第3章  妖結晶

3-1  新しい住まい

 翌朝、おれは、ホテルの部屋で目が覚めた。

 顔を洗って、まず、スマホの電池の残量を見た。

 まだ少しあるが、早めに充電したい気分。

 充電器、欲しい…。


 ホテルの寝間着から、昨日着ていた服に着替えて、1階のレストランへ。

 8時半過ぎ。

 もう、遅い時刻ということなんだろう、レストランはいていた。


 洋食か和食の選択。

 普段だと迷わず和食となる。

 それは、ご飯をしっかり食べないと、どうも腹が満たされた感じがしないから。

 でも、今日は、どういうわけか洋食の気分。

 オレンジジュース、ハムエッグにサラダ、ポタージュスープ、パン、コーヒー。

 すばらしい…、これが宿泊とセットになっているらしい。


 出るときに、フロントで、サインだけはするように言われているが、ホテルの費用はどうなるのかは聞いていない…。

 もう、こういうこと、いちいち考えるのやめよう。

 なるようになるさ。


 部屋には、何の荷物もない。

 本当の手ぶらでの宿泊、替えの下着やスマホの充電器も持たないでの宿泊なんて、初めてだ。

 考えてみると、このまま、フロントで鍵を返して、ホテルを出ても、なんの問題もないのだ。


 そんな状態なんだけれど、この、ゆっくりとした朝食、何となく、リッチな感じ。

 あらかた食べて、コーヒーを一口、ふと思う。

 昨日のドタバタした感じ、いったい、なんだったんだろう。

 おれとしては、盗賊を見たわけでもなく、実際に襲われる気配を感じたわけでもなく、ただ、みんなと一緒に、ワサワサワサワサと逃げ回っていた感じ。


 そんなことを考えていると、だんだんと、この4日間、夢の中だったような気もし始めてきた。

 あんまりにも、今までの日常と違うんだもんなぁ…。

 それも、あの指輪が手の中に跳び込んできたときからの急変。

 指輪を握ったあの瞬間に、異世界にワープでもしたような感じ。

 あやかさんと相棒になったことも、引っ越したことも、みんな夢だったりして。


 夢か…。

 ゆっくりと椅子の背もたれに体を預け、テーブルからやや距離を置いて…。

 右手を胸元に持ってくる。

 近くで人が見ていないことをチラッと確認。

 テーブルの端にある、塩が入っている小さな瓶を、しっかりと見る。

 それを握っている強いイメージを持って、エィッ、引き寄せてみる。


 手からは、1メートル近く離れていた瓶。

 手で感じを探り取ることのできない距離にあった瓶。

 フッと消えて、それが、今、手の中にある。

 あ~あ、よかった、夢じゃなかった。

 瓶をゆっくりと、元の場所に戻す。


 173ミリの『ひとなみ』は173センチの『ひとなみ』に進化したままだった。

 でも、触ったように感じることができる距離は、173ミリのまま。

 あやかさんから言われなければ、ずっと、2つの力が1つのままで、どっちも173ミリだったんだろうなぁ。

 こういう時って、自分だけでは、わかりようがないのかもしれない。

 人の考えを聞くって大事なことなんだと、今更ながらに思った。


 給仕をしてくれる人が、空のカップに、コーヒーのお代わりを入れてくれた。

 こういうのに慣れていないので、ちょっとした驚き。

 また、暖かいコーヒーを、口に。


 さてと、ホテルの前で、10時頃か…。

 デンさんが迎えに来てくれるまでには、まだ、少し時間がある。

 そういえば、デンさん、昨日はずっと運転で疲れただろうな…。


 そうそう、なんで目覚めたのがホテルなのか、を、言おうとして、忘れてた。


 昨夜、東北道を走っているとき、美枝ちゃんからあやかさんに電話が入った。

 まあ、3人とも無事で、今、やはり、東北自動車道を走っているという報告。


 おれたちの乗る車が、デパートを出てすぐに、さゆりさんが美枝ちゃんに連絡し、美枝ちゃんたちは、それからホテルを出た。

 こちらの動きを盗賊たちに悟られないための手はずだったようだ。


 それで、美枝ちゃんからの電話、おれのことが付け足された。


「リュウ、美枝ちゃんがね、部屋の準備が間に合わないから『リュウさんは、今晩、ホテルでお願いします』だってさ。うちに着く前におろすからね」

 あやかさんはそうおれに言ってから、デンさんに、ホテルの名前を言って、そこで、おれを降ろすことを伝えた。

 

