7-9  ロープ

 夜の10時半頃、静かになった住宅地を抜けた車が、橋のたもとで止まった。

 3人の、大柄な男が、次々と降りると、車は滑るように動き出す。


 男たちは、みな、やや大きめなリュックを背負っており、周囲を確認すると、堤防の上を走り出し、左の、川に降りる階段の前で速度を緩め、すぐに、そのまま、その細く急な階段を駆け下りた。

 下の狭い河原に3人が並ぶと、もう一度、周囲を確認した。

 堤防の上には街灯や家の明かりが見えるだけだ。


 そこからは、堤防の下のせまい河原を、戻るように歩き橋の下に入る。

 橋をくぐり、外に出て5メートルほど進むと、左側に続いていた堤防はなくなり、目の前に、緩い傾斜の河原が広がる。

 この、広い河原の中程まで歩き、山側に寄って木の陰に入り、周囲を確認した。


 ここは、すでに、櫻谷家の敷地内である。

 敷地内での川の流れは、敷地の西を区切る道路下の暗渠から出てきて、北の境に接する道路に架かる橋まで、およそ百二、三十メートルほどだが、その間の山側だけは、昔のまま、山裾が自然堤防となっており、人工的な堤防はない。

 その区間の北半分が、やや広い河原になっているのだ。


 ここで、リュックを降ろし、リーダーらしい男、山部やんべが皆に声をかけた。

「無事、侵入できたな…。

 これから、作戦を決行するが…、いいな、油断なく進めろよ。

 それと…、3人だけになったので話すのだが…、受けた指令は櫻谷の家の金庫室の破壊、それだけだったが…、できればな、その中の金庫にあるといわれる妖結晶を手に入れて帰りたいと思う…」


「そうなんすよね…。盗るためなのに、金庫室の破壊だけでいいってのは、何を考えての指令なんだろうと思ったんすがね…。腑に落ちませんよね…」

 我が意を得たりといった感じで芥田あくたが言った。


「まあ、これには訳があってな…、上の考えは、金庫室を破壊すれば、櫻谷は否応なく妖結晶を動かす。そうすれば、奪う隙ができるかもしない、と言うものらしい…。

 まあ、それほど、今の管理は厳重だと見ているようだ。

 だからこそ芥田よ、手に入れて帰りたいじゃないか」


「そうっすよね…」


「さあ、準備を始めるぞ」

 3人は、中からとりだした、暗視ができる、双眼鏡のようなスコープを頭にセットし、その上から戦闘帽をかぶった。


「しかし、中の警備や監視カメラの位置は、情報通りなんでしょうかね?」

 もう1人の男、長谷ながたにがリーダーの山部やんべに聞いた。


「警備会社からこっそり盗ってきた情報だ。多分、正しいとは思うが、その確認も、われわれの任務のひとつになっている。特に、家の中は、怪しいな…。

 それと、山道には、監視カメラなどはないとなってるが、これも、わからんからな。 その辺にも気をつけて進めよ」


「まあ、あってもこの暗さじゃ、なんにも写らんでしょうがね…」


「そうだな。仮に暗視カメラで、赤外線を出してれば、逆に、カメラはここですって、言ってくれているようなものだしな」

 と、山部は、指で暗視カメラを叩きながら言った。


 山部と長谷は、リュックの中から、拳銃を取り出し、弾倉などを確認した。

 そのまま、持って歩くようで、左手を銃に添えた。


 芥田は、ホルダーをベルトの右腰の位置にセットし、山部たちと同じように拳銃を確認してから、ホルダーに入れた。

 続いて、小刀をリュックから抜き出し、左の腰に付け、鞘から小刀を抜いた。

 鉈のような感じの小刀だった。


 3人は、再びリュックを背負い、芥田が『では』と、山部に軽く会釈して、先に進み始めた。

 山部は時計を確認し、長谷の後に従った。

 すでに決められている行動といった感じで、3人は、そのまま黙って、河原から山へと入る道に踏み込んでいった。

 すぐに小石や砂利が少なくなり、土の登り道となる。



 ゆるい登り道を、100メートルほど進むと、山裾を巻くように続く細い山道に出た。

「いいペースだな」と山部が言った。

 ここまでは3分程度と考えていたが、何ら問題なく進むことができ、まだ2分も経っていない。


 ここを左に曲がる。


 この道は、山裾を一周しているが、左に進めば櫻谷の家まで400メートル前後、右に曲がった場合の五分の一から六分の一くらいの距離で目的地に着く。

 ここからは小さな上り下りはあるが、山道としては比較的歩きやすい道である。


 周りを囲む木々のため、住宅地の街灯などの光は入ってこない。

 しかも曇り空で、山道はかなりの暗さとなっており、先ほどから、赤外線を使った暗視モードにして、前を見ている。


 芥田あくたは、このスコープの狭い視野がどうも苦手だ。

 もともとは、一目で、ほかの人間よりも広い範囲を確認できるのが自慢だが、これではその特技がいかせない。


 そればかりか、その、広い視野を充分に使って警戒する日常に慣れているため、いくら夜間でも見える装置だとはいっても、視野の狭さのため、前方だけの確認になりがちで、周囲の警戒にまでなかなか結びつけることができない。

