7-16  ごめんなさい

 あやかさん、ムッとしたまま正面を見ている。

 ムッとしているといっても、普通の『ムッ』じゃなくて、超スゴの『ムッ』だ。

 近くにいるだけで、胸が苦しくなってくる。


 そう、『ムッ』だけで、あやかさん、ほかには何にもしていないのに、なぜか、おれの胸が苦しいのだ。

 それもかなり酷く…、胸が痛い…。

 どうしてなんだろう…。

 ひょっとして、昔の祈祷師のように、人を呪い殺すことができるんじゃないかと思うほど、締め付けられる感じだ。


 さりとて、苦しいからと言って、どこかへ退避できるような状況じゃない。

 いや、退避も、退却も、何でも、とにかく、動くことができない。

 こちらに向けない目で、射すくめられている、そんな感じだ。


 本当に、どうしたらいいんだろう…。

 こんなこと、人生、最初の経験。

 結婚してすぐに、思いもよらない経験だ。


 それも、経験なんて絶対にしたくないような、とんでもない経験だ。

 したかった経験は、もう…、いや、今は関係ない。


 打開策なんて、全く思いつかない。

 どうすれば、この状態が動くのか…。


 その時、有田さんが言っていた言葉を思い出した。

『すぐに謝るだな…。ごめんなさい。これしかないね』

 でも、この状態だと、何に対して、ごめんなさいなんだか、よくわからない。


 とは言え、そんなこと言っていられないくらいの、無言の圧力。

 まあ、あの時のおれの場所や状態、あやかさん、わからなかったので、心配をかけたのは、事実なんだろうからな…。

 それで、ごめんなさいなのかな?


 でも、それなら、『済みませんでした』の方がいいのかもしれない…。

 うん?どっちがいいんだろう?『ごめんなさい』か『済みませんでした』か…。

 いや、この際、そんなことどっちでもいいから、早く、とにかく言ってみよう。


 で、深々と頭を下げ、そう、テーブルに着くくらいに。

「ごめんなさい」と、謝った。


 そして、よく、お偉いさんが記者会見でやっているように、しばらくのあいだ。じっと、頭を下げ続ける。

 もういいだろうと、顔を上げると、あやかさん、おれの方を見ていた。


 じっと、睨み付けるように。

 やっぱり、きれいなんだけれど、恐いんだよな…。

 あれっ? でも、どことなく…、そう、どことなくなんだけれど、さっきまでとは違う感じがした。


 それで、ひょっとするとこれは、と思い、もう一度深々と頭を下げて、

「ごめんなさい」と言った。


 そうしたら、あやかさん、両手でバンとテーブルを叩いた。

 痛いんじゃないかと思うくらい強く叩いた。

 驚いて顔を上げて見ると、あやかさん、大きな目でじっとおれを見詰めていた。

 でも、その目には、さっきのような恐さはなかった。


 やがて、その目が涙ぐんできた。

 と、次から次へと涙が出てきて、目から、ボロボロと涙が溢れ出た。


 すごく、すごく、愛らしい顔で、そして、大きな目でおれを見たまま、ボロボロ、ボロボロ涙を流している。

 もう、圧力は何も感じない。

 それよりも、引かれる力の方がはるかに強い。


 おれ、居たたまれなくなって、立ち上がり、急いでテーブルをまわって、あやかさんの横に行った。

 膝を突いて、あやかさんを抱きしめた。


 そして、今度は、心の底から謝った。

「ごめんね。心配かけて、悪かったよ」


 あやかさん、おれの胸に顔をつけて泣きだした。

 それから、顔をつけて泣いたまま、右手でおれの胸をドンと強く叩いた。

 うっ、かなり、痛い。


 でも、あやかさん、左手は、おれの背中に回して抱きついている。

 その姿勢で、何度も何度も、おれの胸を叩いた。


 まあ、あやかさんの一叩き、ひと叩き、けっこう強くって、かなり痛いんだけれど、さっきまでの超すごいムッによる心の痛さに比べると、まあ、こんなの、なんてことない痛さだよな、と、おれは思った。


