4-3  いつでもできる 

 数年前に、善之助は、アヤに会ったことがあった。

 こうを連れて東京に行った折、浅草の料理屋で、鉄二、すず一家と食事をした時に、アヤと2人の弟も一緒に来た。

 すずが、まだ幼い下の弟にかかりっきりとなったとき、上の弟を、アヤが、かいがいしく世話をしていた。


 善之助にとっては、アヤを見るのは赤ん坊の時以来で、思いがけずに大きくなっていたことに驚いて、こうに笑われた。

 利発そうで、かわいらしい娘だった。



 こうが離縁され、川越に戻ったのが、慶応4年、すなわち明治元年。

 それからしばらくの間は、こうは、常吉つねきち夫妻に気を遣い、すずやうめに直接会うことはしなかった。

 ただ、善之助は、東京に所用があるときには、こうを連れていき、遠目で、すずやうめを見させていた。


 じっと、物陰から我が子を見つめるこうが、善之助は不憫でならなかった。

 こうは、ただ見るだけで、決して、すずたちと会って話そうとはしなかった。


 しかし、善之助は、思いあまって、あるとき、意を決して常吉夫妻を訪ねた。

 常吉夫妻は、善之助の話を聞き、嫌な顔をするどころか、逆に、こうの気持ちを思って、大泣きした。

 自分たちは、なぜ、こうの気持ちに気が付かなかったのかと…。


 すずが16歳,うめが13歳の時、常吉夫妻の招きにより、こうは、深川の料亭で2人に会った。

 席の途中、常吉夫妻は気を遣って中座し、こうは、親子3人水入らずで、しばらくの時間、話をすることができた。

 実に、10年ぶりの対話であった。


 それは、こうにとって、忘れられないひとときであった。

 娘たちを、我が子として、大切に育ててくれている常吉夫妻に対して、こうの感謝の気持ちは、より深いものとなった。


 また、すずやうめは、両親が、このような機会を設けてくれたことを驚くとともに、自分たちを信頼してくれているがゆえのことだと気が付き、うれしくもあった。

 従って、このようなことがあった後も、すずやうめと常吉夫妻との信頼関係は、増しこそすれ、揺るぐものではなく、今までと何ら変わることなく過ごした。


 それ以来、すずが結婚するまで、ほぼ、1年に1度、こうは、常吉夫妻の招待を受け、娘2人に会っていた。



 そのすずの娘アヤ、こうの孫が、『神宿る目』を持つらしい。

 善之助は、不思議な因縁を感じた。


 善之助は、すずとアヤが訪ねてくる話を聞いた翌日から、いろいろと先祖が書き留めていた伝承を調べ始めた。

 過去に、『神宿る目』をもった先祖は、どのようにして育てられたのか。


 善之助は、倉に籠もっては捜し、また、書斎に籠もっては読み通し、その往復で、数日が過ぎた。



「そのためにあったのか…」

 思わず、善之助は呟いた。

 かなり古い、江戸時代初期の頃のものと思われる紙の束に、それは書かれていた。


 櫻谷家は、川越から2里ほど離れたところに寮を持っていた。

 入間川の近くにあり、裏の小高い丘も含めると、かなりの広さになる。

 また、さほどの広さではないが田と畑もその近くに持っていた。


 裏の丘の麓には、寮の裏手を囲むように、梅の木が十数本植えられていて、初春には、周囲に、柔らかな、よい香りを漂わせた。

 この梅の香を愛で、この寮は、『梅花ばいか寮』と呼ばれていた。

 また、櫻谷家やその使用人たちが毎年使う梅干しは、これらの木で、すべてまかなうことができていた。


 今は、使用人ひとりを置いて、管理してもらっている。

 その使用人一家の家も、その敷地の中にあった。


 善之助の祖父が、隠居後にそこで暮らし、一部を残して建て替えられてはいたが、それ以降は、そこで暮らすものはいなかった。

 近頃では、ほとんど使うことはなく、梅の花を見る時と、時々、孫の善一と由之助が、釣り遊びをしがてら、泊まりに行くくらいであった。


 しかし、最近、善一は、店の仕事がおもしろく、かかりっきりとなり、寮に行くことはめったになかった。

 だが、16歳になった由之助は、剣道で体を動かすことが好きで、ひとりになりたいとき、思い切り走り回りたいときなどに、寮に数日泊まり込んでいる。


 もともと、武家の血筋でもあり、祈祷や魔物退治にも関係する家柄でもあるため、鍛錬している、と捉えられる、このようなときには、店の手伝いは免除される。

 由之助は、梅花寮では、素振りをしたり、裏の草叢でススキやウドを相手に木刀を振り回したりしていた。

 また、木刀を置き、裏の丘を駆け回ったり、付近を散策したり、と、気まぐれに時間を使っていた。


 このように、由之助こそ活用してはいるが、家としては、今の生活にさして重要ではない場所である。

 しかし、裏の丘など周辺を含め、梅花寮はしっかりと管理を続ける必要があることを、櫻谷家あるじは、親から子へ、子から孫へと、直接申し渡されていた。


 善之助にしても、親から聞き、その時に言われたまま、大事なこととして長男に伝えはしたが、その理由については何の説明もなく、ある意味、不思議さを感じる場所でもあった。


