬け肉、そして、生きたままの哺乳類を売っている。乳製品が並んでいる。洋服を売る店は、ほとんど女性もので、古着から、一目で高価な品と分かるものまで、様々な品が有った。
人ごみの中で、時々ウォセは財布を失敬し、エミナは触れる人から素早く細胞をかすめ取り、彼らの遺伝子情報を蓄積していた。
市場の片隅に、人だかりがあった。どうやら、占いの店のようだ。数件の占い師が軒を並べている。丸や十二面体の透明な塊を布の上に置き、覗き込んで何か告げている占い師。大きな巻貝の中に、小さな石を入れて振ってから、布の上にそれを広げ、未来を読み取る占い師。相手の髪を一本引き抜き、刻んで薬液に落とし、その反応で未来を占う者。カード占い、手相占い、瞳を見詰めるだけで未来を告げる者など、様々な占い師が居た。客は若い女だけでなく、男も、年寄りもいた。今年の作物の出来だとか、今度の砂漠鳥のレースの結果だとか、今度の卵から孵るのは男か女かだとか、行商は湖の国に行くべきか森の国の方が儲かるかとか、些細で、でも、客にとっては重大な悩みを相談していた。
「ウォセ、あの仕事になら、私も成りすませるかもしれません」
エミナは笑いながらこっそり囁いた。
「そうだな。もっと、この星に慣れてからな」
ウォセは釘を刺した。
「人様の懐から財布を奪い取るばかりでは、すぐに役人に捕まってしまいますよ」
エミナは上目遣いでウォセを見た。ウォセは頭をかいた。
「用心棒の仕事でもしようかと思っている。門で立て札を見た。砂漠の王が旅をするそうだ。目立たず、仕事を得られる」
「そうですね。みんな、その噂していますし、そのことを占ってもらっています」
「すごい耳だな、どんどん情報収集してくれ」
「お任せください」
二人は人でごった返す通りを、ゆったりと歩いた。惑星ラウルスは活気があり、笑顔があって生活のにおいがする。生命と、活力が濃く漂う空気の中にいると、破壊と死によって奪われてしまった生気が蘇る気がした。この雑然とした素朴でささやかな世界は、初めて目にするはずなのに、どこか懐かしく、たまらなく愛しい。
「ウォセ、ちょっとだけ、いいですか」
「どうした?」
「占ってもらいたいのです。よろしいでしょうか」
「試してみるか?」
エミナは、趣のある店に向かった。最後の客が立ち上がった所だった。この女の店だけは客が全く途切れない。少し前まで、長い行列ができていた。薄い灰色のマントをかぶり、額の布の上に、銀鎖を巻いた女は、じっとエミナを見た。
「いらっしゃい、何を占いましょう」
法令線が目立つ女は聞いた。
「そうですね、私たちの旅が安全か、何に気を付けたらいいか知りたいですわ」
エミナの丁寧な口調は、異星の言葉でも変わらない。
「ほう、生まれの良いご婦人。屋敷の中で卵を守っているはずの年恰好なのに、なぜまた、このような市場の占いに?面白い、見てあげましょう」
占い師はエミナに顔を見せるように言った。エミナは鼻口覆いの布を外し、頭覆いも取った。金髪が現れると、占い師だけでなく、市場の周囲の人々もエミナの姿に見とれた。
「まあ、『竜の女神の贈り物』でいらっしゃる。なんと、素晴らしい」
占い師はエミナをじっと見てから、手を取った。手のひらに刻まれた皺を、右の人差し指の長い爪で追う。次に、三本の指の腹で手のひらを撫でまわした。しばらくそうした後、女は眉をしかめた。
「申し訳ない。あなたの未来は読めない。お代はいいよ」
「占えないのですか?」
「めったな事じゃないけれど、占えない類の人が居る。占い師から未来を隠す力がはたらいているか、占い師の資質がある者」
「私、資質があるのでしょうか。それなら、弟子にしてください」
エミナは飛びつくように言った。ウォセは慌てた。
「やめろ。俺が稼ぐから、貴女は働かなくてもいい」
ウォセはエミナの腕をつかみ、座っている椅子から引っ張り上げようとした。
「待ちな。なるほどね。あんたは読める。誰かを追っている。悪人を始末する仕事だ。秘密の多い男だね。でも、あんたは悪人じゃない。そうか、旅の途中でこの女性を拾った。放っておけなくて一緒に旅をしている」
占い師はそこで、ウォセのチタン製の首飾りを引っ張った。
「主(あるじ)の元に、この女性は、もう戻れない。お前だって、何時まで一緒に居てやれるかわからない。だったら、技を覚えて、自分が食べる分だけでも稼げるようにしてやらなくちゃ。生きるとは、そういう事だ。誰かに庇ってもらっているうちは、一つも安全ではない」
占い師の女は、首飾りをさらに引っ張り、ウォセの瞳を覗き込んだ。占い師の紫の瞳がウォセの脳内を探るように見つめる。
「・・・・・・面白い男だな・・・・・・」
ウォセは、思わず目を閉じた。
「・・・・・・分かった。エミナを弟子にしてくれ」
「引き受けた。弟子にする代わりに、雑用をする事。それから、学んだ対価は自分で決めて、毎日、夕方に支払っておくれ。あたしは王の旅に同行する。だから、弟子にしてやれるのは出発を待つ間だけ。構わないかい」
「かしこまりました、どうかよろしくお願いいたします」
「その言葉は、・・・・・・。まあ、占いをするならかまわないか。あたしは、ハナ」
「エミナ・レイです。彼は、ウォセ・カムイ」
「明日、朝食がすんだら、ここにおいで」
ハナが、行くように手を振って合図をする。既に、四、五人、客の列ができていた。
その頃、アシャは、やっと目を覚ました。窓から射す光がまぶしい。眼をこすり、床(とこ)の上に座った。床の上には厚い布が敷かれていた。砂まみれの服のまま、ぼんやりとした頭を振った。髪からも砂が零れた。
昨夜、やっとの思いで屋敷に着いた。そこから先は何も覚えていない。
卵守を探した。枕元には居ない。足元にも。見える範囲には居なかった。床から立ちあがったが、めまいがした。座り直して、枕元の水をごくごく飲んだ。隣に置かれた香油と布に気付き、汚れた顔と手を拭いた。服も用意されていたので、この際だから、体も拭いた。髪をほどいて櫛で梳くと、パラパラと砂が落ちた。髪から砂を取り除き、髪を結い直した。もう一度体を拭いて、服を着た。汚れた衣類と布をまとめ、アシャは居間に向かった。
壁を伝いながら、廊下を進み、居間の戸を開ける。
「心配かけてすみませんでした」
アシャは頭を下げてから、笑顔で部屋を見回した。きっと、大喜びで駆け寄って抱きしめてくれるはずだ。
ところが、全員、アシャに気まずい注目をした。
「どうしたの?卵守に問題が? 卵守は何処?」
アシャは誰とはなしに聞いた。ガルの息子たちは顔を見合わせる。眼で譲り合って、誰も答えない。結局、マルが答えた。
「家畜係が見ているから、心配しないで。それより、アシャ。貴方の方こそ、大丈夫?まだ足元がおぼつかないわね」
マルは、家族の衣類の管理や、こまごまとした世話一般を任されている使用人。アシャが一番なついている。
