7-19  ちょいちょい

「そろそろ時間だね」

 と言って、あやかさん、コーヒーを飲み干した。

 もうじき、下の食堂で、ご苦労さん会が始まる。


 おれ、シャワーを浴びてから、ベッドでうとうとしていたら、夕方に戻ってきたあやかさん、ベッドルームに顔を出して、『下に行くまでの間、コーヒーでも飲んでいようよ』と誘われた。

 おっ、これは楽しそうだ、と、すぐに起きて、おれがコーヒーを淹れた。


 昨夜『ムスッ』としていたあやかさん、そのせいで、ご苦労さん会が中止になってしまったので、内心、すごくあわてたらしい。

 その時、あやかさん、『顔には出さなかったけれど…』と言っていたけれど、本当に、そんな、心の中であわてていることなんか、ちっとも感じられない、超ものすごく恐ろしい『ムッ』であり『ムスッ』だった。


 この、『ムッ』と『ムスッ』、同じようでいてちょっと違う。

 さっき、シャワーのあと、ベッドでゴロゴロしていて気が付いた。

 まず、『ムッ』というのは、おれの、精神や心に攻撃が加わっているとき、だから、あやかさんから、目に見えない、何か、攻撃波のようなものが出ているときにおれが受ける印象だ。

 それで、『ムスッ』は、『ムッ』という攻撃が、断続的に行われているときの、あやかさんの外見上の印象。


 あの『ムッ』や『ムスッ』が、あやかさんのすべてを占拠していると、おれは思っていたんだけれど、実際は、いろいろ考えながらの、おれに対する攻撃的態度としての『ムスッ』だったようだ。

 これは、やっぱり…、おれよりもはるかに上手で…、何と言うか…、今後は、何があっても怒らせないようにしないと…。

 あの状態、やっぱり、恐いよな…。


 で、ご苦労さん会を中止に追い込んでしまって、あやかさん、申し訳ないと思って、今日の料理は、あやかさんが調達した。

 コーヒーを飲みながら、おもしろおかしくその話をしてくれる。

 しかも、あやかさん、もう、昨日の自分を客観的に見て茶化して遊んでいる。

 この辺は、やっぱりすごいと思う。


 それで、調達とはいっても、お父さんの会社、宝石ではない部門で…関連ホテルがあって、そこでは、宴会などに出張してホテルのレストラン並みの料理を提供するシステムがある。

 あやかさん、そこから取り寄せた。

 時々頼むことがあるそうで、向こうでも、あやかさんのことは知っている。


 それでも、予約なしで頼むのは、初めてなんで、さすがに気が引けたらしく、お父さんを通して注文した。

 お父さんの家、お父さんの会社の宝石、それらを守る戦いだった、ということで、恩をたっぷりと着せ、頼んでもらった。

 それも、超格安にしてもらったんだとか。


 予約なし、と言うことで、会社の方にかなり迷惑をかけたんじゃないかと思うんだけれど、あやかさん、まあ、そうなんだけれど、たいした量じゃないからね、と、少し、自己弁護も入っていた。


 その『超格安』だって、さらに、お父さんによる超々割引がはいって、たぶん、請求は来ないんじゃないかと、あやかさんの読みが入っている。

 あやかさん、こう言うことを楽しく話すのが上手だ。

 おれ、笑いながら聞いていた。


 ただ、よその人は入れたくないので、料理のセッティングや給仕などのサービスは断って、それに関しては、静川さんと沢村さんにお願いしたんだとか。

 もちろん、すべてのとりまとめは吉野さん。


 ただ、この3人も、宴会には参加すると言う、微妙な立場。

 まあ、内輪だというので、できることは各自がして、みんなでワイワイ気楽に進めるらしい。


 給仕などをする人の派遣を断った、あやかさんのこの辺の動きも、実は、相手が最も困る人の手配を外すことによって、『超々割引』を誘引するための下工作なのかもしれないな、と、思える節もあった。

