4-4 梅花寮
善之助は60歳の時に還暦を祝い、家督を長男の源一郎に譲り隠居した。
5年ほど前のことである。
隠居後は、善之助夫妻は、
離れは母屋の裏手にあり、善之助が隠居する前の年に改築し、部屋を増やし、善之助夫妻とともに、こうもここに住むようになった。
離れには、この離れの仕事をする女中さんひとりが一緒に住んでいた。
離れは、母屋の3分の1ほどの広さではあったが、4人が住むには、充分すぎる広さであった。
すずとアヤは、昨夜から、離れのこうの部屋で、一緒に寝ている。
先にアヤを寝かしつけたすずは、離れの居間で、やっと善之助たちと話し合う時間を持つことができた。
この、『神宿る目』を持つアヤを、いかに育てるべきかと。
その場には、善之助、こうのほか、善之助の妻『たえ』も加わっていた。
たえは、櫻谷家に嫁にはいってから、時折聞く『神宿る目』については、ずっと、半信半疑のままで過ごし、このような話には、一歩引いて接していた。
力持つ人ですらさほど多くは出ないのに、さらに稀なる『神宿る目』を持つ人…。
実は、『神宿る目』を持つ人については、秘伝書『妖魔降霜陣』に記述があるだけで、実際の話は伝わっていない。
おとぎ話のような伝承だけで、今まで、何人いたのかもわからない。
ひょっとすると2、3人…、それすらいたのかどうかもわからない数である。
遙か昔に、そのような人がいたのかもしれないが、もう、今の世では、そのような人は出ないのではないかと、たえは考えていた。
しかし、先ほど、アヤの目の色が変わるのを見たとき、それが、紛れもない『神宿る目』であることを、自分の目で見たとき、この話は現実のことだったのだと理解し、たえは強い衝撃を受けた。
また、その時、えも言われぬ畏怖の念が湧き上がり、自然に体が震えた。
同時に、透き通るような美しさをアヤに感じ、たえは、すっかり、アヤの虜になってしまっていた。
アヤのフアン、第1号である。
善之助は、皆に、ここ数日かけて調べていたことを丁寧に話した。
主に、梅花寮の位置付けについてである。
一通りの話を聞いてから、まず、すずが聞いた。
「すると…、梅花寮で育てるのがいいということでしょうか?」
「まあ、ここで育てるのなら、そういうことになるんだろうがねぇ…。
東京だと、どうしたものなのかな…」
善之助が答えた。
「そうですね…、浅草では、そのような場所はないし…。
どこか、近くにあったとしても、やはり、東京では、人目もありますからね。
女の子ですし…」
すずは、どのように、この秘められた力に耐えられるだけの修練を、アヤに積ませるのかをいろいろと考えながら、話をしていた。
浅草の付近では、いい場所が思い浮かばなかった。
どんなところにも、人はいる。
「確かに、東京では、むずかしいわね…。
そう言えば兄さん、今の話…、しっかりと育つためには、充分に体を動かしきらなくてはいけないということ…、それ、男の子だけではなく、女の子でも同じなんでしょうか?」
こうが善之助に聞いた。
「はて?そう言えば、そのようなことは、考えずに調べていたなぁ…。
なるほど…、アヤは女の子だよな…。
う~ん…。…うん?
