3-4  妖魔 Ⅰ


 川に沿って、緩やかな上り坂が続く街道。

 谷間の小さな集落を抜け、そのはずれから、やや進んだところ。

 山裾にあるほこらへの、粗雑にできた石の階段。


 梅雨の合間の長い1日も終わりに近づき、夕暮れまぢか。

 アヤは、街道沿いの、その石段に腰を掛け、時を待っていた。


 静かだ。

 下の川から、瀬音が遠く聞こえる。


 風もやんだ。

 蒸し暑さで、汗が滲み出てくる。

 もう少しだ。


 #


 アヤが、その依頼を聞いたのは、10日ほど前のことだった。


 アヤの夫、由之助よしのすけが、東京府の西の端近くにある古里こり村にすむ友人、吉田源也げんやを通して受けた話。

 受けたとは言っても、二つの依頼のうちの一つだけ。

 あとの一つは、実際に、一度、古里村に吉田を訪ね、現状を調べてから、結論を出すというもの。

 実は、この動きが一つ目の依頼と重なるのだが。


 一つ目の依頼。

 それは、古里村よりもさらに西、小河内おごうち村の中ほど、河内こうちから留浦とずらにかけての所々で、立て続けに奇怪なことが起こり、物の怪か妖怪の仕業ではないかとの評判が立っていた。

 それを詳しく調べ、その原因を明らかにして欲しい。


 そして二つ目の依頼。

 もし、それが、物の怪か妖怪の仕業であれば、是非とも、それを退治して欲しいというものであった。



「曲がりくねった筋のように畑が掘り返されたり、同じように藪が切られたり…。

 しかも、近くには、温泉場もあるようだし…。

 そんな話からすると、例のものかもしれんしなぁ…」

 アヤの夫、櫻谷由之助が、のんびりとした感じでアヤに言った。


 櫻谷家は、川越の酒問屋。

 さほど大きいわけではないが、歴史は古い。

 従って、酒の売買が表の生業だが、実は、もう一つの家業も持っていた。


 それは、代々、祈祷や魔物退治を請け負っていたのである。

 近郊の農村では、酒よりも、こちらの方で名が売れている家柄であった。

 江戸時代の中期の頃、櫻谷家所縁ゆかりのものが、厄介な魔物を退治したという話が、数カ所の村に残っており、そのため、代々、何かの折りに、ここの祈祷を願うものが、数多くいるのだ。


 酒問屋は、40歳になる長男の善一がすでに継いでいて、また、善一は、商売に熱心であることから、必然的に、次男の由之助が、祈祷や、魔物退治の対応をすることになっていた。

 由之助本人は、自分は祈祷や魔物退治には向いていないと言って、動きは極めて消極的であったが、善一が、酒問屋の商売だけに集中できるのは、アヤの存在が大きかったのである。



「わたしに行け、ということですか?」

 アヤが、強めの語調で確認した。


「そんな…、アヤさんに、行け、だなんて…、そんなことは言わないよ。

 おれは、一度、源也のところには行かなきゃなんないんだから、まあ、そのときに、ご一緒にいかがですか?ということだよ…。

 向こうに行って、調べて、妖魔だったら、二つ目の依頼、退治するには、いずれにせよ、アヤさんを呼ばなきゃなんないからねぇ」


 由之助は、妻を『アヤさん』と呼んだ。


「妖魔退治、ですか…。まあ、よしさんが行くんなら、どこに行くのでも、ご一緒していいんですけれどもね」


「そうなの?本当なら、それはうれしいねぇ。

 今は、青梅鉄道ができているから…、ずいぶん楽だと思うけれど、ね。

 終点の日向ひなた和田からは、馬でも頼んであげるよ」


 吉田源也は、小河内村の少し手前になる古里こり村、その棚沢という集落に住んでいる。


「急に優しくなって…。歩きでいいですよ」


「急にって、いつも優しいじゃないか。

 でも、棚沢までは、たしか4里くらいはあったように思うぞ。

 どうせ、荷物もあるので、馬は頼むし…」


「荷物が馬なら、なおさら…。

 4時間程度のものじゃないですか」


「まあ、確かに、なんてことない距離でもあるよな…。

 そうだ、終わったら、その、温泉にでも寄ろうかねぇ」


「妖魔だと…、温泉、近いんでしょうねぇ」


「ああ、多分、妖魔が出ると騒がれているところより、ちょっと手前のところだったと思うよ。

 鶴の湯…とか言ってたかなぁ?古くからの、いい湯治場らしいよ」


「そうですか、それじゃ、早く片付けて、数日、そこでゆっくりとしましょうか?」


「いいねぇ…。それじゃ、決まりだな」



 3日後、夕方、雨の中、アヤと由之助は吉田宅を訪れた。

 4里を歩いた2人はずぶ濡れだったが、吉田は2人に、湯を用意してくれていた。

 

