第4章  アヤさん

4-1  古い家系


 櫻谷家は、古くから続く家系であった。

 元々は、武士だったらしいが、特異な才能を持つ人間が多く出て、徐々に、祈祷や魔物退治を引き受けるような家柄になっていた。

 長らく、そのような、武士と神官が混ざったような生き方をしていたらしいが、どのような流れか、江戸時代の中頃には、川越で酒問屋を営む商人となっていた。


 商人であるため、表にこそ出さなかったが、『櫻谷』の名字は、家としての歴史が絡んだものであり、また、皆の誇りでもあり、一族をまとめる寄辺よるべとして、江戸時代の間も、大切にされていた。


 その櫻谷家には、祈祷と魔物退治に関するいくつかの伝承があり、特に、魔物退治のためには、巻物に記された秘伝書なるものも数巻あった。

 また、それととともに、魔物退治に必要な、古くから伝わる家宝があった。

 それが魔伏まぶせの妖刀『霜降しもふらし』だ。

 竹と銅で不思議な模様に編まれた鞘に収まるその小刀は、魔物退治、特に妖魔撃退には欠かせない刀であった。


 ただ、この刀を使いこなすには、一族の人間でも、特別な資質が要求された。

 その資質については、おのれのすべての気を妖剣の先端に集中できる力を持つこと、というような言い方が、代々受け継がれてきた。

 また、その特質を持つものは、気が湧き上がり、満ちるとき、急に、目の色が暗くなると言われていた。


 その力がさらに強いものは、その、セピア色になった瞳に紅がさし、黄金色に輝く、『神宿る目』になると伝えられていた。

 『神宿る目』となったときには、その者の動きは、常人を、はるかに超えた強さ、速さになることも、伝説となったいくつかの話を引き合いに、必ず語り添えられることであった。


 戦国時代、その不思議な力を持ち、また『神宿る目』となることのできる櫻谷家の先祖が、ある出会いから、この妖剣『霜降らし』を譲り受けたとき、櫻谷家が、単なる武家ではなくなったときでもあった。



 由之助の祖父が善之助。

 その善之助の曾祖父、善行は、その力を持ち、各地で妖魔を退散させた。

 江戸時代中期のことであった。


 善行は、その力を持ち、極度に緊張すると、目の色が急に暗くなった。

 ただ、その、セピア色になった瞳、虹彩が、赤味を帯びることはなかった。

 妖魔に対しても、妖刀『霜降らし』をかざし、妖魔を分散させたに過ぎなかった。


 『神宿る目』にはならなかったが、それでも、善行は、その力を持っていた。

 分散した妖魔は、しばらくは、なりを潜めた。

 他の、奇怪な事象も、その多くは、櫻谷家に伝わる秘技で、解決へと導くことができた。

 善行の名は一円に広まり、尊敬を集め、それに伴って酒を扱う店も繁盛した。



 善之助が生まれたときには、善行はすでに他界しており、善之助は、直接会うことはなかったが、その、伝説となった善行の活躍は、幼い頃からよく聞かされた。


 そして、60歳を過ぎ、店を息子に譲った善之助には、大きな悩み…、憂いに似た悩みがあった。

 それは、自身はもちろん、子どもたちも、また、孫の善一も由之助も、その力の継承者ではなかったことである。

 善之助の曾祖父以来、5代にわたって、櫻谷家に、その力の継承者が出なかったことになるのだ。


 自分は、櫻谷家の当主として、力を持ったものを見たことのない最初の人間なのではないだろうか、とまで考えるに至り、やるせない思いに包まれるのであった。

 このまま、櫻谷家から、その力を持つものが絶えてしまうのではないかとすら、善之助は考えた。


 数年間、思い詰め、やがて、血縁の者にあたり、その家族に力を持つものがいないかどうか、訪ね歩いて探し出そうかと考え始めた。


 そんな折、同居する妹、おこうのところに、おこうの娘、『すず』が訪ねて来るとの連絡が入った。

 明治26年のことである。


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『こう』は、文久元年(1861年)に、御家人、国安くにやす信友のぶともの嫁となり、川越を離れ、江戸に出た。

