第4話 新たなる出発
何か動物の鳴き声がする。ウォセは、その声で目が覚めた。寝覚めが良くて、気分が良い。三日ぐらい寝た気がする。かすかに聞こえる物音を頼りに船内を移動した。行きついた先は医務室だった。
開けられた扉から、笑い声と動物の鳴き声がする。扉を二度叩き、声をかけた。
「入るよ」
「ウォセ・カムイ、おはようございます。よく眠れましたか」
にこやかなエミナの隣に、大きな馬がいる。見事なたてがみの真っ白な馬だ。船内に、しかも医務室に、なぜか馬がいる。この惑星の情報に照合すると、多分、『砂漠馬』だ。現住生物が船内にいるなんて、大問題だ。
「おはよう、エミナ。なぜ、これを船内に入れた?」
すると、エミナは誇らしげに笑い、馬に話しかけた。
「ほら、ね、言ったとおりでしょう」
重大な規則違反だ。残念ながら、馬を殺すしかない。ウォセが口を開こうとした時、馬から電子音がした。
「・・・・・・ブレナイト?」
ウォセが目を見張ると、砂漠馬は嬉しそうにたてがみを振って、電子音のあと、いなないてみせた。
「ブレナイトを、この星の砂漠馬に擬態させていました。体表は非常用細胞シートを利用しました。いかがでしょうか」
エミナは悪戯っぽく笑った。
「毛の生えた厚い皮膚、たてがみ、尾まで。ふさふさだ。すごいな、エミナ」
ウォセは心底驚いた。よく見ると、ブレナイトは不自然に目を閉じたままだった。それ以外は、本物の生き物に見える。
「いいえ、作ってくれたのは、この促成型臓器培養器です。私は、デザインしただけ。ウォセが教えてくれた星の情報から、砂漠馬の動きや鳴き声を拾い出して、同調できるように調整しています。実際に近くで得る情報から、さらに改善されていくでしょう」
ウォセは言葉も出なかった。
「ウォセ、相談なく進めてしまって、問題でしたか?」
エミナは、不安げにウォセを見詰めた。
「完璧だ。作業を進めてくれ。ブレナイトが怪我をした時は?皮膚は自動修復するのか?」
「ええ、基本的には、私の体表と同じ作りです。人工皮膚維持のための薄い培養層を均一に体表に着けています。ですので、皮膚欠損が起こった場合は、欠損箇所を外側から保護すれば、数日で元の形まで増殖して修復できます。傷跡が残る場合もあるかもしれません」
エミナはブレナイトのたてがみを撫でた。ウォセも思わずたてがみに手を伸ばした。作り物とは思えない。
「残念な事に、色素導入に失敗しました。砂漠馬は茶色のはずなのに」
エミナはわずかに眉根を寄せた。
「白い馬は珍しいが、いない訳じゃない」
ウォセは大きく頷いた。
毛皮を纏った新たなブレナイトの姿は、ウォセを夢中にさせた。滑らかな背中を撫でた。培養層のゲルは、本物の動物を触っているような錯覚を与える。まるで、厚みのある筋肉が、皮の下に有るようだ。呼吸運動を擬態した胸腔の動き、大きな血管が有るべき場所が拍動している。砂漠馬の体温にあわせて、ヒーターも稼働させている。
「完璧だ。だから、・・・・・俺はずいぶん寝ていたのか?」
「二晩だけです。作戦実行には、計画と準備が必要です。それに、体力も。ビタミン剤と組織回復剤を点滴しておきました。針を刺しても起きないので、起こせませんでした」
エミナは少し悪戯っぽく言った。この笑顔を消すのはつらい。
「頼む。アドバイスは聞き入れる。だから、今度からは、一晩だけ寝るつもりの時に、黙って二晩寝かさないでくれ。お願いだ」
人間は、時に、無茶をしなくてはならない。計算上、正しくない選択をしなくてはならない。正直なところ、ウォセの仕事は、無茶の連続だ。
エミナは、うなだれた。
「勝手をしてごめんなさい。許してください。でも、ウォセ、無理をしては命をなくしてしまいます。そうなったら、私やブレナイトはどうしたらいいのですか?それに、ウォセも言いました。命が一番大切だと。ですので、私はウォセの任務より命を優先しました。間違いましたか?」
この地でただ一人の人間に死なれては、アンドロイドの存在意義がなくなる。だから困る。それだけのはずだ。そんな顔をしないでくれ。まだ解放していないウォセ最大の機密情報を思うと、途方もなく後ろめたい。
「悪かった。ほかの人達のだけじゃなくて、自分の命も大切にする」
「約束ですよ。私にとって、主の命は、宇宙一大切なのです」
「分かった。約束する」
ウォセは大きく頷いた。
エミナはにっこり笑い、優雅な身のこなしで促成型臓器培養器から組織を取り出した。ブレナイトの瞼を開き、マイクロサージャーを起動させた。
「内蔵カメラの視覚情報や赤外線カメラ、位置情報と同時に、生身の情報が得られるのは、動物に偽装するのに大切だと思います。耳は形だけですが、目は本物にしました」