マルは、砂漠馬の乳と蜜樹(みつじゅ)の樹液を混ぜ込んだハック茶を杯に入れ、アシャに近づいた。手を貸し、一番近いクッションに座らせた。
「これをお飲みなさいな。何か食べられそう?」
「ありがとう。お茶をたくさん飲みたい」
アシャは言うなり、杯を干した。マルは笑って、茶が入った壺ごと持ってきた。慣れた手つきで二杯目を注いだ。
「ヴェンはまだ寝ているの?」
アシャはにこやかに聞く。マルは答えず俯いている。
アシャは、杯を置いて立ち上がった。
「ヴェンの怪我が悪化したの?だから、みんな、そんな顔をしているのね。医師は呼んだの?大丈夫?」
答えないマルから視線を外し、アシャはヴェンのすぐ上の兄、クムトに聞いた。クムトは、しばらく黙っていたが、口を開いた。
「ヴェンは大丈夫だ、昼前に起きた。すぐに戦えそうなくらい元気だ。医師に診てもらうのはお前だ、アシャ。マルと寝室に戻れ」
アシャは妙な静けさに戸惑った。
「わたしだって、医師に診てもらわなくても大丈夫だ」
アシャは、ラッカード家付きの医師が嫌いだ。医術をされることも嫌いだが、それ以上に、べたべたと触れる脂じみた手が嫌いだ。
「アシャ、お前のためじゃない。ヴェンのためだ。従え」
次男のキリアは反論を許さない声で言った。アシャは疑問だらけだ。ヴェンに会いたい。
「さあ」
マルが付き添い、出口に向かった。通り道をふさぐように獣医がいた。まだ若い女性の獣医は、アシャの腕を取り、部屋に引き戻した。
「迷い卵守は、大丈夫?」
「大丈夫。応急処置が良かったから」
「良かった」
きれいに髪を結った獣医は、アシャに頷いてから、居間の人達に向かって言った。
「もう一度、進言にまいりました。卵守の抱えている卵は、断じて、人間の卵ではありません。獣医の私が保証します。ですから、アシャの体の確認などやめて下さい。ヴェン本人は否定しています。アシャにも聞きましょう。それで十分だと思います」
奇妙な居間の空気は変わらなかった。
「何の話をしている?わたしは何処もけがなどしていない」
アシャは、話が飲み込めない。獣医はアシャの腕を撫でた。
「気をしっかり持ってね、アシャ。卵守の抱えている卵を、貴女が生んだと疑っているの」
怒りを含んだ声で、獣医は言った。
「卵が?わたしの?産めるの?わたし?」
キリアが口を開いた。
「産んだかどうかは、診察すれば分かる。だから、医師が呼ばれた」
「診察。って、何処を?」
アシャは自分の身体を見回した。
「アシャ、砂鳥の産卵は分かるでしょ。アシャのそこを、あの年寄りの、助平爺の医師に診察させるべきだと、ここに居る男たちは言っているの」
顔を真っ赤にし、怒った顔で獣医は言った。首をすくめているラッカード家の兄弟たちを一人一人睨んだ。
「それはないよ。わたし、結婚してないから、卵は産まれない」
居間にいる人が皆、口を開けて、あきれたようにアシャを見た。
「・・・・・・どうすれば卵が産まれるかも知らなければ、誰との卵だと疑われているかも分かってないようです。これで、十分ではないですか?」
マルは諭すように兄弟に言った。
兄弟たちは顔を見合わせた。キリアが答えた。
「マル、父に説明するには、ちゃんと、潔白かを調べるべきだ」
マルと獣医は顔を見合わせた。
「どうしても確認しなくてはならないのなら、あの医師でなく、私たちが拝見します。それで納得してください」
獣医はきっぱりと言った。
何が何だかわからないまま、アシャは二人に連れられ、寝室に向かった。
部屋に入ると、マルは、口を開いた。
「アシャ、何を疑われているか、まだわかりませんか」
「分からないわ。疑うって、何の事?」
「ヴェンに襲われたと、思われているの」
獣医が端的に言う。
「襲うって?盗賊じゃあるまいし」
マルは深い息を吐いて、探るように聞いた。
「卵を産む前に、男女は何をするか知っている?アシャ」
「結婚」
獣医とマルは顔を見合わせた。
「砂鳥は?」
獣医は聞いた。
「交尾」
獣医とマルは、再び顔を見合わせる。ぷっと、噴き出した。アシャは、腹が立った。
「笑わないで!何を疑われているの?」
「だから、それを疑われているの」
獣医が言っても、アシャはまだわからない。
「交尾をするのは砂鳥だ。人間は結婚する。わたしは結婚していない」
獣医が優しく言う。
「人間も砂鳥と同じなのよ、アシャ。結婚だけでは卵は生まれないし、結婚していなくても、することをすれば卵は産まれる」
「人間は、情を交わすと言ったりするわね。間違っても、交尾とは言わない」
マルも続けた。
アシャは、数回、瞬きした。
「では、兄弟たちは、わたしが『情を交わし』て、卵を産んだと思っているのか。もしそうだったら、何が問題なのだ」
女二人は顔を見合わせた。
「結婚をしないで、情を通じて卵を産むのは、批判されるべき事なの。砂漠の掟に反する。『身分は責任を伴う。立場は理性を必要とする』分かる?」
獣医の言葉の中に、アシャはピンときた。
「あ、『戦士の書』の一節だ。なんとなく分かる」
「不道徳で、世間体が良くないの」
と、マルも説明した。
「で、情をかよわせる?って、どうやってすること?砂鳥と人間は体つきが全然違う、分からないよ。それを知らないと、何を防げばいいかわからない」
獣医は、苦笑いした。
「アシャ、落ち着いたら、少しずつマルに教えてもらいなさい。大人になる心構えを学ばなくては」
アシャは、これまで、女の子たちが頬を染めて誰の姿がいいなどと言う様子を、馬鹿にして参加しなかったことを後悔した。洋服の色合わせや占い以上に、重大な『情を交わす』だっけ、『通じる』事も、おしゃべりに含まれていたのかもしれない。参加しなかったせいで、アシャは何のことだかわからない。今度も、盗賊にさらわれた時と同じぐらい、いや、それ以上、情けなく思った。涙が零れた。
落ち込むアシャに、マルは言う。
「少しずつでいいから、女が知るべきことにも耳を傾けて下さいね。聞きたくない事や、反論したいこともあるかと思います。でも、ちょっとずつ納得してね。明快に説明できる正しい事ばかりで世界ができているわけではないの。小さい時に見ておくべき世界と、大人になるために知る世界は、少し違うから」
頭を撫でられたアシャは、おとなしく頷いた。でも、頭の上に乗った手が、いつもそれをしてくれる、厚くてがっしりした手でないのが寂しかった。
どうして、何でも教えてくれたヴェンは、その、『大人の世界』を教えてくれなかったのだろう。『情を交わす』事についても。
子供としてしか扱ってくれないヴェンに、アシャは不満を持った。
「貴方は小さな幼生だと誰もが思っていた。でもね、アシャ、もうそうじゃない。皆が気付いてしまったの。ヴェンと二人きりで居てもいい時代は、終わったのよ」
獣医がマルの言葉を継いだ。