そう言えば、今までに、女性で、『神宿る目』を持つ方は、おられたのだろうか?」
「『神宿る目』についてはわかりませんが、わたしが聞いた、力持つ人は、2人ほどですが、どちらも殿方でしたねぇ…」
たえが言った。
「そうだよなぁ。力を持つものは、男だとばかり思っていたよな…。
しかも、『神宿る目』を持った方については、何も伝わっていないからねぇ…。
そもそも、わしも、力のある人というと、ひいじい様の善幸さんと、そのおじいさんがそうだったとしか聞いてないし…。
とは言え、力を持つのは男だけだとも、いわれていなかったようにも思うが…」
「なるほど、確かに、さようでございますね…。
でも、なぜ、お名前もなにも残っていないんでしょうね…」
「それは、そうするように引き継がれているからだよ…。
力を持つ方や『神宿る目』を持つ方は、まれにしか生まれないのだが、この家の人間としては、代々、いつの世でも、祈祷や魔物退治の依頼を受けなくてはならないからね…。
だから、特別な力を持つ人がいることや、『神宿る目』のこと自体、我が家系だけの秘密とされていたんだよ…」
「力を持たない方々への配慮、ですか?」
たえが、確認した。
「いや、配慮というよりも、家を守るためなのではないのかねぇ…。
力があろうがなかろうが、依頼は受けねばならないからね。
わしも力を持っていないので、じつは、若い頃、ちょっと辛かったな…」
「なるほど…。跡を継ぐ善一が、若いのに、問屋の仕事に熱心に打ち込むのも、そういったものがあるのかもしれませんねぇ」
「そうだな…。継ぐ人間はそれなりに、いろいろと、辛いところも、あるんだろうよ…」
といって、間をとったところで、善之助は、話が大きくズレてしまったことに気が付いた。
「いや、少し、話がはずれてしまったようだが…、そうそう、おこうは、女と男では育て方が違うと思ったのかい?」
「あっ、いいえ、ただ、女だと、いろいろと、動きにくいのではないかと…。
寮の裏の丘で、走り回るんようなことをするんですよね…」
「ああ…、確かにね…」
すずは、その、動き回ることを前提に、今まで考えていた。
しかし、櫻谷家にも、それほど具体的な伝承は、ないような感じだ。
確かに、『神宿る目』を持つ人というのは、この家系でも、過去に2、3人いたのか、いないのか、くらいなものなのかもしれない。
あるいは、『妖魔降霜陣』を記したと伝えられる、最初に、妖刀『霜降らし』に出会った人物だけだったのかもしれない。
それが、憧れとなり、伝承となった。
逆をいえば、アヤは、そのような、希有の生まれなのではないだろうか?
アヤのために必要なことは、自分が、幼い頃、こうから聞いた話し以上のものは、この櫻谷の家にもないようにすら思えてきた。
ただ、善之助の話には、ひとつ、具体的な道しるべが残されていた。
梅花寮と、その裏山である。
そこを見てみたいと思った。
#
翌朝、由之助は目覚めると、母親から、朝食が終わったら、すぐに離れに行くようにと言われた。
普段は皆と一緒に食べている祖父母とおこうさんは、今日は、離れでの朝食だった。
母親からは、『今朝は早めに食べるって、すずさんもアヤちゃんもそっちで食べているから…』と聞いた。
慌ただしく朝食を取り、離れに行くと、珍しいことに、祖父母が2人揃って、玄関に出てきた。
おはようございますの挨拶も終わらないうちに、善之助から、今日、すずとアヤを『梅花寮』に案内して欲しいと頼まれた。
祖父母揃っての頼みである。
由之助としては、もちろん断ることなどできるわけはないし、店の仕事をするよりも、そちらの方が、はるかに楽しそうなことであった。
寮や、その周りだけではなく、裏の丘にも登って、あちらこちら、いろいろとみてみたいとのことだった。
その時、すずとアヤの面倒をしっかりみてやって欲しいと善之助に言われ、由之助は、充分な支度をするために、一度、自分の部屋に戻った。
昨夜、善之助やすずが話し合った結果、すずの希望で歩いて行くことになった。
川越からほぼ2里、8キロ前後、大人の足では2時間ほどか。
子どもだと、2時間半から3時間程度。
すずは、そのくらいの距離を、アヤが歩けるのかどうか、心配でもあると同時に、是非とも、歩かせてみたいという思いもあった。
今後のことを考える上でも、今のアヤの力を、いろいろと知っておきたい。
また、その距離の往復など、善之助夫妻やこうには少々きついと思われたので、すずは、だれが同行するのかという話になる前に、『どなたか、若い方に、案内をお願いできないでしょうか』という形で尋ねた。
それを聞いて、善之助から『それなら寮をよく使っている由之助に案内させよう』という言葉が出たのだった。
アヤは、生まれて初めて草鞋を履いた。
それまでの下駄と違い、ピタッと足にはつくが、底が、板と違ってやわらかい感じがし、快い反面、何となく頼りない気もした。
また、足の裏が、直接、土に吸い付くような感触もあり、これは、面白かった。
アヤは、小さな風呂敷包みを背負ったが、着替えなどを入れた風呂敷包みは、由之助が持ってくれることになっていた。
アヤは、来た日に、由之助に紹介され、挨拶はしていたが、顔と名前が一致してはいなかった。
離れの玄関先で、迎えに来た由之助を、善之助が、もう一度、アヤに紹介した。
荷物を由之助に持ってもらうとき、アヤは照れて、やや上目遣いに、小さく口をとがらせて、ニッと笑って渡した。
由之助は,風呂敷包みを受け取りながら、ニコッと微笑んで返した。
アヤ10歳、由之助16歳、ようやく涼しくなってきた、晴れた秋の日のことであった。
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