 暗闇では、肉眼よりも、はるかによく見えるものの、その視野の狭さゆえ、逆に、心の奥から、うっすらとした不安が染み出してくる。


 それでも、芥田は、冬に撮った航空写真で解析したこの道の情報を思い出しながら、先鋒として、前方に注意して、さらに監視カメラが設置されていないかというところまで確認しつつ、先に進んだ。


 芥田は、少し曲がったところで、急に止まった。

 道の両側の木を使って、道を塞ぐようにロープが張られていたのだ。


 そこには、『この道、土砂崩れの危険がありますから、ここからは立ち入り禁止です』と書いたプレートがぶら下がっていた。

 さらに『櫻谷あやか』と、ここの今の主の名前まで書いてある。


「フッ、ここは、立ち入りは禁止なのかい…」

 そう呟いたものの、芥田は、何か、あやかと言う女に下に見られ、馬鹿にされたような気持ちになり、『チッ』と忌々しげに舌打ちして、持っていた小刀を上から下に勢いよく振り下ろした。

「スパッ」とロープが切れ、プレートが道の脇に落ちた。


「どうした?」

 と、中堅として2番目を歩く長谷ながたにが近付いて肩先から聞いた。

 長谷は拳銃を上に向けて持っている。

 芥田は、下に落ちたプレートを指さした。


 長谷は、下を向き、暗視スコープで、プレートを見た。

「櫻谷…あやか…、クソッ」


 そう呟くなり、長谷はプレートを思い切り踏み砕いた。

 その動作に、芥田が驚く中、後からリーダーの山部やんべが声をかけた。


「何かあったのか?」


「あっ、いえ…、これにあの女の名前が…」


 山部がスコープで下を見る。


「ああ…、櫻谷、あやか、か…」


「この女に、兄貴が喉を潰されて…」

 長谷の兄は、13年前に、あやかの手刀を喉に受け、その後、声が潰れた。

 また、その時の失態を組織に咎められ、挽回を急ぐ焦りもあり、小さな仕事でも妖結晶に頼った。


 そのため、妖結晶を取り過ぎ、またその妖結晶の質もよくなかったのか、副作用により体がボロボロになってしまった。

 挙げ句の果て、組織を追われ、今では田舎に戻り、惨めな生活をしている。

 山部もそのことはよく知っている。


「まあ、気持ちはわかるが、今は任務に集中しろ。

 芥田、前進しろ」


 芥田が進み出すと、少し置いて、両手で銃を強く持った長谷も後に続いた。

『もし、今回、櫻谷あやかにあったら、必ず撃ち殺してやる…』

 長谷は、小さく、そう呟いていた。


 2人が進んだあと、『フ~ッ』と、大きく息を吐き出し、山部はゆっくりと周囲を見回した。



 先頭を歩く芥田は枯れ葉の積もったところを歩いていた。

 去年の落ち葉の吹きだまりなのだろう。

 暗視スコープでは、一見平らに見えるが、落ち葉の底、下の道は波打つように、ある程度の高低差があった。


 その下りに入ったところで、前に出した左足が何かに引っかかった。

「あっ」ッと声を上げ、体勢を崩しつつも、急いで右足をあげて、その先に突いて踏ん張ろうとした。

 しかし、突こうとした右足もロープに引っかかってしまい、思ったような動きにはならず、体勢は立て直せなかった。

「とっとっと…」と声を上げながら、危険な小刀を上に上げるようにして、足とは逆の斜めになって、前に倒れ込んだ。


 顔は横にしたつもりだったが、目に、ものすごい傷みが来た。

 直接、顔こそ打たなかったが、十数センチの長さのある暗視スコープが、斜めに刺さるようになって、目の脇に強い衝撃を与えたていたのだった。


 斜めに転んだお陰で、目に突き刺さるという最悪な状態は避けられたが、目の縁の痛みは相当なものだった。

「ウグ~ッ」と唸りながら、苦しそうに体をねじって、小刀の柄を杖代わりに、上半身起き上がった。

 しかし、目の縁の強い痛みで、その場にしゃがみ込んだまま、両手を顔に当て、両目を押さえた。


 また、転んだあとの体を起こす動きで、どういうわけか、刀の柄頭で、下に落ちたスコープを突き押して、破損してしまっていた。


 長谷が、芥田の足もと近くの落ち葉を払いのけると、道の両端に杭が打たれ、ロープが3本、張られていた。

 長谷は、銃を左手に持ち直し、右手でナイフを抜き、忌々しげに、ロープを3本とも切断した。


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