 仕事で川越に来た国安信友に見初められ、是非にと乞われての輿入れであった。

 気ままに暮らしたいと、嫁入りが遅れていたこうだったが、信友には、不思議と、惹かれる気持ちが強かった。


 商家から武家への嫁入りであったが、櫻谷家に残る武家的な雰囲気も持ち合わせ、また、利発なおこうは、難なく国安家に馴染んだ。

 夫婦仲睦まじく過ごし、翌年、文久2年に『鈴江』、慶応元年(1865年)に『梅埜うめの』、2人の娘を生んでいる。


 夫の国安信友は、近所ではお船方様と呼ばれる、幕府海軍に属する役人であったが、幕末が近付くにつれ、周囲が慌ただしくなってきた。


 慶応4年(1868年)、後に明治元年とあらためられるその年、国安信友は、時流を読み、自らの処し方を真剣に考えた。

 その結果、三河以来の御家人であるおのれの身を考え、職務に殉じる覚悟をした。

 しかし、職務を全うした場合、幕府が崩壊すれば、おそらく罪人扱いとなるであろうことは容易に想像できた。


 そのときに、自らが頼み込んで、遠く川越から嫁に来てもらった愛妻、こうに累が及ぶようなことになってはならないと思った。

 これは、自分の生き方、家に、また、職務に殉ずることとは別のことで、こうに何かあったのなら、信義にも反すると考えた。


 さらに、大きな問題がある。

 こうとの間に生まれた愛娘まなむすめたちである。

 この子たちは、何が何でも守り通さなくてはならない。


 さて、どうするべきか…。

 信友の大きな悩みだった。


 国安信友は、深い思案の末、方針を固め、動いた。

 妻こうを離縁して川越の里に戻し、6歳になる娘『鈴江』と、その妹、3歳の『梅埜』を、子どものいない出入りの商人、常吉つねきち、よね夫妻の養女とした。


 事が起こる前に、こうを離縁し、江戸から遠く、商家である川越の実家に戻してしまえば、また、自分の子どもが一緒について行かなければ、こうにまで危害が及ぶことはまずないだろう。

 娘たちも、商人の子となれば危害は及ばないだろうし、おそらく、混乱の中、自分との繋がりもわかることはないだろう。

 それが、国安信友の、考えだった。


 その後、国安信友は、榎本武揚の動きに伴い、お船方としての職務につき、江戸を離れ函館に向かうが、そのまま、行方知れずとなっている。

 こうは、信友の配慮であり別れの時の言葉である、『再婚するもよし…』を無視し、その後、生涯、1人を貫いた。


 商家の養女となった2人は、子どもたちにとって違和感のないようにとの配慮のもとに、鈴江は『すず』、梅埜は『うめ』と名を改められ、常吉つねきち夫妻により大事に育てられた。

 名を改めたのは、商家に合わせるためでもあったが、何よりも、国安の子であることを隠す、用心のためであった。


 それから14年たった明治15年、すずは20歳はたちとなり、常吉の遠縁にあたる鉄二を婿にむかえ入れ、夫婦となった。

 それとほぼ前後して、常吉夫妻は、商売を広げるために、浅草に、今でいう支店のような店を開き、その店を、鉄二とすずに委ねた。


 翌年、明治16年、すず21歳の時に、アヤを生んだ。


 すずは、鉄二と、また、両親の店から付いてきてもらった番頭さんとの3人で、一生懸命に働き、店は繁盛した。

 店の規模も、徐々に大きくなり、番頭さんのほか、3人の使用人を抱えるようになった。

 また、その間に、アヤには、2人の弟ができていた。



 そして、アヤが10歳の時、その事件が起きた。

 ここ数ヶ月で、輝くように美しくなってきたアヤに、近所の札付きの不良少年2人組が目をつけた。

 交互に跡をつけ、アヤが1人になる時を探った。


 アヤは、普段は、いつも、ねえやさんが一緒だった。

 ただ、朝早くに、近所の神社にお参りをするときだけは、アヤはひとりで行っていた。


 2人組は執拗にチャンスをうかがい、とうとう、付近に人のいないときに、アヤがひとりでお参りに来るというタイミングを掴んだ。

 好機とみると動きは速かった。


 周りに人がいないことを確認し、神社の裏藪に通ずる小道に潜んだ。

 アヤが、その小道の前にさしかかった。

 2人は飛び出して、1人が後ろからアヤの口を押さえると同時に、2人で両脇を抱えるようにしてアヤを小道に引きずり込んだ。


 そのまま、アヤを引きずって神社の裏の藪まで走り、いたずらする場所として探し出していた、藪陰の小さな空き地にアヤを押し倒した。



 その2時間後、役所勤めの初老の男性が、役場に行くためにその小道を通ったとき、神社裏の藪からうめき声がするのに気が付いた。

 藪陰を見ると、そこには、近所でも評判の悪い2人組が、血だらけになって転がっていた。

 男は、すぐに近くの家に声を掛け、警察に通報してもらった。


 2人とも、強く殴られた痕のほか、1人は片腕の骨が砕け、もう1人は、足の骨が折れていた。

 しかし、あとで、誰にそのようにされたのか、警察が聞いても、2人の答えはあいまいなまま終わった。



 それよりも前、すずが店を開く支度をしていると、泥だらけになって、アヤが帰ってきた。

 着物の袖が切れ、右腕と手の甲に傷があり、そこからは、血が出ていた。

 すずがあわてて調べてみたが、ほかに大きな怪我はしていないようだった。

 とは言え、こんなことは初めてなので、すずは、店を番頭さんに任せ、アヤを、家の奥に連れていった。



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