昨夜、二人が屋敷に着いた直後、意識を失ったアシャをヴェンが抱き留めた。我を忘れた振る舞いに屋敷の者は驚いた。何度もアシャの名を叫び、抱きしめ、口移しで水を飲ませた。自分以外の誰にも、特に、兄達にアシャを触れさようとしなかった。半狂乱のヴェンを、何とか落ち着かせたのはマルだった。説得して、アシャを寝室運ばせた。床に寝かせても、そのまま離れようとしなかった。マルがその後の世話は引き受けると言っても、傍に居ると譲らず、とうとう兄弟たちに寝室から引きずり出された。
その後、ヴェンは卵守を抱きしめたまま廊下で眠った。卵守を引き離し、ヴェンは寝室に運ばれた。
その騒ぎを、二人はアシャに言えなかった。
ヴェンが自分自身にさえ隠している気持を、周囲は気付いていた。いつか形を持つだろうかと、のんびり構えていた。でも、アシャはまだ、何も知らない。
二人は手早くアシャを診察した。アシャは泣いた。
その日は寝室から出て来ず、食事と飲み物を届けるマル以外、誰も部屋に入れなかった。マルは情を交わすことについて、かいつまんでアシャにわかるように説明した。アシャは、また泣いた。
その日の夕方、キリアは、クムトとヴェンを連れて王宮に出向いた。王の旅の同行者として、ラッカードの商隊も名乗りを上げるためだ。いくつかの商隊が、王との面会を待ち、王の居室の前で控えていた。
「ガルじゃなくて、息子達が来ているのか」
「ずいぶん王家をなめているじゃないか」
並ぶ商隊の長(おさ)達が、ひそひそと話している。女性と年長者を優遇する掟通り、王との面会は進んだ。女の長は、ラッカードの者達が着いた時には、既に帰った後だった。ラッカードと仲良くしている女の長が居ないので、兄弟たちは心細かった。他の者が帰った後、ラッカードの商隊は呼ばれた。
父に同行して何度か王城に来ているが、兄弟だけで来るのは初めてだった。
扉が開けられると、王の青い小鳥がヴェンに向かって飛んできた。ヴェンの周囲を嬉しそうに鳴きながら飛び回った。ヴェンが差し出した左の人差し指にとまり、くちばしを指にこすりつけた。
「メル、覚えていたのか」
ヴェンはにこやかに小鳥に話しかけた。小鳥はそれに答えるようにさえずり、顔を近づけたヴェンの耳や鼻を軽く突っついた。ヴェンは、声を立てて笑ったが、二人の兄弟の視線で、すぐに笑顔をひっこめた。
「よく来た。ラッカードの息子たち。計画書を出してくれ」
宰相のブセア・ケルスがゆったりと言った。ブセア宰相は父と同世代のはずだが、父よりずっと年下に見える。砂漠の光や風にさらされていないせいだろうか。不思議な人だ。
キリアを先頭に、三人は深々と王に辞儀をし、恭しく計画書を取り出した。ヴェンは小鳥に何かつぶやくと、軽く口笛を吹いて右腕を前に動かした。青い小鳥は飛び立ち、王の横の止まり木にとまった。ヴェンから託された、銀の鈴のついた組み紐を王に差し出した。王の手のひらに落とされた組み紐は、涼しげな音を立てた。
「美しい。これは?」
王が問うと、ヴェンはお辞儀をしたまま、顔だけ上げて答えた。
「湖の国の職人から手に入れました。メルは、この鈴の音でおそばに舞い戻るでしょう」
王は試しに鈴を振った。透き通った音色がした。青手(あおて)乗り(のり)のメルは、止まり木から飛び立ち、王の親指にとまった。王は笑顔になった。
「ヴェン、お前が仕込んだ鳥だったのか」
ヴェンはもう一度深く頭を下げた。
「ブセア、計画書はどのようだ」
「は、問題は見当たりません」
「そうか、では、ラッカードの商隊に元締めを任せたい。他との調整はブセア・ケルス、そなたに任せる」
王は白いものが混じる頭を、上下に動かしながら、命じた。
「承りました。ラッカードのご兄弟は退出されて結構です。旅程や、細かい計画の内容については、調整の上、数日後、発表します」
冷淡な声でブセアは言うと、兄弟に背を向け、王にお辞儀をし、退出した。兄弟たちも、慌ててそれに習い、王の部屋を辞した。
三人が廊下に出ると、ブセアが廊下で待っていた。ブセアは砂漠の民らしい、すらりとした長身だ。でも、珍しい水色の瞳をしている。褐色がかった肌、砂漠の砂のような薄い茶色の髪のブセアは、先ほどとは打って変わって、にこやかに話しかけた。
「キリア、今回、マキシ・テルーが名乗りを上げた。森の都を主な商いの場にしている女頭首をご存じだろう?森の王も旅をするはずだ。おかしいと思わないか」
ブセアは、声を潜めた、その様子は友人めいたものだ。ブセアがこんな表情をすることはめったにない。
「森には大きな軍隊がありますから」
キリアは褐色の前髪をいじりながら答えた。クムトが続けた。
「砂漠の市場に手を伸ばしたいのでしょう。テルーは、良くも悪くも正直です。とても欲が深い」
「それだけだと思うか?」
不安げに言うブセアに、キリアは尋ねる。
「テルーを雇うと、王の身の安全を確保できないと疑われるのなら、なぜテルーを計画から外さないのですか?」
その時、部屋の中から王の咳払いが聞こえた。宰相のブセアを呼びたいのだろう。ブセアが戻ろうとしたが、その肩をキリアが掴んで止めた。キリアはヴェンにウインクして、顎で部屋の戸を指した。すぐに飲み込めたヴェンは、戸を叩いてから、中に入った。
「失礼いたします。メルについて、二、三、ご提案がございまして・・・・・・」
ヴェンは小鳥の世話について、たわいもない話をし、更に、メルを王と戯れさせて時間を稼いだ。その間に、キリアは宰相と、いくつか相談をした。
豪商テルーを理由もなく断るわけにはいかない。彼らの面子もあるし、今後、砂漠の国と森の国との交易に影響が出ては大変だ。思惑に不安があっても、受け入れるしかない。
「いくらラッカードでも、一つの商隊で、王国の旅の支出全ては支えきれまい」
ブセアは額に汗を浮かべていた。
「ラッカードを第一に扱っていただけるなら、父もテルーの同行は拒否しないでしょう。テルーが、半分の費用負担を受け持つなら」
「では、テルーの参加を承認したと捉えて良いですね。ラッカードが認めれば、他の砂漠の商隊も文句はあるまい」
ブセアは微笑んだ。
初めは、ブセアから、テルーの参加申し出に困っていると相談を受けたはずだ。いつの間にか、ブセアはラッカードにテルー認めさせ、ラッカードの意見をもとに、他の商隊を説得する話に変わっていた。
気に食わない。ブセアのやり方は。
ブセアを相手にするなら、テルーと友好関係を結ぶ方がいい。ライバルではあるが、同じ商人仲間だ。このままでは、ラッカードもテルーも、好きなだけ王家に財産を引っ張られてしまう。キリアはブセアとにこやかに談笑しながら、腹の中でテルーと手を組む算段をしていた。大胆で奔放なのに、正直で正確な商売をするテルーは、庶民にも人気が高い。敵に回してはいけない類の人間だ。
キリアは床をリズミカルに蹴った。ヴェンへの合図だ。
ヴェンは上手く話を畳んで、王の前から退出した。
