6-3  二人だけの話

 両手で顔を覆って泣き出したあやかさん、ゆっくりと、前に傾斜してきて、だから、おれの方にもたれてきて、頭をおれの胸元、顎の下あたりにつけて、そのまま泣いている。

 髪の、柔らかなにおい。


 おれ、どうしていいのか分からないけれど、なんだか、自然にあやかさんの背中に両手を回し、優しく抱き留めている感じ。


 胸は、ドキドキのままなんだけれど、でも、おれ、少しずつ、少しずつ、落ち着いてきた感じ…。


 少しの間、そのままだったんだけれど、なんだか、おれ、今まで感じたことがないくらい、落ち着いていて、安らかで、幸せな時間だった。


 少し経って、あやかさん、両手を、顔から離して、おれの背中に回して、顔を軽く横にして、胸元につけて…、でも、まだ、泣いていた。

 おれ、まだ返事もらってないんだけれど、結婚するとは言ってもらっていないんだけれど、でも、これって、拒否されてはいない感じ…だよな…。


 ちょっと、あやかさんを抱く手に力を入れたら、思った以上に、あやかさん、華奢な感じがした。


 しばらくしてから、

「ごめんね」

 と言って、あやかさん、おれから離れた。


 この『ごめんね』は、結婚できないという意味じゃなくて、泣いてしまってというような感じの意味だと思う…、絶対に。


 あやかさんの手に引かれ、長いソファーに、二人並んで、座り込んだ。


「わたし…、命狙われてるってこと…、だから、結婚すると、あなたにも危険がいくかもしれないっていうこと…、そのこと、わかって、申し込んでくれたの?」

 ややかすれ声だったけれど、口調は今までのように戻って、あやかさんが言った。

 おれを見る目は、涙で赤い。


 ほら、そうだった。

 さっきの『ごめんね』は、結婚できないという意味じゃなかった…と思う。


「ええ、もちろん。でも…、なんとしても守りたいなって…。まだ、どうやったらいいのかは、わからなかったんですけれど…、なんとしてでも…」


「ありがとう…」

 あやかさん、また、涙が出てきたみたいで、両手で顔を覆った。


「そのことがあってね…、どうしても、わたしの方から、切り出せなかったんだよ…。あなたに…、結婚して欲しいって…」

 そう言いながら、あやかさん、下を向いて、また、泣いているようだ。


 でも、おれにとっては、とんでもない驚きの一言だったんだ。

 だって、そうでしょう、あやかさんの方でも、おれとの結婚を望んでくれていたってことなんだから…。

 ちょっと、今までの状況からは、信じられないんだけれど…。


 それに、おれのこと言うのに、普段の『リュウ』から『あなた』に変わっている。

 なんか、今度は逆の意味で、いや、逆と言うんじゃないかな、飛び抜けたうれしさと言うことなんだけれど、頭、真っ白になりそう。


 でも、あやかさんのこの気持ち、わかっていれば、もっと早く、妄想なんかをやめて、本心で、現実的に進んでいたのに…、と考えて、昨夜の美枝ちゃんの言葉が浮かんできた。

 あれっ?ひょっとして…、周りの人たちは、あやかさんの気持ちに気が付いていた? …ってこと? …なの? …かな?


 それじゃ、あやかさん、おれと結婚したいという思いがあったのに、おれのことを考えてくれて、危険な目に遭わせたくないっていう思いが強く出て、そしておれには言えないで苦しんでいたのに…、おれって、ずっと、なんにも気が付かないで、ただ、あこがれて…。


 だから、美枝ちゃん、おれに、早くあやかさんの気持ちに気付いて、行動しろと言いたくて…、非難の気持ちが混ざって…。

 あ~あ、そうなんだろうな…。

 あ~あ…、おれって、本当に、嫌になるくらい、こう言うのに、鈍いからな…。


 あやかさん、やっと泣き止んで、こっちを向いて、ちょっと照れたような感じでニコッとした。

 今まで見たこともないような、幼いような、甘えた感じ。

 それも、すぐ近くで。

 おれ、もう、どうしようもなくて、あやかさんのこと、ギュッと抱きしめた。



 その延長で、いろいろとあって、15分くらいかかって、そのお陰で、ものすごく落ち着いた状態になって、ゆっくりと話ができるようになった。

 そして、もう、結婚することは、おれとあやかさんの間では、きっちりと決まったことになっていた。


 2人での今後の動きについて話し始めて、初めに、すごく肝心なことを決めた。

 なるべく早いうちに籍を入れることを、あやかさんが強く望んだので、もちろん、おれに何の不満もなく、すぐに方針決定。

 籍を入れるまでの動きを考えていった。


 まず、土曜日に、あやかさん、おれとご両親が会うようにするとのこと。

 土曜日か日曜日のどちらかの予定だったものを、早いほうにしたもの。

 その時、同じマンションの隣の部屋に住んでいるおじいちゃんにも挨拶することになった。


「おじいちゃん、最初に、あなたの目の色が変わるの、見たいって言うと思うよ」

 と、あやかさん。


 でも、おれの能力の話になったら、まだ未開拓と言うことにしておくとのこと。

 だから、おれ、その場で、目の色変えるの、ポケットの中を外から探ってみればいいのかな、と思った。


 あやかさん、おじいさんのことはすごく信頼しているんだけれど、おじいさんは、例のおじさんのことをなんにも疑っていない。

 それどころか、会社の頼もしい後継者と見ているので、何かの拍子で情報が流れても嫌だからと、おれの能力については、まだ、話さないのだそうだ。


 そして、その日か次の日、おれの両親のうちにも行き、挨拶をする。

 おやじ、土曜は仕事していることもあるから、日曜日になるかな?