 コーヒーを飲みながら、そんな話を聞いていたら、定刻近くになっていた。


「それじゃ、下に行こうか」

 と、あやかさんと、食堂に向かう。



 定刻5分くらい前だったけれど、食堂に入ると、ほとんどの人は集まっていた。

 あとは島山さんだけ。

 立食形式で、中央のテーブルには、きれいに料理が並べられていて、金属のトレーの下には火が入っているものもある。

 このような、おれだとどうしていいかわからないようなことも、吉野さんたち、テキパキテキパキ、キチッキチッとやってしまう。


 小さな生ビールの樽まであり、そこには沢村さんがいて、もうビールを注いでいた。

 今、その前にならんでいるのは、有田さんとデンさん。

 ちょうど、有田さんが、2つのジョッキを持って、さゆりさんの方へいくところ。


「ビール、いる?」

 と、あやかさんに聞くと、

「ええ、いいわね」

 との返事だったので、おれ、デンさんの後ろに並ぶ。


 あやかさんは、さゆりさんと美枝ちゃんが話しているところへ。

 美枝ちゃんと、その近くにいる北斗君、その前のテーブルには、ビールの入ったジョッキが2つ、すでに置いてある。


「少し寝ちゃって、出遅れたよ」

 と、おれの番のとき、後ろにならんだ島山さんが、おれに声をかけた。


「けっこう、疲れましたよね」


「あの金属製の板、けっこう重いからね…。あとになって、腰に来るんだよねぇ。

 あれ、何かに使おうと思って、友達の会社からもらっておいたものなんだけれど、こんなことに役に立つとはね…、ハハハ…。でも、かなり重かったよね」


 おれ、生ビールの入ったジョッキを2つ持って、あやかさんのところへ。

 島山さんがビールをもらったあと、沢村さんが、自分の分を注いで、皆にビールが行き渡った。


 あやかさんの『昨日はご苦労様でした…』の短い挨拶のあと、乾杯となった。

 今まで2階でコーヒーを飲んでいたんだけれど、喉は渇いていて、一気に半分くらい飲んでしまった。

 うまいビールだ。


 料理も、半月前までの、おれが参加するようなコンパでは、まず、出たことがないような、質がよくておいしそうなものばかり。

 しかも、参加人数が12人なのに、料理はいっぱいだ。


 あとであやかさんに聞いたんだけれど、20人前くらいと言って頼んだらしい。

 こういうときは、飲み始めて、一段落したとき、吉野さんが静川さんを連れて、一通りの料理を、少しずつ皿に取っておくんだそうだ。

 パックに入れて、家族のいるデンさんと静川さんのお土産となる。


 それでもけっこう余るけれど、そのあと、だいたいは、北斗君と浪江君がもらっていくそうだ。

 浪江君は一人で翌日に食べるらしいが、北斗君は、島山さんや美枝ちゃんと、別邸で2次会となるらしい。


 浪江君は、十八歳でただ一人、酒を飲んではいけない年齢、どうするのか見ていたら、ビールには手を出さないで、ちゃんとウーロン茶を飲んでいた。

 当然のことながら、飲むよりも、食べる方に特化しているような感じ。

 今も、熱々のエビのグラタンというかクリーム煮というか、そんなものを突っついて、楽しそうな笑顔で、デンさんと話している。


 昨夜の侵入のとき、彼のお陰で、ここの周辺地域から敷地内まで、得られる膨大な情報が、瞬く間に集約されていった。

 3人のほかには、侵入者はいないだろうと、早々に結論づけることができたのも、彼の解析のお陰らしい。


 おれも、皿を持って、ビールを飲みながら、有田さんや北斗君、島山さんたちと楽しく話をしていたが、静川さんに肩をチョンチョンとされて、『奥さんのお呼びよ』と言われた。

 一瞬、『えっ?奥さん?』、そして、同時に『誰のこと?』と思った。


 で、あやかさんのことだと気が付いて、うれしいような、恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちになった。

 でも、そんな気持ちに浸ってもいられないので、あわてて、そっちを見ると、あやかさん、さゆりさんと美枝ちゃんにはさまれて、でもこっちを見ていた。

 目が合うと、ニコッとして、人差し指を上に向けて『ちょいちょい』。

 おれに『おいでおいで』をした。


 有田さんたちに一言ことわって、皿とジョッキを持って、あやかさんの方に行く。


 行くなり、あやかさん、

「結婚の届け出なんかを全部済ませたあとのことだけれどね…。

 1年とまではいかないけれど、2、3ヶ月か…いや、それ以上になるのかな…?

 あなたと二人で、ここを離れたいんだけれど、いいかしら?」


「えっ?ここを離れるの?」

 いきなり、何なんだろうと思ったけれど、特に、今、ここですべきこともない。

 で、考えるまでもなく、どうでもいいことだ。


「まあ…、おれは、離れても離れなくても、なんの影響もないからね。

 どうでもいいんだけれど…。

 でも、一緒にどこかに行くのは、楽しそうだね。

 どこに行くの?」


「うん、今考えているのは長野の別荘だけなんだけれど、でも、たぶん、そこからまたどこかに行くかもしれないんだ…」


 隣から、さゆりさんが口をはさむ。

「新婚旅行のようなものですよね?」


 うん?さゆりさん、なにげに、あやかさんをちょっとからかっている感じ。


「本当の目的はちょっと違うけれど、それを兼ねてもいいかもね…」

 と、あやかさん、さゆりさんのからかいを軽くいなしてから、

 おれに、

「よし、決めた。

 楽しい、楽しい、二人の冒険旅行の始まり、と、しようね」




  ****  ****  ****  ****  ****


 第7章はこれで終わりです。

 もちろん、続きます。

 そのつもりでおります。


 でも、龍平の力がうまいこと化けて、一番大きかった力の限定要因『17センチ3ミリ』が、あまり意味を持たなくなってしまったので、次を、第8章として進めるか、新たな題名の小説で進めようか、迷っています。


 別の小説にする場合には、エピローグとして題名を紹介し、同時に第1話を発表します。

 第8章かエピローグになるか、いずれにせよ1週間ほどお待ちください。


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