5-8 お子ちゃま
「リュウ、なんか…、まだ、お子ちゃまだよねぇ」
と言って、あやかさん、クックと笑い出した。
食堂で、あやかさんと、さゆりさんとの3人で、ビールで乾杯したあとのこと。
あやかさんの最初の一言がそれだった。
なぜ、おれが『お子ちゃま』なのかと言うと、今晩、おれが、何を食べたいのかと、昨夜聞かれて、すぐにハンバーグと答えたから。
今、その、おれのリクエストにより、ハンバーグがテーブルに並んでいる。
でも、『お子ちゃま』向けではなく、かなり本格的な感じ。
大きなお皿に、ボリューム満点のハンバーグステーキ。
デミグラスソースだろうと思うソースが、ほどよくかかっている。
実はおれ、本当にハンバーグが好きなもんで、安いところばっかりだけれど、稀にはちょっと高いところにも行って、いろんな店のハンバーグを食べている。
それで、どの店のソースも違うから、いろんなソースを見たことになるのだけれど、どの辺からどの辺までがデミグラスソースと言うものなのか、実は、よくわからないままなのだ。
さらに余談になるけれど、そんなわけで、以前、ネットをはじめ、図書館で百科事典やその関係の本などで、ソースなるものを調べた。
いろいろあって、すごい世界が広がっていたんだけれど…、ほんと、のめり込むと、おれの人生、ソース作っての味見がすべてになっちゃうなと思うほどすごい世界。
そんなもんで、初め、ゴチャゴチャして、わけがわからなかった。
でも、まあ、時間をかけて、いろいろと、書いてあることは、何とか理解できるのかなというところまではたどり着いた。
でも、相手はソースなんですよ。
だから、肝心なことは、ソースの色はもちろん、味や香り、見た目、料理との相性などで、残念ながら、文字からの知識では、現実とは結びつかなかったということ。
ハンバーグにかかっているソースを見て、まあ、次に舐めてもみるんだけれど、それを正確には何ソースと呼ぶべきか、判断しきれないことが多かった。
メニューにデミグラスソース付きと書いてあっても、本当かな?と思うこともあったし、2つ以上の呼び方が成り立つこともあるし、こういうものだと言われていること自体、人によって、違うこともままあって…。
いや、こんなつまらないことをウダウダ書いていないで、話を戻そう。
まあ、今、言いたかったのは、ハンバーグにかかっているソース、これも、すごく凝った感じのうまそうなソースだと言うことなんですよ。
どうも、おれ、本質的に、お宅っぽくて、いけないな…。
脇に添えられているインゲンやにんじんのグラッセ、マッシュポテトなども、しっかりとした量があって、なんか、テレビで見た外国のレストランみたいな感じ。
そうですよ、レストランで、大人だってハンバーグは食べます。
ハンバーグを好きな人、いっぱいいるし、看板にしている店だってある。
だから、これを望んだって、ちっとも『お子ちゃま』なんかじゃない、と思う。
でも、まあいいか…。
どうも、あやかさん、なんだかんだと、おれのこと、からかって、笑いのたねにしたいだけみたい…。
絡まれると言うほど
でも、ですねぇ、実は、ちょっと距離が近いような感じがして、うれしい面もあるのが、おれの本音なんですよ。
ここ3日、毎晩同じように、こんな感じで、まず、ビールで乾杯している。
ここ3日、毎晩同じように、あやかさんのうちでごちそうになっている。
ここ3日、いつも、あやかさんとさゆりさん、おれとの3人で、朝食をとり、昼食を食べ、夜の食卓を囲む。
メチャきれいな人と、落ち着いた美しい人を前にして、おいしい食事。
こっちに来てからの、おれの、超幸せな、大切な時間。
1週間前のおれに比べれば…、…、…、うん?ダメだ、あまりにもかけ離れていて、ぴったしの比喩が思い浮かばないよ。
でも、ここ3日、3食同じように、食べ始めるときに、必ず思うことがある。
今日も、ごちそうになって、いいのかしら?と。
夕食の時には、さらに、ビール、毎日、ただで飲んじゃっているけれど、これでいいのかしら?と。
まあ、ビールよりも、食事の方が、はるかに高そうなんだけれど。
あやかさんの食事、おれとさゆりさんも一緒に食べているけれど、朝食と昼食は、静川さんとお手伝いの沢村美奈さんが担当している。
主に、朝が沢村さんで、昼が静川さん。
でも、夕食を作っている人は、家政婦の
沢村さんも家政婦さんと言うことなんだけれど、どうも、吉野さんとは、重さが違うみたいで、沢村さん、紹介されたときに、自分から『お手伝いの沢村です』と、おれに言った。
で、その吉野さん、今、62歳。
初めての夕食の時、だから一昨日の夜に、紹介された。
その時は、アヤさんの話が続いていた間でのことだったので、その辺のこと、全部省略しちゃったけれど、おれの夕食を支配する重要人物。
それで、今になって話すことになるのだけれど、吉野さんは、あやかさんが生まれたときからの、あやかさん専属の家政婦さんなのだそうだ。
おじいさんが特に信頼していた家政婦さん。
それで、おじいさんには初孫となるあやかさんが生まれると、すぐに、あやかさん付となった。
吉野さん、当時、34歳。
それから、28年間、ずっとあやかさんに付いているのだそうだ。
美枝ちゃんだって、静川さんだって、頭が上がらない、超大物。
実際の話、さゆりさんばかりでなく、あやかさんまで、吉野さんの言うことは、ちゃんと聞くみたいだ。
その人が、毎日、夕食を作ってくれている。
時間をかけて、とてもおいしい夕食を。
静川さんも沢村さんも、基本的には土日は休みだけれど、吉野さんの休みは、決まっていない。
『自分が休みたいときに休むのよ』と言うことだったが、だいたい、休んでどこかに出かけるのは、あやかさんが出張などで数日間家にいないときだけのようだ。
吉野さん、この家の1階に自分の部屋があり、この家の人として暮らしている。
ある意味、この家の主。
そして、あやかさんの第2の母親みたいな感じ…かな?