帰り路、ヴェンは先ほどの快活さは影を潜め、押し黙ってうつむいていた。
三人が自宅の居間に入った時、屋敷に残った二人の兄弟とマルが、アシャについて話していた。困り顔だった。
「あっちの方は問題なかった。だが、アシャはふさぎの虫だ」
三男のケイブが、王宮から戻った三人に告げた。ヴェンは腹立たしく思った。あっちの方だと。なんだ、その言い方。それに、問題は大ありだ。あのくそ爺がアシャに触れた。
家族や使用人たちが、ふさぎ込んでしまったアシャについて、口々に意見を言い、元気にする手立てを相談していた。ヴェンはムスッとしたまま壁にもたれていた。
二人で帰った直後は、大喜びされた。アシャを無事に連れ帰った自分を、盛大に褒めてくれた。なのに、一夜明けたら、部屋に閉じ込められ、行動を制限され、奇妙な視線に包まれ続けている。
盗賊から逃亡するのは当然で、アシャをあらゆるものから守ったつもりだった。それとも、二人は盗賊に捕まったまま、いいようにされた方がましだったとでもいうのか。怒りがふつふつと湧いた。兄弟は、アシャがヴェンに汚されたと決めている。はっきりキリアに聞かれた。アシャと交わったかと。そんな訳あるか。
ヴェンですら堪えるのだ。幼くて何も知らないアシャは、どんなに辛いだろう。
ヴェンは、うつむいたまま、クッションの上で膝を抱えた。いっそのこと、帰らなければよかった。あのまま、アシャを連れて、二人だけの秘密の旅をずっと続ければよかった。
「ふさぎの気の病の薬を、医師に指示してもらえば良かったのだ」
ヴェンは腹立ちまぎれに言った。
「いや、医師は診察の前に帰したから、頼めなかった」
ケイブは、頭を振りながら言った。ヴェンはクッションから立ち上がった。
「診察の前に医師が帰る?」
「獣医とマルと二人で診てくれた。俺たち、獣医に叱られた」
ヴェンはほっと息を漏らした。部屋のみんなが自分に注目したのに気づき、小さい体をさらに畳んで、再びクッションに座り込んだ。
夕食の用意ができ、食事の挨拶をする時となった。部屋の隅に座ったままのヴェンのそばに、四男のハルトがやって来た。物静かで、武道はあまりせず、書物に詳しいハルトは、静かにヴェンの前に座った。しばらくしてから口を開いた。
「ヴェン、勘違いしないでくれ。お前たちを引き離したいわけじゃない。俺たちは味方だ。万が一、男女の仲になってしまったなら、お前たち二人が兄妹ではないと、世間に知らしめなければならない。急いで婚礼の準備をする必要があるし、父を説得しなくてはならない。父の説得が出来ないなら、父がここに戻る前に、二人をこっそり逃がして隠さなくては。だから、我々は深刻だった。一方で、まだ時期じゃないとも思っている。アシャは、換羽前だ。換羽前の娘と結ばれるのは掟破りだ。まずい事になったなと思ったのは本当だ。疑って、腹が立っただろう。でも、正直に自分に向き合え。何もする気が無かったと言い切れるか。兄と妹だと、だから仲良しだと、そう思いたかったお前の気持ちは、皆知っていた。お前の想いに気付きながら、見過ごしていた俺たちこそ、反省している」
ヴェンは何も言えなかった。認める事も否定する事も出来ない。
「さあ、皆と食事をしよう。そして、休もう。食べて、眠って。眠りの間に、その身に養分がしみ込むように、俺の言葉もお前の心に届くだろう」
ハルトは穏やかに言い、ヴェンに手を差し出した。ヴェンはその手を見詰めてから、しっかり握り、立ち上がった。優しい兄を見上げた。
夕食が済み、各自は寝室に引き取った。
ヴェンはしばらく単独行動できない。交代で兄弟に監視される。今夜は、キリアがヴェンの寝室で一緒に眠る。考える事が多くて、寝付けない。キリアはぐっすり寝て、ヴェンが寝返りを繰り返しても、起きなかった。
ヴェンは床から起き出し、出窓に膝を抱えて座った。真っ暗な空が東から少しずつ明るくなる。朝焼けは、大好きだ。神々しく美しい。逃亡の旅の最後の朝も、きれいだった。アシャは今、眠っているだろうか。それとも、同じように眠れず、空を見ているだろうか。アシャの部屋の窓にも、同じ茜色の空があるはずだ。下唇を指でなぞった。同じ空気を吸い同じ水筒を分け合い、背中を預け合い、体温を分け合った、二度と戻れない時を思った。
都に着いて二度目の朝、エミナは都の門外の活気ある市場の片隅、占い師が軒を連ねる一角にいた。宿で朝食も済ませ、砂漠の豊富な日光を浴びて、エネルギーも満タンだった。ハナは、店の戸を開けたところだった。
「おはよう。来る頃だと思った」
ハナは笑った。恰幅の良いハナは、生粋の砂漠の民だ。昨日、人込みの中でかすめ取った多くの人々の遺伝子情報の蓄積で、エミナはこの地の人々の遺伝子パターンを大体判別できるようになっていた。大きく分けて三つの種族がある。これは、前もって得ていた情報と同じだった。沢山の砂漠の民と、その十分の一ほどの森の民、僅かな湖の民。商人達はほとんどが混血で、複雑だ。
エミナは、レブラ豆のお茶の入れ方を最初に習った。占いと関係があるのかと思ったが、そうではない。レブラ豆のお茶はハナの好物で、これを飲まないと一日が始まらないだけだ。エミナは、ハナの仕事がはかどるように、美味しいレブラ豆のお茶を入れるべきだと聞かされた。弟子になるとは、こういう事か。弟子について、情報では理解していたが、実地でやっと本質が理解できた。教えてもらう人は、労働や気遣いや費用の支払いをして、やっと、師匠から教えてもらえる。しかも、師匠が行う動作を記憶するだけで、言語による説明はほとんどしてもらえない。
人から人へ情報を伝達する際は、文章化して話したり記述したり、映像化したり、身振りや表情で説明しなくてはならない。非合理的だ。機械のように、簡単に情報端末にアクセスして、内部データをコピーして取り込むなんてことはできない。それに、エミナなら、やろうと思えば、脳スキャンして人から情報を引き出せる。そうすれば占いなんて簡単だ。でも、エミナは昨夜、可能な限りアンドロイドの能力を使わず、人間らしく過ごすとウォセに約束させられた。主の命令は絶対だ。
弟子になるのは面倒だと、初めは思った。でも、すぐに、教えられているのは情報や方法や手段だけでないことに気づいた。人と人とは、情報以外に、情緒を交換する。占いの肝は、そこにあるようだ。これは、ダウンロードできない。
昼になるまでに、ハナは二十人ほど占った。並んでいた人が切れたところで、昼休憩の立て札を立てて、隣の店に声をかけ、ハナは休むことにした。
「エミナ、夕刻前まで私は休むよ。ちょっと出かけるからね。その頃、またおいで」
ウォセが宿屋に戻ると、エミナもちょうど帰ってきたところだった。
「弟子はどうだった?」
「面白かったですよ。良いお仕事は見つかりましたか」
「・・・・・・まだだ」
「明日の宿代は、有るでしょうか」
