2-15 さよなら仙台
「ずいぶん急ぐことになったんですね」
売り場の隅っこ、周りからはちょっと陰になるところにある椅子に座って、あやかさんとお話。
もちろん、ひそひそ声で。
「ちょっとねぇ…。さっき、昼過ぎにね、この階の副主任という人が来てね…」
主任さんは、毎日、開店前と閉店後に、挨拶と宝石の出し入れの確認に来るが、この副主任さんは、今まで一度も来たことがない。
中年の中でもやや歳がいった感じの女性なのだそうだが、最初から、どうも、あやかさんたちとは距離を置いている感じがしていたそうだ。
その人が、わざわざ挨拶に来た。
とは言っても、展示販売会の最終日ということを考えれば、何ら、不自然な動きではない。
いろいろな儀礼的な話をしたあと、『今晩は、仙台の街に出て、打ち上げ会でもおやりになるのですか?』と聞かれたそうだ。
その時、あやかさん『そうしたいんですけれどね…。宝石を持っているということもありますから、ホテルで軽く、と言うことになるんだと思いますよ。ちゃんとやるのは、帰ってからですかね』と笑いながら答えた。
でも、その質問を出されたとき、あやかさん、この人は怪しいと思ったそうだ。
通常、最終日、5時に展示を終わって、その日のうちに帰ることが多い。
もちろん、通常は、あやかさんたちは来ない。
それは『湖底の貴婦人』の展示はないから。
今回は特別。
ならば、よけいに、当日帰ることになりそうだ、と、普通は考える。
それなのに、なぜ、今回の展示会では、最終日の今晩も仙台に泊まる予定である、ということを知っていたのか。
仙台での宿泊、あやかさんのお父さんの会社の方で、すべての手配から精算までしてくれるのだそうだ。
「だから、泊まるかどうか、はっきりしないけれど、その時は、真剣に考えるの、面倒だったから、一応、今晩も泊まることにしておいたんだけれどね…。
それが、どこかで、漏れたんだろうね…」
それに、朝、来た男、あやかさんが危険を感じ、目の色が暗く変わり、赤味が差したのを見て、あわてて帰って行った。
「あの時まで、わたしが来ているとは考えていなかったんだと思うのよ」
「目の色が紅く変わる美女には注意しろ、というのは、あちらさんでは、よく言われていることらしいですからね」
ああ、ビックリした~…。
気が付かない間に近くに来ていたさゆりさんが、からかうように付け足した。
「何よ、サーちゃん、少しは変わるけれど、そんな赤くまではならないわよ。寝不足じゃないんだから」
「まあ、そうなんでしょうけれど、朝の男、おどろいたでしょうね」
「うん、色が変わるときって、自分でも、何となくわかるのよ。あっ、変わっちゃったと思ったとき、あいつ、目をそらして、あわてて帰って行ったんで、なんか、企んでいるんじゃないかと思ったのよ」
「その計画、変更せずということなんでしょうね…。お嬢様が来ているのを知った上での、副主任さんの探りですからね…」
この話で、やっと全体がわかった。
相手は、顔を見せてまで、本物の『湖底の貴婦人』であることを確認している。
必ず盗るという、意志を高めることにもなるのだろう。
ただ、そこで、注意が必要なあやかさんが来ているのを知った。
そう、会ってしまったのだ、目の色が紅く変わる美女に。
それでも、おそらく配下、あるいはその手先である副主任さんに、あやかさんたちが、今晩、仙台に泊まることを確認させた。
次の襲撃の計画があった。
その変更はない。
今晩が怪しい。
「ひょっとして、昨夜の失敗は、盗賊にとっては、絶対に許されないほどの大きな汚点だったのかもしれませんね…」と、さゆりさん。
「それは、あるわね…。まあ、こっちも、迎え撃つ手がないわけじゃないんだけれど、危険なのは、連中は、普通、3人で動くからねぇ」
何かを考えながら、あやかさんが言った。
もちろん、副主任さんは単なる手先、この3人の中には含まれない。
あやかさん、迎え撃つ手でも考えているのかも…。
でも、ちょっと、悔しそう。
「ええ、そうですね。それに、3人だった場合、あの人たちの行動パターンから考えると、残りの二人は、朝の人より、強いんでしょうし…。
先ほどの、すぐに引き上げるという、お嬢様の決断、正しかったと思いますよ」
さゆりさんがフォローした。