 この書き付けには、それに関しての記述があったのだ。

 あの場所は、力を持つもの、また、力を持ち、『神宿る目』を持つものが、幼少の頃より鍛錬するための、特別な場であると。


 力の兆候が現れたら、なるべく早い時期から、寮の裏にある丘全体を使い、坂を走り、川を跳び、木々を渡りと、体を動かし切る必要性が、端的に記されていた。

 満つる力に従い、気のおもむくままに、体を充分に動かす。

 それによって、己の気を制御する力が整い、力を自在に使えるようになるとのことであった。


 繰り返し、これを読むうちに、善之助は、己の欲からではなく、純粋に、アヤのことを考え、アヤを、この地で育てる必要性を感じ始めていた。



 すずとアヤが櫻谷家についた翌日の昼過ぎ。

 すずたちは、今日の午前中は、善之助とこうに連れられて、寺に行き、ついでという形で、近所を見て回っていた。

 家に戻り、昼を食べ、今、やっと落ち着きを取り戻したところだった。


 櫻谷家の居間。

 善之助とこうに、すずが話をする時が、やっと来た。

 善之助の妻『たえ』も、善之助の脇に控えめに座っていた。

 まず、すずが、不良に襲われたときのアヤの動きを詳しく語った。

 それから、ここに来るに至った考えや、経緯など。


 しばらく、すずの話への質問などが出ていたが、一区切りしたところで、善之助が、アヤに、直接聞いた。


「その…、『神宿る目』となったのは、その時が初めてなのかい?」


「うん…、たぶん…。

 自分じゃ見えないからね、わからないけれど…、あのような気持ちになったの、初めてだったから…」

 10歳のアヤは、善之助の想像を超え、しっかりと、落ち着いて話した。


「そうかい…、なるほどねぇ。

 それで…、その時の気持ちって、どんな感じなんだい?」

 善之助は、ちょっとむずかしい質問かと思ったが、とりあえず、聞いてみた。


 アヤは、少し考えてから、自分の感じた、そのままを、上手に表現した。

「恐かったんだけれど…、すごく恐かったんだけれどね、そのとき、何かが、ぐぅっとあがってくる感じだったの…」


「何かが…、あがってくる…ねぇ…」


「うん、なんだかわからないんだけれどね…。

 ぐぅっと。

 でも…、それで、よけようとしたら…、なんか、勝手に動いたんだよ」


「そうだったのか…」

 善之助は、何となくだが、わかったような気になった。

 よく、この歳で、アヤはこれだけの説明ができるものだと感心した。


 そうしたら、アヤは、一息置いて、善之助がさらに驚く話をした。

「お母さんから、目の色が変わる話…、いろいろ聞いてね…。

 すごいんだって、ね。

 力が、すごく出るって…。

 で、ね、わたしも、その目、見たくって…、それで、鏡の前で、同じような気持ちになったら、色、変わったんだよ」


 その話には、善之助だけでなく、こうも、そして、すずまでも、驚いた。

 すずも、その話は聞いていなかったのだ。


「アヤ…、ひとりで…、やってみたのかい?」

 すずが聞いた。


「うん、何回もやって…、うまくいったんだ。

 もう、いつでもできるよ。

 今、やってみようか?」


 いつでもできるということに、またもや大きく驚いた善之助が、アヤとすずの話に割り込んだ。

「アヤ、すまないが…、是非、今、やってみてくれないかい?」


「うん、いいよ」

 と、アヤが言って、善之助の方を見た。


 善之助と目が合うなり、急に、顔が引き締まり、やや目がつり上がる。

 と、明るい茶色の瞳がスゥーッと暗くなった。

 すると、そのセピア色になった虹彩に、じわっと、赤味が差した。

 瞳の表面に、フワッと金色の筋が流れた。


 善之助は、ザワッとした感触とともに、全身に、震えが来た。

 こうも、善之助の隣から見ていたが、やはりザワッとし、その後には、全身、鳥肌が立っていた。



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