「なんとかする。今日、王の旅に同行する商隊の発表が有った。スカーの情報を集めるには、大きな商隊に雇われた方がいいだろう。同行する豪商は二つ。都に着いた時に出会った砂鳥の二人、ラッカードの商隊と、テルーと言う女首領の商隊。他にいくつか小さい商隊が出るらしい。ラッカードかテルー、どちらかに雇ってもらえたらな」
ラッカード家に向かえば、簡単に雇ってもらえるだろう。しかし、工作員は現地の人間と親密になり過ぎるのは良くない。なるべく中立で浅く広く付き合うべきだ。
「ウォセ、お昼は市場で買いましょう。おすすめの安い屋台を、ハナに教えてもらいました」
エミナはウォセの手を引いて歩きだした。見るものすべてに目を輝かせるエミナは、市場の客としても人気者だった。味見をしないかといろいろな屋台から声がかかる。ハナのお勧めの屋台に辿りつくと、豆の粉に水と塩と油を加えて練った生地を鉄板の上で薄く焼いて、肉と野菜の煮物を巻いた、メンルークを選んだ。二人は、店の前に置かれた簡易椅子に座って食べた。店先でエミナが美味しい美味しいと、目を見開いて言うたびに、メンルークの店の行列は長くなった。二人が食べ終わって立ち去ろうとしたら、店の主が客をさばきながら声をかけた。
「明日の昼も、良かったら寄っておくれ。客寄せのお礼代わりに、おまけするよ」
「客寄せですか?」
エミナが聞いた。
「ああ。店先で旨そうに食べてくれるだけで、人が寄ってくるよ。ハナの店の人だろ?ハナによろしく」
二人は顔を見合わせた。宇宙船に積まれていた食料や、宿屋の冷めた食事よりずっと美味しい。正直な気持ちが、客寄せになるほどだったとは。
酒場の前を通りかかると、腕っ節の立ちそうな男たちが店の前で集まっていた。人足や用心棒の仕事を狙っているのだろう。酒場で情報を仕入れようと、ウォセが足を向けた時だった。
「おや、昨日の白い馬の男じゃないか」
後ろから呼び止められた。ウォセはゆっくり振り向いた。ラッカードの二人連れを取り囲んだ男たちだ。
無言で相手を見ると、相手が勝手に話し出した。
「仕事を探しているのか?」
「どうかな」
男たちはにやにやと笑う。
「ラッカードとテルーに雇われればいい金になるが、他はなあ」
一人が首を傾けて顎を撫でた。
「ありがとう、勧めてくれるなら、そこに行ってみる」
ウォセが答えると、男達は大爆笑した。
「テルーの商隊は無理だ。俺たちが雇人を選ぶ」
貶める表情だった。ウォセは表情を変えずに見つめ返した。
「俺たちが、森の国一番の豪商、テルーの商隊の者と知らなかったか?」
ウォセは答えなかった。
「ラッカードも無理だろう。得体の知れない流れ者など、雇うはずがない」
馬鹿にしたような口調でにやにやしながら言うと、男たちは酒場に入っていった。男たちが酒場の戸をくぐると、店の前に居た男たちが後に続き、店内で歓声が上がった。森の商隊の者達が多くいたのだろう、
「テルーが払う。好きなだけ飲め」
笑いを含む大声が外まで聞こえ、先ほどよりも高い歓声が上がった。
ウォセは、小さな商隊の情報を集めなくてはと、頭を悩ませた。午後は、仕事探しに奔走する羽目になりそうだ。
二人は、酒場の前で分かれた。
夕刻前には、ラッカードの商隊も人を集め始めた。立て札が立っていた。ウォセは、それを見ながらため息をついて、安易な選択を頭から追い出した。奴らが手を回したのか、どこも雇ってもらえなかった。良い報告の土産もないまま、ウォセはハナの店に行った。
ハナ達は店じまいの最中だった。こまごまとした品がたくさんある。厄除けや御守り、盗人除けの鍵の形をした耳飾り、火災除けのまじないをかけた砂が入った小瓶。小瓶は懐に入れておくようだ。恋の叶う香油、健康を保つために額に巻く布。色とりどりの小物が入った籠は、乾燥した蔓植物を曲げて編まれている。もっと高価なものは、鍵のかかる場所に置いてある。卵を授かる卵(らん)石(せき)。卵石は僅かに桃色が混じった乳白色の貴石だ。丸く削り出し磨いてある。石は、植物性の糸で織られた半透明の袋に、一つ一つ入れられている。産卵を安全に過ごすための安産御守りは、爬虫類の甲羅からできた髪飾りだ。爬虫類はたくさん卵を産む。
孵化のための御守りは、綺麗に卵が割れるようにと、銀でできた小さな金槌。一番高級なものには、いくつか宝石が埋め込まれている。エミナは、それらの品々を、心を込めて収納していく。ハナは指示しながら、目を細めて見ていた。
日が暮れた市場には、かがり火がたかれて、黄色がかった赤い炎が、ぱちぱちと音を立てている。陰影が昼間とは違い、別世界のように幻想的だ。エミナの金髪が、赤い光に輝く。笑顔の白い歯が煌めく。向かいにある閉店後の果実商の軒先から、ウォセは見ていた。
エミナは気づき、笑顔で手を振った。ウォセは軽く片手を上げて合図した。全てが終わり、帰宅の挨拶の時に、ウォセもハナの所まで行った。
「森の商隊とやりあったのかい」
ハナが呆れたように横目で見ながら言う。ウォセは、頭をかいた。
「たまたま、前を歩いていた人が絡まれていて、行きがかり上・・・・・・」
「聞いたよ。助けたのはラッカードの末息子の鳥使いのヴェンと、娘のアシャだろう」
ハナは言ってから、ため息をついた。
「エミナが話したのか?」
「まさか。エミナは言いもしないし、思っていても私は読めない。町で噂になっているよ。そんな経緯なら、喜んでラッカードは雇うだろう。給金は高いし、ラッカードは実力があれば大切にしてくれる。けど、そうなると、ウォセ、あんたが原因で、旅の間、テルーとラッカードの雇人同士がもめるかもしれない」
ハナは顔をしかめた。言う通りだ。争いの引き金になるのは不本意だ。
「他で雇ってもらうにも、・・・・・・どうするかな」
ウォセが呟くと、ハナはウォセの袖を引いた。
「あたしの商隊にしたらどうだい?すごく小さいから給金は安いけれど、エミナも弟子を続けられるし、同じ商隊なら弟子の費用は頂かないよ、仲間だからね」
「ハナ、雇ってくれないか」
「こちらこそ、願ったりかなったりだ。ラッカードやテルーに断られたハズレだらけの者の中から、良い働き手を選ぶのは大変だもの。あっちが選ぶ前の人を雇えるなんて、めったにない幸運だ」
「ありがとうございます」
エミナも頭を下げた。
「明日、今泊まっている宿の支払いを済ませで出ておいで。金がないなら、貸してあげる。明日からは商隊の屋敷で寝泊まりすればいい。準備のための仕事はいくらでもある。朝夕は食事も出る」
ハナの言葉にエミナは目を輝かせた。
「今日までの宿代は何とか大丈夫。明日から、世話になります」
ウォセが答え、二人は礼を言って店を後にした。
「良かったですね。財布泥棒をしなくて済みます。もう、ウォセの胸は痛まない」
エミナは微笑を浮かべた。ウォセは、すぐには言葉が見つからなかった。
「スリなんか、慣れている。胸など痛くない」