「どこかで、美枝ちゃんたちと合流するんですか?」

 と、勇気を出して聞いてみた。


 おれは、荷物を何も持っていない。

 本当に、スマホと財布だけ。

 まあ、あと、ハンカチとポケットティッシュも持っているけれど、それだけ。

 これだけでホテルに泊まるのは、ちょっとな~。


「今回は、相手の動きがまったくつかめていないから、このまま、バラバラにうちまで行くよ。こっちは、途中で、この『貴婦人』、返しちゃうつもりなんだ」

 あやかさんの返事。


 狙われている『湖底の貴婦人』をお父さんに戻せば、厳重に警備されている金庫に仕舞われて、もう、襲われる心配はなくなるということ。

 なんせ、盗みに来ても、ほかの妖結晶は盗らなかったというほどに、狙いを『湖底の貴婦人』強奪だけに絞っているような連中。

 よけいな争いはしないだろうと言うことだ。

 それを聞いて、もう、これ以上、荷物のことは言えなかった。


 で、東京に着いてから、おれはホテルの前で降ろされた。

 あやかさんたちは、ホテルからさほど遠くないらしい、あやかさんのお父さんがやっている宝石を扱う会社へ。

 このホテルも、そちらの会社の関係で、急きょ、押さえてもらったものらしい。


 #


 あやかさんのうちの別邸。

 別邸とは言ってもかなりの大きさだった。

 おれが住んでいたアパートの建物と、たいして変わらないくらいの大きさ。


 その別邸、南向きの二階建てで、北側中央に玄関。

 でも、そこで靴は脱がない。

 だから、コンパクトなマンションみたいな感じ。


 玄関正面は階段になっていて、踊り場の向こうには大きな窓。

 そこから見える、木々の緑がきれいだ。

 そこで階段は右に折り返して2階に上る。


 階段の手間には左右に伸びる広い廊下があり、北側は窓になっている。

 南側には部屋に入るドアーがある。

 玄関から左と右、それぞれに2室ずつある。


 1階、玄関左側、だから東側になるが、奥の部屋には島山さん。

 その手前の部屋は、事務室として使っているとのこと。

 右側は、手前が浪江君で、奥は、おれはまだ会っていない有田さんという人。


 2階も同じ作り。

 でも、階段は、まん中でぐるっと反対を向くから、階段を上って廊下に出ると、北に向かっていて、右が東側になる。

 その右奥が美枝ちゃんの部屋、島山さんの上になる。

 その手前の部屋は、河合北斗君。


 左側、2階の西側半分は、いままで使っていなかったそうだ。

 それで、いろいろと荷物が入っていたりで、片付けと清掃に時間がかかってしまい、最終的な調整は、昨夜遅くになってからだったそうだ。


 最終的な調整って言うのは、意味がわからなかったけれど、今まで物置に使っていたところに、急きょ、おれが入ることになったので、大変だったんだろう。

 その最終的な調整、昨夜からの続き、今朝の7時頃から始まって、10時頃になってようやく終わったそうだ。

 

 で、今、11時少し前。

 すぐに部屋に入ることができた。


 入ってみて驚いた。

 本当に、マンションみたいだ。

 1LDKだけれど、ベッドルームがかなり広い。

 そこに、ちゃんと大きめなベッドが置かれ、布団も用意されていた。

 それに机と椅子。

 この部屋だけで、今まで住んでいたところくらいの広さを感じる。


 LD…,リビング、ダイニングルームも、テーブルと椅子があり、余ったスペースもかなり広い。

 台所も、とりあえず、必要なものは、すべて揃っていた。

 ここにあるもの、すべて、自由に使っていいそうだ。


 このようなことや、身の回りの世話などは、美枝ちゃんの配下、静川康江さんという50歳くらいの女性が取り仕切っているとのこと。

 普段は、あやかさんの家の方で働いているらしい。

 家政婦さんの親分的な存在。


 日当たりのよい窓の外は、木々が茂る20メートルほどの余裕があって、その向こうは道路のようだがよく見えない。

 すごくいい環境。


 良いことずくめで、逆に、なんとなく不安な感覚が湧いてきた。

 こんな待遇を受けるほどの仕事って、どんなこと、やるんだろう…。


 美枝ちゃんをはじめその配下の人たちも、ちょっとしか見ていないが、なるほどと、おれが納得するような、優れたものを持っている。

 でも、それに比べ…、おれは…。

 評価されていることなんて、ひとなみ、173ミリのサーチ能力と、173センチの位置換え能力だけじゃないか…。


 窓の外、青葉の輝きから部屋に目を戻すと、リビングの隅に、段ボールが6個置いてあるのに気付く。

 その上に、ちょこんと、美枝ちゃんに預けたおれのカバン。


 あ~あ、いい環境に来ると、すぐにビビっちゃって、なんだか情けないな…。

 なるようになれ、だ、よね。


 カバンから充電器を取り出し。まず、スマホの充電を始めた。

 次に段ボール箱を開け、風呂場の脇にあった洗濯機で、洗濯を開始。

 もちろん、その前に、着替えをした。


 昼を、あやかさんのうちで食べることになっている。

 あれっ?洗濯、間に合うかな?

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