でも、『連中』とか『あの人たち』とか、それに、美枝ちゃんの言っていた『特殊な強い相手』とか、その行動パターンまで知っているような相手らしいが、それに関すること、おれ、な~んにも教えてもらっていない。
「そうだね…。うん、やっぱり、今回は、『逃げるが勝ち』でいこうね」
そう言って、あやかさん、立ち上がって、売り場の方に出て行ってしまった。
聞きたいこと、いっぱいあったのに…。
そんな顔で見送っていたのだろう、さゆりさんが、今まであやかさんが掛けていた椅子に座って、おれに言った。
「リュウ君、もっと聞きたいっていう顔してるわよ」
「ええ、もっと、もっと聞きたいんですよ。あ、さゆりさん…」
そうだ、さゆりさんに聞けばいいんだ。
そう思って話しかけたら、さゆりさん、優しい手つきで
「東京に着いてから、お嬢様が、ちゃんと話してくれるわよ。いろいろと、面白いお話、聞けると思うわ」
「面白い…んですか?」
「ええ、とても…。とても面白いお話よ」
「なら、今でもいいと思うんですけれど…」
「フフフ…、面白いけれど…、ほんとに面白いんだけれどね、リュウ君が、それを、どう感じるのかが、お嬢様、心配なのよ」
「おれが、どう感じるか、が、ですか?」
「ええ…。フフフ…、お嬢様、長い間探していて、やっと見つけた相棒に、逃げられるのが恐いんじゃないかしら?」
そう言って、さゆりさんも立ち上がり、ニコッと微笑んで、売り場に出て行ってしまった。
どういう意味なんだろう?
すごく、複雑。
頭の中では、いろいろな考えが湧きあがっては、消え…ないで、次から次へと湧きあがってきて、それがどんどん溜まって、ぐるぐる、ぐるぐる、回っていた。
脳みその中、台風みたいな状態…。
4時ちょっと過ぎ、だから、あと1時間弱で撤収と言うとき、このデパートに勤めている藤山が、宝石売り場に顔を出した。
メチャきれいな人がいると電話で教えてくれたヤツ。
藤山には、さっき、あやかさんに断って、電話した。
飲みの約束の取り消しがメインの電話だったんだけれど、ここにいる話をしたら、『4時頃休憩を取るから、ちょっと顔を出すよ』ということで、ここまで来てくれた。
このデパートに勤めているんだけれど、職場は、ここからちょっと離れたビルの中。
話をできたのは5分ほど。
今日出発だとは言えなかったが、そのうち仙台を出るので、また会おうな、と言うことでバイバイ。
メチャきれいな人に、ちゃんと紹介したので喜んでいた。
ちょっと、うらやましがっていたけれど…。
でも、今晩、仙台を離れるというのに、やっておくことって、これだけだった。
これだって、東京に行ってからの電話で、ことは足りたのかもしれない。
思い出はいっぱいあるんだけれど、離れたらなくなっちゃう物なんて、あんまりないのかもしれないな。
5時になった。
ちょうど、売り場に人がいない。
すぐに作業が始まった。
あやかさんに言われ、妖結晶に蓋を正確にすること、折りたたむこと、ケースに入れること、しっかりと手伝って、そのケースを入れたアタッシュケース、ちょっと重いんだけれど、2個を両手で持った。
主任さんは、5分ぐらい前に来てくれていた。
それをみて、さゆりさん、デンさんに電話。
片付けが終わり、あやかさん、主任さんに、もう一度、丁寧な挨拶をして、売り場を離れる。
この時のあやかさんの雰囲気、至ってのんびりした感じ。
でも、動きはスムーズ。
裏に入り、名札などを渡してサインをすると、すぐに、社員用の出口へ。
外に出ると、車が待っていた。
デンさんたち、着いたばかりとのこと。
すぐに乗車、おれは、言われるままに、一番後ろの席に。
この車、わりと大きく、座席が3列あるので、ゆったり座れる。
隣座席の下に、持っていたアタッシュケースを置き、シートベルトをすると、車はすぐに走り出した。
あやかさんとさゆりさんは、真ん中の列の座席。
二人の間に、『湖底の貴婦人』が入ったアタッシュケース。
まだ明るい。
車窓に流れる、夕方の街の景色に目をやる。
6年も住んでいたのに、なんだか、慌ただしく、さよならするんだな。
若葉の開き始めた並木の梢を見ながら、大きく息を吐いた。
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