「嘘が下手ですね。ウォセ・カムイ」
昼も夜も、アシャは窓辺に座って過ごしていた。マルは同じ寝室に居て、それを見守るしかなかった。
四日目の今朝、穏やかに眠るアシャを見て、ほっとした。少し落ち着いたようだ。もう一つの心配事を解決したいと考え始めた。
ヴェンとアシャの持ち帰った水筒を眺めながら、マルは考えていた。この水筒の印は有名だ。中年より年かさの人なら誰でも知っている。三角が並んだ印はオビス家のものだ。マルの幼馴染は、オビス家が栄えていた頃、館に仕えていた。
オビス家の家紋の入った水筒を二人が持って帰るとは、いったいどういう事だろう。二人を捕らえた盗賊は、それを盗んだのだろうか。そうだとしても、おかしい。盗品なら、家紋は削り取るか色を塗りなおす。買って手に入れたとしたら、売り手はオビス家の家紋を潰しているはずだ。そうでなければ売り物にはならない。お尋ね者の家紋なのだ。盗んでも買ってもいない。だとしたら、盗賊はオビス家の生き残りかもしれない。
ボロー・オビスは、砂漠の王子を誘拐したのか、殺したのか。それとも、王子を誘拐した犯人を追って城を出て、遺体も出ないような場所で返り討ちにあってしまったのか。今でも誰にも分らない。王子と宰相の失踪から十日以上経って、砂漠の都にオビス家の家臣数人が、命からがら帰って来た。砂漠から生きて帰った家臣も、屋敷に残っていた家族も、全員処刑された。王子の失踪に関わった可能性があるからだ。
屋敷に居た雇人は、行き場を無くした。友人も、オビス家に勤めていたと知られているから、他の家に勤め口を見つけられなかった。祖母の小さな商隊に身を置き、占い師の修業をした。今は、祖母の跡を継いで、その小さな商隊をまとめ、占い師をしている。彼女にこの水筒を見せなければ。今日、市場が始まったら、会いに出かけよう。マルは決めた。
アシャの床で、起きた気配がする。
「マル、おはよう。早起きなのね。何を見ているの?」
アシャは、床から元気に立ち上がると、トコトコとマルの座るクッションまで歩いてきた。
「お二人が持ち帰った水筒ですよ。どこで手に入れたのですか」
マルが尋ねると、アシャはうつむいた。逃亡の旅に関する事は、アシャから元気を奪う。
「水筒は砂鳥の首に付いていた。その印は盗賊の家紋だと思う。落ちぶれた貴族なのかな?首領はタオという名だ。苗字は言わなかったけれど、同じヘルダの印が手首にあった」
アシャは水筒の紋章を指さした。
マルは、幼馴染がオビス家に奉公していた頃の自慢話を思い出した。長男の腕にある、服からちらりと見える名家の印が、奥ゆかしく誇らしい、たしか、そういっていたはずだ。
「アシャ、今日は、市場に行こうと思います」
「行ってらっしゃい。このところ、マルはわたしに付きっきりだったから、友達とゆっくりできるといいね」
「アシャも一緒に出掛けましょう」
「出かけたくない」
「気分転換した方がいいですよ」
マルは根気強く話しかけた。アシャはふさぎの虫に取り憑かれている。あんなに朗らかで元気だったのに。
「ウィキも、走りたくてうずうずしているかもしれませんよ」
大好きな騎鳥を勧めてみた。
「ウィキも診察されたのか」
アシャはマルを睨んで言った。マルは思わず抱きしめた。
「アシャ、辛い思いをさせてすみません。でも、ヴェンの潔白を確かめるため、仕方がなかったのです」
マルは抱きしめたアシャの背中をさすり、髪をなでた。
「ヴェンの潔白のため・・・・・・」
アシャは固い声で答えた。身を固くしたアシャの気持ちをほぐそうと、マルは一層優しく、その髪に触れた。しかし、アシャはマルの手を振り払い、抱きしめる腕から逃れた
「ヴェンは潔白だ。決まっている。ヴェンにとって、わたしは妹だ。妹に何をすると言うのだ。マルの話した、あんなことなど、わたしにするはずもない。ヴェンは、わたしに対して、まるで小さな子供相手のように、守ったり、口うるさく叱ったり、・・・・・・皆も知っているはずだ」
アシャの涙声は、それが辛いとでもいうように響く。
「ヴェンに良い縁談が?だから、ヴェンの潔白を?」
「そうではありません」
「わたしが居るからいけないのだ。何処の者とも知れぬ迷い卵守から出てきたわたしが、誉れ高いヴェン・ラッカードを汚したと疑われるなんて。わたしは家を出るべきだ。一度は奴隷にされかけた。どうとでも生きていける。そうだ、マルと市場に行こう。雇い入れてくれる人を探す」
アシャは投げやりに叫ぶと、乱暴に夜着を脱ぎ、外出の支度を始めた。マルはアシャの右の肩甲骨の下にある、ヘルダの印を見るとはなしに眺めていた。アシャの印は、貝殻の中に大きな真珠がある印だ。真珠がアシャだとしたら、アシャは今、貝の中に閉じこもって誰にも触れられないようにしている。無理矢理こじ開ければ、中の真珠に傷がつく。マルは、アシャに言い返さずにいた。守りたいのは、真珠の方なのに。今は何を言っても、アシャには届かない。
「支度が整いましたら、皆と朝食を取りましょう。いつまでも部屋から出ないと心配します」
マルは穏やかに言った。
アシャは途端に泣き出した。大粒の涙が止めどなく頬を落ちる。マルはもう一度アシャを抱きしめて頭を撫でた。今度は抵抗しなかった。マルの胸に頬を押し当て涙を流しながら、呟いた。
「ごめん、マル。八つ当たりをした。わたしはラッカードの養い娘だ。立場をわきまえた行動を取らねば。支度を手伝って。その名に恥じぬようにして欲しい。朝食を取ったら、マルと一緒に市場に行く。私がいつもと違うなどと、周囲の人に噂されては皆に迷惑をかける。午後は、ウィキと遠乗りをするから、誰かに付き添って・・・・・・」
言いかけて、アシャは声を上げて泣き出した。これまでアシャと一緒に遠乗りしていたのは、いつだってヴェンだった。アシャはしばらく、そのまま泣いていた。
泣き止むと、顔を布で拭った。
「ごめん、もう、大丈夫だ」
マルは何も言わず、アシャの身支度を手伝った。元気が出るように、キリアがアシャのために用意した新しい服を着せた。淡い水色の服は、アシャの瞳の色によく合った。髪をまとめ、キリアが選んだ髪飾りを付けた。幼生だから、化粧も首飾りも耳飾りもしない。でも、鏡の前のアシャは綺麗だった。これまでのおてんばで砂だらけの跳ねっ返りではなく、美しい乙女が座っていた。マルが驚くほど、アシャは数日で大人の顔をするようになった。物を想い、伏せた長く黒いまつ毛が緩くカーブを描いている。細い眉は伸びやかな弧を描く。帰宅以降、初めて家族と一緒の朝食の席に着くアシャを伴って、マルは居間に向かった。
戸を開けて、朝の挨拶をしたアシャに、家族は見惚れていた。誰も話せなかった。席に着いたアシャが一度立ち上がった。