 次の日、朝早い食事のあとすぐに、吉田に連れられ、小河内おごうち村の河内こうちにある、吉田の友人、村田仁兵衛じんべえ宅に向かった。


 やはり4里近くの道だったが、途中途中で、アヤの気になったところも見て回り、村田宅についたのは、夕方近くになっていた。

 村田の家は、昔、河内だけで、ひとつの村だったときの、村の中心となる場所の近くにある、比較的大きな家だった。


 アヤは、河内の手前、原と呼ばれる地域でも、話しに聞いたのと同じような、いくつかの痕跡を見つけた。

 また、温泉の場所もわかり、いろいろなつながりから、経験上、妖魔の可能性が高いことを認めていた。


 それは、モグラが通ったような痕とも見えるが、もう少し細い蛇が、地表近くの地下を這い回ったような感じもする痕だった。

 ただ、そのような動物の痕とは、決定的に違う点があった。

 それは、畑だけでなく、木々の根が密集している藪の中だろうが、小石が多い河原のようなところだろうが、関係なく続いている点であった。


 そのような筋は、数本がほぼ並行に走り、そのまま、左右に揺れて進んでいた。

 しかし、遠くから見ると、その軌跡は大きく渦を巻いて、中心に向かい、中心に到達すると、スッとほかに移動する。

 そこから、また、ゆるく弧を描いて動き始め、大きな渦を巻く、といったような動きを繰り返しているようにも見えるのであった。


 昔は、怪しい魔物の痕跡と考えられていたもので、このような痕を『妖魔の仕業』と噂するものも多くいた。

 しかし、アヤと由之助は、数年掛けて細かく調べ、その痕跡は、物の怪や魔物の仕業とは、まったく別の現象なのではないか、と考えるに至っていた。


 地の底、深い深い地の底から、地表に向けて吹き上げてくる、何らかの大きな力。

 見ることはできないが、大地の活力とでも言えるような大きな力が、何本もの、非常に細い線状になって吹き上がってきて、地表に出て大気とぶつかり、その衝撃そのものが、まるで生き物が、地表近くでのたうち回るように、渦を巻いて吹き荒れているのではないかと考えたのだ。


 従って、それは、今まで言われていたような魔物の仕業ではないという結論であったのだが、逆に、由之助は、それを、『妖魔』と呼ぶことにした。

 それは、古くから、櫻谷家に伝わっている魔物を撃退する秘術のひとつ、『妖魔降霜陣』のなかで述べられているところの妖魔、そのものだったからである。


 その、妖魔を退治する方法、吹き荒れるエネルギーである妖魔の動きを確実に止める方法は、秘伝中の秘伝、そして、櫻谷家の人間でも特異な力を継ぐものでなくては使えない技だった。

 櫻谷家に伝わる不思議な力。

 そして、今、それを使えるのが、アヤ、ただ1人だけだったのだ。



 河内こうちの村田宅に着いた一行は、仁兵衛じんべえの歓迎を受けた。

 源也の友人という紹介であったが、歳は、由之助の兄、善一と同じ、40歳だった。

 この村田が、今回の真の依頼主だったのだ。


 その夜は、酒を酌み交わしながら、河内周辺で起こる奇怪な現象について、仁兵衛から詳しく聞いた。

 特にアヤが興味を持って聞いたのは、その現象の起きた場所についてであった。

 アヤが、詳しく聞こうとすると、仁兵衛は、わざわざ大きな紙を用意して、地図を書き、詳しく教えてくれた。


 アヤは、今日見てきた『妖魔の仕業』と思われる痕跡や、仁兵衛の話から、今現在、この地で妖魔の現象が起きていることを、確信するに至った。

 ただ、その動きを止めるには…、言い換えれば『妖魔を退治する』には、その動きを、もう少し正確に捉える必要があった。

 その旨を、由之助に伝えた。


 由之助は、話しの合間を見て、仁兵衛に言った。

「今、村田殿から伺ったお話、また、今日、原や河内で見てきた痕跡、これらから考えますと、どうやら、古くから『妖魔の仕業』と言われていた現象が、今、この地で起きているものと思われます」


 由之助は、妖魔を、どのようなものと考えているかについては触れず、ただ、客観的に、一番目の依頼の答えを述べるに留めた。

 由之助とアヤの考えは、まだ、2人がそう見ていると言うだけのもので、何の証拠もなく、また、話したところで、今の世で、受け入れられてもらえるようなものでもなかった。


 話は二番目の依頼、すなわち、妖魔の退治に移った。

 由之助は、もし退治するのなら、さらに詳しく、動きを調べる必要があることを話した。

 仁兵衛は、近隣の人々の心を騒がせているこの妖魔を、是非とも退治して欲しいと願った。

 また、そのためには、自分の家を、自由に利用して欲しいことも伝えた。


 アヤと由之助は、村田宅に、しばらく逗留することになった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る