そう言えば、あやかさんのご両親とは、まだ会っていない。
『次の土、日のどっちかで、親に会わすから』とあやかさんには言われている。
どうして相棒のおれが、あやかさんのご両親に会うのかわからないけれど、まあ、そういうことになっている。
話がずれちゃったけれど、昨夜、自分の部屋に帰ろうと、玄関に出たとき、その吉野さんに、『リュウさん、明日の夜、何か食べたいものある?』と聞かれた。
で、『ハンバーグが、食べたいですねぇ』と答えた。
なんか、すぐに答えなくっちゃ申し訳ないように思ったのと、咄嗟のことで、ほかに思い浮かばなかったからだけれど、おれの好物、最高の好物のひとつであることには間違いない。
で、今日の、このハンバーグ、メチャおいしい。
なんか、今まで食べた中で、最高かも。
で、そのことをあやかさんに言ってみた。
そうしたら、あやかさん。
「うん、確かに、フミさんのハンバーグと同じレベルのものは、外でもなかなか食べられないよね」
と、認めてくれた。
ちなみに、あやかさん、吉野さんを、『フミさん』と呼ぶ。
子どもの時から、ずっとそうだったとのこと。
でも、そんなにおいしいものなら、今晩のリクエスト、ハンバーグで正解だったんじゃないでしょうか?
人のこと『お子ちゃまだね』なんて言っておきながら、あやかさんだって、喜んで食べているんだから。
まあ、ビールにも合うし、付け合わせもおいしいから、そんなこと、どうでもいいんですけれどね。
付け合わせと言えば、このサヤインゲンの…、バターで炒めたものなんだろうか、色合いだけでなく、固すぎもせず、ベチャベチャでもなく、香りもよく、甘みもあって、とてもおいしい。
「この、サヤインゲンもおいしいですね」
「うん、フミさん、これ上手だって、おじいちゃんが認めているくらいだからね」
「この、ソテーしたサヤインゲン、ハリコベと言うのでしたっけ?」
さゆりさんが、あやかさんに聞いた。
「うん、まあ、うちではそう呼んでいるんだよね。
おじいちゃんのお母さんは、もう、そう呼んでいたらしいんだけれど、なんでも、それは、昭和の初期頃、フランス料理のコックさんが、そう呼んでいたかららしいんだよ」
「ハ、リ、コ、ベ、ですか?
どんな字を書くんですか?」
始めて聞く名前で、何となく、漢字をイメージしたので確認してみた。
「書いたことないけど、カタカナだろうね…。
たぶん、フランス語のアリコ・ヴェルから来ているんだと思うけれど…。
青いインゲンという意味ね。
アリコの綴りは、確か、hで始まるから、日本じゃハリコベになったんじゃないかと…、まあ、そんなこと考えたこともあったかな」
「青いインゲンだと…、サヤインゲンのことを言うんですね?」
「本当は、よく、わかんないけれど、うちじゃあ、おじいちゃんの関係で、みんな、このように、サヤインゲンをバターで炒めたものをハリコベって呼んでるんだよ」
「そうなんですか…。いずれにせよ、このハリコベ、ビールに合いますよね」
「うん、ぴったりだよね。まあ、フミさんの作るものは、何でもおいしいしね…」
こんな感じで、しばらく飲んで、おれは、ご飯ももらった。
あやかさんとさゆりさんは、小さなパンを一切れ食べただけ。
まあ、ハンバーグが、けっこう、しっかりとした量だったのです。
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