「今回は、わたしの軽率な行動で、盗賊にさらわれ、義兄(あに)、ヴェンを巻き込んでしまい、心配をおかけして申し訳ございませんでした。わたしを助けに来たせいで、けがをさせ、不名誉な疑いをかけられる事となり、ヴェンには申し訳なく思っています。これまで、ラッカード家の皆さんに大切にしていただき、ありがとうございました。これ以上ご迷惑をおかけしないために、マルと市場で奉公先を探してこようと思います」
「アシャ、お前はずっとラッカードの人間だ。この家に居なさい」
キリアが言っても、アシャは答えなかった。
ヴェンは真っすぐ、アシャを見た。アシャは目を逸らした。
気詰まりな空気の中、兄弟たちは働く力を得るために、無理やり食べ物を口に詰め込み、アシャは食べているふりをするのが精いっぱいだった。
食事が終わると、ヴェンは席を立ってアシャの所に来た。
「アシャ、大丈夫か?ちゃんと食べているか?」
いつもとかわらず、アシャを気遣うヴェン。アシャは顔を上げなかった。
「わたしのせいで、ヴェン、その名に傷をつけかけた。ごめんなさい。本当に、申し訳なく思っている」
アシャはそれだけ言うと、身をひるがえして部屋を出た。マルの腕を取り、市場に向かった。マルが振り返った時、ヴェンと目が合った。あんなヴェンは、見たことがない。
「おや、久しぶり、マル」
マルの幼馴染は、にこやかに声をかけた。
「ハナ、久しぶり。朝はまだ、お客は多くないのね」
「まだ開店準備中だよ。今日は、何の相談?」
「占い師には負けるわ。見てもらいたいものがあるの」
マルは周りを窺った。ハナは、目を細め、店の奥のカーテンの中に招いた。二人は薄暗く、香の焚かれた部屋に足を踏み入れた。ハナは、アシャも招いた。テントの中のテーブルの上には、丸い透明な石がある。金銀の糸と紫の糸で織られたクッションの上に乗っている。虫眼鏡と、使い古されたカード、石の数珠。大抵の客は、通りから見える場所で占う。特別な身分の者や、来店を知られたくない者、人に絶対聞かれては困る内容、それから、ハナがその方がいいと思った占いは、このカーテンの中で行う。
手提げ袋から、布でくるんだ二つの水筒を取り出した。
「ヴェンとアシャが盗賊に捕らわれた話は聞いている?」
「勿論。噂でね。大変だったね」
「逃げて来た時、乗った砂鳥にこれがあったと、アシャは言っているの。ねえ、この紋章・・・・・・」
マルは声を潜めた。
「うん。マルの思う通り、私の以前の奉公先だ」
ハナは真剣にそれを見た。
「誰かが生き残っているのかも。マル、しばらく預かっていい?詳しく占いたい」
マルは頷いた。ハナは水筒を鍵のかかる物入れにしまった。深刻な雰囲気を軽くするかのように、からかい半分でハナは言った。
「アシャ、占いをしていくかい?」
「お願い、ハナ」
アシャはにっこり笑って言った。驚いた。これまで、アシャは占いに興味を持ったことが無かった。
「さて、何を占いましょうか」
ハナは、テーブルの上に肘をつき、指を伸ばしたまま組み合わせ、その上に顎を乗せた。顎の上から、瞼を半分下げた目で、アシャをじっくり見た。ハナの額に巻いた布の上に、銀の鎖が揺れる。サラサラと、かすかな音がする。瞼に半分隠れた紫色の瞳は無遠慮にアシャを探る。
「換羽する時期を聞いてみては?」
黙っているアシャに、マルが助け船を出した。でも、アシャは黙ったままだ。
「アシャには、他に知りたいことがありそうだね。どれにする?卵はいくつぐらい産めるか?結ばれる人と何時で会うか?誰と結ばれるか?どう?」
ハナはアシャを覗き込んだが、アシャはそのどれも選ばなかった。
「迷い卵守の親は何かわかる?」
「迷い卵守?」
「盗賊から逃げて来た時に、アシャは卵守を連れて帰ったの。オスで卵を抱えていた。砂漠の真ん中で迷っていたらしいの」
マルが説明した。その説明とアシャの硬い表情で、ハナはなんとなく、アシャが置かれた状況と、なぜ占いを拒否しなかったのか想像がついたようだ。
「残念だね。あたしは獣医じゃないから、難しいね。それに、卵守がここに居ないから、占えないな」
それを聞くと、アシャは、顔をぱっと上げた。
「ハナは、適当に作って答える占い師ではないのね。分からない事はちゃんと言う。本物の占いをするのね。じゃあ、別の事で。これは、きっと占えるわ」
「どんな占いだい?」
「わたしは、ラッカードの家を離れる方がいいのかな?」
マルは慌てた。ハナはなだめるようにマルの手を握ってから、アシャをじっと見つめた。
「女は、いつか自分の育った家から出ていくものよ。実の親であろうと育ての親であろうと、大抵はね。だけど、換羽前に出て行きはしない。まだ、子供なのだから。出て行った方がいいと思う事があったのだね。でもね、少し考えてごらん。自分勝手に家を飛び出してしまうのは良くないとは思わないかい?恩知らずな行いだ。占い以前の、道理だと思うよ。ラッカードで暮らしながら、しばらく、うちの店に来たらどう?占いを習ってみない?占いは、算術を基礎にしている。算術が好きなアシャには向いているかもしれない。今、弟子が居るの。貴婦人みたいな話し方をする面白い人。相談相手になれると思う。あたし達みたいな年配だと、説教になってしまうし、若い子は口が軽い。エミナならぴったり。盗賊の事も、いろいろ聞かせてほしいし」
ハナは噛んで含ませるように言った。アシャは顔を輝かせた。
「マル、お願い。占いを学びたい。きっと、ラッカードの商隊の役に立つようになる。もし、占い師になれたら、結婚などしないで、ずっとラッカードの商隊にいてもいい?」
アシャはマルの両手を取った。占い師は、能力を失わないため、多くは生涯独身だ。
「アシャ、元気が出たわね。ここに来れば元気になれるなら、止めないわ。家の人たちは、私が説得します」
マルは頷いた。
「ハナ、お茶が入りました」
柔らかな声がカーテンの外から聞こえた。
「エミナ、入って。見習いする仲間が増えるわよ」
ハナが呼びかけると、静かに金髪の女性が入って来た。
「どうぞ、・・・・・・あら、貴女は・・・・・・」
女性はアシャに向かって微笑んだ。
「先日は、お連れの方に助けていただいてありがとうございました!」
アシャは椅子をけるかの勢いで立ち上がって、女性にお礼を言った。
「いえいえ」
女性はアシャの驚きぶりに笑って答えた。
「またお会いできるなんて、世間は広いようで狭いですね」
女性は優雅に杯をテーブルに置いて、また微笑んだ。
「明日から、楽しみだね」
ハナは、目を細めてお茶を啜った。
客が店の前に並び出した。マルとアシャは、ハナの店を後にした。
アシャは、以前のように、にこやかに過ごすようになった。ヴェンはほっとした。元気に起きてきて、家族一緒の朝食が済むと、ハナの店に行く。毎朝、エミナが迎えに来て、アシャが屋敷の門に駆け出すのを待っていてくれる。勿論、ウォセがエミナを独りで送り出すはずもなく、帰りも送ってくれる。二人のおかげで、アシャはのびのびと過ごせる。あの二人なら安心だ、任せておける。砂漠で出会った二人は、ハナの商隊の一員になったようだ。