数分で処置は終わった。医療用の手袋を外し、エミナは満足そうに微笑んだ。
「目を開けてください」
エミナの言葉に、ブレナイトはゆっくり目を開けた。輝く命が宿った。
「体表細胞培養用の栄養と水分は、口から取るのか?」
「おっしゃる通りです」
「だったら、食事にしよう。俺は腹ペコだ。これから先、まともなものも、まともじゃない物も、食べられる保証はないから」
二人と一頭は貨物室に向かい、食事を済ませ支度をした。宇宙船のドアに厳重にロックをかけ、砂漠へ踏み出した。
目覚めたヴェンは、これまでにないほど疲弊していた。刀傷と昨夜の短い睡眠、早朝から続いた移動。だが、そのせいだけではない。よく眠れない。
水はもう尽きる。メンツークの実は六個残っている。金と食料は豊富だ。
無理をしてでも、最短で都に着きたい。これ以上、耐え抜く自信が無い。耐えられないのは、疲労でも渇きでもない。
砂鳥の疲労は、ヴェンと同様だろう。アシャはもっと疲弊しているはずだ。鍛えていても、まだ子供だ。それに、丸一日以上、水を飲んでいない。くぼんだ目を見ると、胸が軋む。僅かな自分の水筒を全てわたしたい衝動と、砂漠の掟との間で、心がゆれる。砂漠の旅では、水は、それに與ものと交換しなくてはならない。今持っている一番大切なもの半分と、相手の水半分、その交換しか許されない。掟を守らなければ、砂漠の竜の罰が当たる。アシャは、自分の身以外、何も持っていない。
そろそろ火の玉が落ちた辺りのはずだ。だが、落ちたはずの火の玉はなかった。痕跡といえば、かすかに漂う、焦げた臭いだけ。燃える水のにおいもする。変だ。だが、気にしている余裕はなかった。
砂丘を一つ越えると、大きな白い砂漠馬が歩いていた。これほど大きく、しかも白い馬なんて、見たことがない。ついさっきまで、前を歩く者は居なかった。どこから湧いて出たのだろう。隠れる物の無い砂漠の真ん中で、野営でもしたのか。だとしたら、乗っている二人はすごい度胸だ。馬には屈強そうな男と、変な服を着た女が乗っていた。
砂丘を下った所で、二人を追い抜き、速度を変えずに進んだ。彼らも、真西に道を選んでいるようだ。後ろに着いて来ていた。彼らに殺気は無かった。
短い休憩を何度か取って、ひたすら西に向かった。日暮れ時、岩場が見えた。この先、新たな岩場がある保証はない。今夜はそこで休むことにした。水は、今夜の分さえ足りない。背に腹は変えられない。見知らぬ旅人に、水と物資の交換を頼む決心をした。白い馬の二人連れは水をたくさん持っていた。逆に、食料がほとんどなかった。火おこしの道具も。現金も。それがなくて、どうやって旅してきたのか不思議だったが、ともかく、ヴェンにとって運が良かった。持っていた干し肉、木の実、炒った穀物、現金、燃料の半分と火起こし道具を貸す事で、二日分の水を手に入れた。
卵守は体力を戻しつつあった。彼が回復するのと反対に、アシャは消耗していた。ごくごく水を飲んだと思ったら、その場に崩れ落ちて寝てしまった。水を飲めたのがよっぽどうれしかったのだろうか、薄っすら微笑みを浮かべている。桃色の頬に、砂が付いている。そっと指で払いのけた。
砂漠の夜は冷える。岩の上に広がって寝ていては、体温が奪われてしまう。しばらく考えたが、ヴェンは自分のマントを広げ、その中にアシャを抱えた。体温が少しでも伝わるように、体を抱きしめた。これでは、卵守そのものだ。
アシャは眠ったまま、無意識に頬を胸に擦り付ける。胸の鼓動がひときわ早くなる。頭を撫で、華奢な背中をゆっくりたどった。眠ったまま、アシャはヴェンに抱き着いて、安心しきったため息を漏らした。柔らかな温もりが腕の中で息づいている。渇望よりも、満足が勝った。
早朝は寒かった。アシャが目覚めて急に動き出すまで、ヴェンも気付かなかった。アシャは慌ててマントから抜け出し、目をこすっていた。顔色はいい。少しは回復したようだ。
その日も、日の出前から移動を始めた。
アシャはあまり話さなくなった。これまではアシャがヴェンを導いてきたが、今は逆だ。アシャは砂鳥に跨るのが精一杯だ。
砂鳥に乗る若い男女の後ろを歩き始めて二日目の夕方、景色の大きな変化に、ウォセは気づいた。採掘場と作業員の住居を過ぎると、広大な緑があった。砂漠の真ん中に、突全、豊かな土地が現れた。任務で得た情報によれば、都の門の一番外側には、採掘場と放牧用の草地が有り、次に広大な果樹園や畑農地が続き、農民の集落が散在する。更に門に近づくと、鍛冶屋やなど加工業の街が有り、商店へと変わる。