 おれは、動かないで、じっと、そのドン、ドンを受けていた。



 しばらく、そんな時間が過ぎたあと、泣き止んだあやかさんをそっと立たせて、2階に連れて行った。

 もちろん、食堂の電気などはちゃんと消しながらだけれど…。


 部屋に入り、ドアーを閉めると、あやかさん、すぐに、しっかりと抱きついてきた。

 そして、かすれた声で言った。

「恐かったんだよ…。ほんとに、恐かったんだ…。

 こういうの、初めてだったんだよ…。

 でも、よかった…」


 おれ、それを聞いて、ジンときちゃった。

 それに、あやかさん、なんだか、子どもみたいな感じだ。

 あやかさんをギュッと抱きしめて、また、同じ言葉を言った。

「ごんめんね。心配、かけちゃったよね…」


 あやかさん、おれの胸に顔を当てて…、で、なんて言うのかな…、そのまま、そこで…、なんなんだな…、二人だけで、しばらく夢のような時間を過ごした。



 で、そのあと、二人とも、ぐっと落ち着くことができて、その流れのまま、あやかさん、真っ直ぐにシャワーを浴びにいった。

 おれは、その入り口…、部屋の玄関、と言ってもいいのかもしれないけれど、そこに座り込んでしばらくボ~ッとしていた。


 うん、そうなんだよな…、怒ったときのあやかさんって、超恐い…。

 それで、あの、ムッとするのも、ただのムッじゃなくって、こう、こっちの心にヒシヒシとした圧力がかかる、ハンパないムッだった…。

 これは、今後、こんなことがないように、日頃、注意して生きていかないといけないと思う。


 でも…、何を、どのように注意すればいいんだろう…。

 少し、研究が必要だろう。


 あやかさんがシャワーを浴びたあと、おれも浴びて、さっぱりしてリビング・ダイニングに行った。

 あやかさん、テーブルのところで、電話をかけていた。

 おれが向かいに座ると、ニコッと、いつものすてきな笑顔をくれた。


 あんなあとだから、ホッとするものがある。

 なんだか、いつも以上にうれしい気持ち。


 そんなに待たないうちに、電話は終わった。


「今、美枝ちゃんに電話して、そのあとどうなったか聞いていたんだ」


 あやかさん、スマホをテーブルの上に置いて話し始めたが、その続きを話す前に、ふと気付いて、おれに聞いた。


「ビールでも飲もうか?」


「うん、いいねぇ…。あっ、ビール、おれが持ってくるよ」

 と、さっさと立ち上がり、おれがキッチンに向かうと、あやかさんも立ち上がって、食器棚からグラスをとりながら、続きを話し始めた。


「入ってきた3人は、河原に出たところで逮捕されたんだってさ」


「ああ、それはよかったね」

 と、おれ、冷蔵庫を開けて、缶ビールをとり出しながら。


「ただね、銃を持っていたのは一人だけだったらしいよ。それも、今回は使った形跡がないみたいで、まあ、よかったですねって、美枝ちゃん、警察から言われたようなんだけれどね…」


「ああ、そうか…。それは、使われた拳銃、有田さんが持ってるからだよね」

 と、言いながらテーブルに着くと、あやかさん、不思議そうな顔で聞いてきた。


「それ、どういうこと?」


「あっ、そうか…。ちょっと長くなるけれど、初めから話した方がいいかな」

 と言って、あやかさんのグラスにビールを注ぐ。

 すると、あやかさん、おれから缶を取って、グラスを持つようにと合図。

 おれ、ニコッと笑ってグラスを持って、ビールを注いでもらいながら話し始める。


「今日、夕方ね、有馬さんからいろいろヒントをもらってね…。

 あっ、とりあえず、乾杯」


 あやかさんとグラスをカチンと当てて、ビールをぐぐっと大きく一口飲んで、

「ハーッ、うまい、なんか、ホッとするよね。

 うん、それで、引き寄せることだけれどね、前とはずいぶん違った感じでできるようなったんだよ。

 それ、信じられないくらいに、急にできるようになったんだ。

 まずね… …」


 と、今日の夕方から夜にかけてやったこと、

 ぼやっとしか見えないものでも、その対象物をロックオンしておいて、自分をごまかすことができる程度の適当なイメージを作り上げさえすれば、10メートル程度の距離でも、引き寄せることができるようになったことを話した。


「10メートルも、なの?」

 と、あやかさん、驚いて聞いてきた。


「うん、とりあえずはね。

 まあ、ある程度はしっかりと見えないと、いくら何でもロックオンできないので、それができる距離って言う感じかな…」


「で、さっきの拳銃の話と、どう繋がるの?」

 興味津々という顔で、あやかさん、聞いてきた。

 もう、どこにも怒りの痕跡はなく、今は、ただ、知りたいのよ、の一心。


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