ヴェンは出発の準備で忙しい。それだけではない。あれからも時々、王宮に呼ばれて出向く。メルに新たな芸を仕込むために呼ばれるのだが、それにしては頻回だ。
「また来てくれ、話したい事がある」
王は毎回、言葉を飲み込む。
ある日、ヴェンが王城に出向くと、王はいなかった。ブセアが出て来た。
「王は、お疲れだ。今日はお会いにならない」
「かしこまりました」
「ヴェン、オビスの紋章入りの水筒を、持っていると聞いたが?」
「オビス家?」
「テルーの者と、その水筒の事でもめたと聞いた」
ブセアは、目の端でヴェンを見据えた。
「ええ。言いがかりをつけられました。盗賊から逃れるときに、奪った砂鳥の首に ついていた水筒になにか不満があったようで。それがどうかしましたか?」
「もめごとは控えなさい。下がってよい」
ブセアに促され、ヴェンが踵を返した時だった。チチチチチ、と、小鳥のメルが飛んできた。メルはヴェンの肩にとまり、そっと襟の隙間に、薄く小さな丸めた紙切れを入れた。
「ヴェン、貴方が操るのが鳥だけのうちは構いません。もっと大きなものを操るつもりなら、私は阻みます」
ブセアは冷たく言った。
ヴェンは深々と腰をかがめ、退出した。
キリアとクムトも、ヴェンほどではないが、頻繁に王に呼び出されていた。同じぐらいの頻度で、三人はこっそりテルーの所にも出かけた。裏を取るためだ。テルーは、ヴェンをいたく気に入り、鳥の芸を披露すると、何でも話してくれた。その内容は、ブセアの言っていた事と、微妙に違っていた。どちらが嘘かは、明白だ。
湖の国へ旅立つ前日、ハナは午前で店じまいした。今日は、弟子のエミナやアシャ、友達のマルも、一緒に昼を取る予定だった。
マルは、背の低い若い男を連れて来た。
「ヴェン・ラッカード、久しぶり。相変わらず、母親譲りの美貌だね」
ハナはヴェンの頬をつねった。ヴェンの涼しげな眉をなぞり、先がとがった高い鼻をつまんだ。
「やめて、ハナ。どうせ、俺は男らしくないさ」
頬を膨らまして上目使いでハナを見る。言えばきっと怒るだろうが、可愛い。
「こんにちは、本当にきれいなお顔」
エミナは微笑んだ。
「こんにちは」
ヴェンは眩しそうに会釈した。隣に立つウォセを見上げて残念そうに言った。
「先日は助けていただいてありがとうございました。ハナの商隊に入ってしまったのですね。ラッカードに来て欲しかったのに」
「光栄です」
ウォセは笑った。
奥から小走りでアシャが出て来た。
「ハナ、持っていく荷物はこれで全部・・・・・・」
途中で、言葉が途切れた。眼を見開いている。
「家じゃ、話もできないでしょ。旅の間は、別々の隊だし。久しぶりに、話しもしたいかと思って」
マルがアシャに笑った。アシャも笑い返した
「ありがとう、マル。ヴェン、話ができて嬉しい。改めて謝りたかった。わたしのせいで、辛い立場に・・・・・・悪かった。許して」
アシャは深く頭を下げた。
「謝るのは俺だ。俺が彼ぐらい立派で、強くて、お前を盗賊にさらわれるような事がなければ、こんなことにならなかった」
ヴェンはウォセを指して言った。アシャの前に、膝をつき、最敬礼のお辞儀をした。
「止してくれよ、人の店で。さあ立って、二人とも、頭を上げて。美味しいものを食べよう。長旅前だ、都じゃないと食べられない物がいいねえ。奢りは勿論、ヴェンでいいだろ?」
その時、仮面の男たちが、店に飛び込んで来た。
「隠している品を出せ」
男が一人、エミナの手を取った。エミナはその男の手を引っかいて離れた。離れたら、別の男と近くなってしまった。その男が、今度はエミナを背後から取り押さえ、のどに短剣を当てた。
「水筒を隠しているだろう、ヴェン・ラッカード。それとも、娘か?どちらでも構わん。出さないと、この女の命が無いぞ」
刃をぐっと、エミナの首に当てた。
「やめろ、彼女を放してくれ。俺達は持っていない」
ヴェンは叫びながら、男とエミナに一歩近づいた。
「嘘をつくな、後悔するぞ」
男は噛みつくように言い返した。
「後悔するのはお前の方だ」
ウォセは腕を組んだまま、ゆったりと言った。剣を抜こうともしない。
刃物を持った男は、エミナの首に突き立てようと、腕を振り上げた。首から刃物が離れた瞬間、エミナは男の鳩尾に肘を入れた。目にもとまらぬ速さで、振り上げた男の手首を掴み、体を回転させて捻じった。短剣は手から落ち、エミナはそれを、ウォセに向かって蹴った。石畳の上に、刃物が転がる音がする。続いて、骨が折れる音がした。
別の男がエミナに向かった。エミナは、最初の男を向かってくる男にぶつけた。二人は折り重なって倒れた。別の男が剣を抜き、切りかかった。エミナは振り向きざまに、剣をかわし、男の腕を掴んだ。仮面の端に爪をかけ、引きはがしながら、男の顔をゆっくりと爪で引っかいた。掴んだ腕を自分の方に引き、入れ違いに男の背後に回った。膝の後ろを蹴って、ひざを折って座らせ、背中を押して前に倒し、膝頭で背中の真ん中を蹴った。男はうめき声を上げて意識を無くした。
エミナは、普段とは打って変わった、表情のない顔を上げ、仮面の男たちを一人一人見た。
「仮面をしていても、彼女には素顔が見えているぞ。占い師だからな」
ウォセが言った。ハナは慌てた。そんな技など教えていない。
「俺たちは森の民。オビス家の残党を探している」
仮面の男のリーダーは、そう言うと、倒れた男達を助け起こし出て行った。
「エミナ、大丈夫?」
アシャが駆け寄った。
「はしたない真似をして、お恥ずかしいです」
エミナは服の埃を払いながら、照れ笑いをした。
「エミナ、すごい。あんなの見たことない。旅の間、武術のご指導をお願いします」
アシャは目を輝かせた。
「おいおい、占いを習ってくれよ。これ以上、跳ねっ返りになってどうする?」
以前のように砕けた口調で、ヴェンが笑った。すねたアシャは口をとがらせる。
「ちゃんと、上品なとこも学ぶよ、・・・・・・占いも」
みんなが笑った。
店を片付けると、一行は、市場で昼食を取った。地面の中の窯で焼く、ほかほかのクックに、甘辛い肉野菜炒めを挟んだバンデアの屋台だった。クックは穀物を引いた粉に水と油と酵母と塩を混ぜて寝かしたたねで、揚げたり、窯で焼いたり、鉄板で焼いたり、蒸したりする。砂漠の旅の間は、窯焼きのクックは食べられない。都でしか食べられない物ばかり選んだ。虫のから揚げや、冷たいお菓子も。
旅立ちの前日、午後は静かに過ぎた。
翌、早朝、長い隊列が動き出した。先導はテルー、次に王と大臣たち、小さな商隊がそれに続き、しんがりはラッカードの商隊。
アシャは、自分の砂鳥の背中に、しっかり卵守を結わえていた。ハナは、何も言わないことにした。
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