進むほど、家の灯が増えていく。前方に黒く高くそびえる建造物は、おそらく都の門と壁だろう。大きなそれらの中に、絢爛たる砂漠の都があるはずだ。砂漠の都の中は、貴族や、貴族と王城に仕官する者達が暮らし、彼らの暮らしを支える者や商人も屋敷や店を構えている。公用私用を問わず、旅人も都の中で宿泊できる。学業のために都に来た者や、都の内外で働く医師や薬師、灌漑施設や建物の設計者や道具の開発者など、王府が定めた者も都に住んでいる。
移動して商いを行う人々は、完全な砂漠の民とみなされず、門の外に住んでいる。砂漠を渡る大きな商隊も、農村や採掘場から短距離の運搬を行い、商いう者も、全て門外だ。常に移動する者は、疫病や諜報のリスクがあるためだろう。都の門前は、そのような人々の生活の場だ。活気があって、乱雑で、混沌とした街並みが広がる。日が暮れ、門が閉じてから都に着いた旅人のための宿もある。宿は都の門の内側にもあり、身分の高い者は必ずそこに泊まる。門外の宿代の方が安いため、昼間に到着しても門外に宿をとる旅人が多い。ウォセ達は、そのような宿や市場が立ち並ぶ通りを歩いた。松明やランプの光が溢れる都の門前は、農村や加工業の町と違って華やいでいた。
既に夜更けだったため、通行人の多くは男だった。千鳥足の集団、それを避け家路を急ぐ質素な人々。派手な身なりの女たちが道端の一角に立ち、男たちに流し目を送っていた。
比較的整然とした通りに差し掛かった。数人の大柄な男たちが、先を歩いていた若い二人を取り囲んだ。彼らが腰につけている水筒を指さし、問い詰めている。
「お前は、オビス家の者か」
「違う」
「では、その水筒はなんだ。どこで手に入れた。ごまかすな」
小柄な青年が、掠れた声で答えた。物々しい雰囲気に、通りの人々は、距離を取り見守っていた。そのうちの一人がこわごわ声を上げると、見物人は次々に口を開いた。
「この人たちを知らないのか?」
「砂漠の都で、二人を知らないなんて、何処のどいつだ」
「無礼だな」
「オビス家?王子の失踪事件で、消された家か?」
「こいつら、森の民だ」
「砂漠の都に何の用だ、出ていけ」
「二人に道を開けろ」
見物人の言葉に、大柄な男たちは剣の柄に手をかけた。
後ろを歩いていたウォセたちも、騒ぎのせいで先に進めない。ウォセは、エミナをブレナイトから降ろした。取り囲む見物人をすり抜けて、問い詰めている男の正面に向かった。
「彼らに用か」
ウォセは静かに聞いた。
詰問していた男たちは、ウォセを目にするだけでひるんだ。当然だ。ウォセの経歴は伊達ではない。
ウォセはブレナイトの脚を止めず、砂鳥に跨る若い二人の前まで行き、大柄な男たちと対峙した。
「彼らに用か、と、聞いている」
再度、ウォセはゆっくり尋ねた。まだ慣れない星の言葉に、間違いないか、確かめながら話しているだけだが、その言い方がかえって迫力を増した。
難癖をつけていた男たちの、腰が引けた。
「オビス家の者でないなら、用はない」
顔色を変え、後じさり、逃げだした。
周囲の人達は、安心した顔で駆け寄った。
「旅の人、何かあったら、うちの店に寄ってくれよ」
「ラッカードあってのこの町だ。よく、守ってくれた」
青年は砂鳥から降りて、ウォセに深く頭を下げた。
「ありがとうございます。二度も助けていただきました。見事な躯体と精悍な面差しが羨ましい。自分もそのような姿なら、先ほどのように嚇されないのに。ヴェン・ラッカードと申します」
松明の明かりに、褐色の瞳が照らされた。少年かと思っていたが、もっと年長のようだ。
少女も砂鳥から降りようとしたが、ヴェンと名乗った青年は止めた。
「アシャ、だめだ」
近寄って来たエミナは、砂鳥に乗った若い女性に右手を差し出した。この星でも、握手は初めましてのあいさつだ。若い女性は、真っ白な右手を出した。
「エミナ・レイです」
「アシャ・ラッカード」
「ウォセ・カムイだ」
ヴェンは、再度、お礼を言って腰を深く折ると、砂鳥に乗って進んだ。ウォセはエミナをブレナイトに乗せると、再び、後を歩いた。
通りが一層綺麗になり、人通りがまばらになったその先に、大きな屋敷があった。
砂漠鳥に乗る二人連れは、振り向いて頭を下げた後、屋敷に入っていった。中から、悲鳴のような歓声が上がった。他人事だが、一緒に歓声を上げたい気分だった。砂漠からずっと、心配だった。子供のような若者二人きりの旅は、危険だ。
ウォセはブレナイトから降り、来た道を戻った。歩きながら、他人の懐から、こっそり財布を頂いた。財布十人分の金があれば、宿代は足りるだろう。一人旅なら、金はかからない。エミナに野宿させる訳にはいかない。見合った暮らしをさせるには、金がかかる。用心棒の仕事を探さないと。
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