 だから、おれ、朝食が終わったら、うちに電話を入れる。

 今日は、木曜日、お袋さんはいるはずだから…、まあ、驚くだろうな。


 一昨日、だっけかな、引っ越してこっちに来たこと電話したら、今の仕事、『ちゃんとした仕事なのかい?』って、心配していたからな…。

 その2,3日後に雇い主さんと結婚します、じゃ、まずいかな…。

 お袋、どう思うんだか…。


 そうか、あやかさんのこと、『雇い主』って感じで紹介しちゃダメだな…。

 でも、考えてみると、いや、改めて考えるまでもないんだけれど、あやかさん、おれの雇い主なんだよな…。


 こんど、社長、とでも呼んでみようかな?

 いや、これはダメだ、ふざけすぎだって、怒られるかもしれない。

 あやかさん、そう言うの、嫌いそうだから。


 まあ、いいや、お袋への紹介の仕方は、あとで、なんか、考えよう。


 うちの場合は、今までずっと、親父が主張していた『自由を尊ぶ教育方針』とやらのおかげで、あまりかまってももらえない反面、反対なんてものはないはずだから、あとはその時だな…。


 実はおれのうち、実家のことだけれど、お姉ちゃんとその旦那さん、それと1人のお坊ちゃまが、おれの両親と一緒に住んでいる。

 その旦那さん、まあ、だから、おれは『おにいさん』と呼んでいるんだけれど、そのお義兄さんとお姉ちゃん、親父の会社を手伝っている。

 というか、今じゃ一緒にやっていると言う方がいいような感じ。


 お姉ちゃんは、おれよりも6歳上で、今30歳。

 その話をしたら、『わたしのほうが歳下でよかった…』と、思わぬことで、あやかさん、喜んでいた。

 

 で、最初、おれでも信じられなかったことなんだけれど、その旦那さん、もともと名字が『崎川』で、旦那さんもお姉ちゃんも、結婚しても名字はそのまま。


 崎川なんて、珍しい名字で、そんなことがあるのかと思ったんだけれど、逆に、『同じ名字の人、初めてですよ』となり、それで話が弾んで一緒になったとか。

 お義兄さんがやっていた仕事、親父がやっていることに近くって、何かの集会に、親父の代理で出たお姉ちゃんが、そこでお義兄さんに会ったもの。


 また、親父が会社で広げてみたいと思っていた分野だというので、うまいことが重なり、あれよあれよという間に、今の状態に落ち着いた。

 まあ、うちじゃ、おれの出る幕なんて、これっぽちもないというわけ。


 でも…、おれの場合も、あれよあれよという間だったのかもな…。

 あやかさんと初めて話したの、ちょうど1週間前だったんだもんな…。


 まあ、そんなんで、『自由を尊ぶ教育方針』の延長線上ということで、親父には、おれは『養子に行こうがどうしようが好きにしていいんだよ』と言われている。

 そういう話を、あやかさんにしたら、大笑い。


「そうねぇ…。櫻谷を続けるのも面倒になってきてはいたんだけれど…、なるほど…、そういうことだと、ちょっと、いろいろと、戦略も立てて考えてみようね」

 と言うことになった。


 戦略という言葉まで出てきたので、何となく意味するところはわかった感じ。

 どっちの名字にするのか決めていく過程も、なんだか、楽しくなりそう。

 ひょっとすると、あやかさん、おじいさんか、お父さんとの、何かの駆け引きに使うつもりかも…。

 もともと、おれ、どっちでもかまわないし…。


 それと、おれ、まだ、住民票を移していなかったので、それもかねて、早い時期に、できれば来週中に、婚姻届を出してしまうと言うことまで、決めちゃった。

 まあ、名字を決めるのは、その前にしなくっちゃいけないんだけれど。


「あっ、そろそろ食事に行こうか?」


 時計を見ると、8時ちょっと前。

 ああ、まだ、こんな時間なんだと思った。


 普段より、10分くらい過ぎちゃったけれど、あやかさん、朝、おれが電話したあと、沢村さんに、『これから、リュウが来るんだけれど…、少し、二人だけで話があるから』と、朝食には遅れるかもしれないこと、伝えてあったんだとか。


 応接室、奥にもドアーはあるんだけれど、はいってきた玄関に出るドアーから、2人並んで出た。

 はいるときと比べ、気持ちの軽さは雲泥の差。


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