2-12 すぐに帰るよ
ゆうべ、ホテルに戻ったのは9時頃。
すぐに、あやかさん、『遅くなってごめんね』と、美枝ちゃんを解放。
美枝ちゃんは、この時間でもやってる店をフロントで聞いてから、牛タンを食べに出ていった。
美枝ちゃんに誘われ、河合君も、うれしそうに付いていった。
島山さんも誘われたらしいのだが、若い2人に遠慮し?あやかさんとおれとの3人で、昨夜と同じレストランへ。
さゆりさんは、別。
やはり、持ってきたものが持ってきたものだけに、あやかさんの部屋で留守番。
まず、あやかさんが、おれたちと夕食を済ませ、後から、1人でゆっくりと食べるとのこと。
あやかさん、『少しぐらい飲んだって平気だとは思うんだけれど、でも、サーちゃんが飲まないだろうからねぇ』ということで、『今日も、ワイン、1杯だけにしておこうね』となった。
さゆりさんは、こういう時には、絶対に飲まないんだそうだ。
あの『湖底の貴婦人』が手元にある。
やはり、皆、普段以上に緊張しているんだ、と、思った。
夕食後、『明日、早いだろうから、早くねておきなね。じゃぁ、おやすみ』と、あやかさんに言われ、そのまま部屋に。
でも、すぐには眠れなかった。
それはそうでしょう。
おれの力、自分で考えていた以上のものだったんだから。
平然と、それまで過ごしていたけれど、心の奥では、超興奮状態継続中。
しっかり物をみて、それを手にしたイメージを強く持って、引き寄せる。
テーブルに置いた財布や時計、スマホで、何度となく繰り返してやってみた。
そして、引き寄せられる距離、2メートルはちょっと無理だったけれど、1メートル半ほどならば、何とかできた。
173ミリの人並みが、173センチに、バージョンアップした感じ。
2時過ぎに、クラクラしてやめるまで、風呂に入った時間を除いて、ほとんどずっとやっていた。
ちょっとフラつきながら、明日の朝、辛いだろうな、と思いながらベッドへ。
#
それで今朝。
特に早くなかった。
昨日と同じ、7時15分の目覚ましで起きた。
何の連絡もないので、7時40分頃にロービーにおり、少し待つとあやかさんと美枝ちゃんたちが、同じエレベーターで降りてきた。
「肩すかしを食っちゃったね」
あやかさんの、最初の一言。
デパートから、緊急を知らせる電話はなかった。
さゆりさんは、もう、食事を終えて、あやかさんの部屋で留守番。
「盗賊は来なかった、ということなんですか?」
小さい声で、あやかさんに聞いた。
「う~ん…、はっきりはわからないけれど、来ても、何も盗らないで引き上げた、とみた方がいいかもねぇ…」
「来ても、盗らないんですか?」
「うん、ちょっと、
「レベルが高い、と言うことなんですか?」
おれの質問。
「ふっ、盗賊のレベルっていうのは、何をもって判断するのかよくわからないけれどね…、フフ、レベルか…、そうだね、そういう言い方ならば、かなりレベルの高い奴らって感じなのかもしれないね…、フフフ…」
あやかさん、『レベル』の言葉、どう面白かったのかわからないけれど、小さく笑っていた。
「でも、リュウ、今朝一緒に行って、サーちゃんが宝石戻すときの動き、打ち合わせのままだからね」
朝食を取りながら、あやかさんに言われた。
あっ、そうか。
監視カメラの前を、うまいタイミングで横切らなくっちゃいけないんだ。
「あやかさんは、どうするんですか?」
普通の日でも、主任さんが宝石を出す確認に来る。
そして、ショーケースはいつものままだから、話題には適さない。
「今日までありがとうございましたって挨拶が、まあ、普通なのかな…」
なるほどです。
#
デパートでの動き、全部が予定通りに終わって、11時頃、一度ホテルに戻った。
すべてうまくいった。
主任さんへのあやかさんの挨拶も、宝石を戻すときのタイミングはもちろんだが、自然で、ちゃんとした、心のこもった、本物の挨拶だった。
で、昨日、デンさんがセットしてくれた浪江君制作の計器から、今朝の3時27分にロッカーのドアーが開けられていたことがわかった。
この計器がなかったのなら、異変がおきたのかどうか、判断できなかった。
デパートへの侵入も含め、なんの痕跡も残さない完璧な仕事だった、と言うこと。
それで、あやかさん、緊張が高まったようだ。
おれに、一応、ホテルで待機していて欲しいと言ってきた。
これからの動き、変更するのかしないのか、まだ決めてはいないけれど、『荷物、一応、まとめておきなね』と、いつもと違う緊張感、ヒシヒシ。
11時半頃、あやかさんから電話がかかってきた。
「美枝ちゃんにも連絡したけれど、今日、ここが終わったら、すぐに帰るよ。
詳しくは、美枝ちゃんに伝えてあるから。
いま、すぐに部屋を引き払って、美枝ちゃんの部屋に移動していてよ」
あやかさん、かなり、緊張した声だった。
すぐに、言われたとおり、荷物を持って、たいした物がないので、もう、荷造りはすんでいたので…、忘れ物がないかの確認をして、美枝ちゃんの部屋に向かった。
どうしたんだろう?
何か、大変なことがあったのかな?
美枝ちゃんの部屋のドアーをノックしたら、河合君が、ドアーを開けてくれた。
美枝ちゃんの部屋、初めて入ったが、あやかさんと同じタイプの広い部屋。
仕事関係の荷物が多いので、河合君も手伝って、撤収作業を進めている。
でも、馴れているのか、あらかた終わっている感じ。
その美枝ちゃん、今は、スマホでお話中。
島山さんは、整理の終わった荷物を車に運んでいるとのこと。
動きが速いので驚いた。
島山さんが戻ってきて、ペットボトルのお茶を河合君とおれにくれた。
美枝ちゃんの分と、島山さんの分も持っていた。
少し経って、美枝ちゃんの電話が終わった。
「なにがあったんですか」
島山さんが美枝ちゃんに聞いた。
「ええ…、お嬢様が、危険を感じたみたい…。今度の盗賊に対してだけれどね…」
「お嬢様が…ですか?」
「ええ、今の電話、さゆりさんからだったんだけれど…」
美枝ちゃんが、さゆりさんからの話を伝えてくれた。
朝、デパートで、おれが帰ってからしばらくした頃、背の高い中年の男性が、『湖底の貴婦人』を見に来たらしい。
身なりはキチッとしていたが、頑丈そうなごつい体つきは隠しようがなく、浅黒い肌で、きつい目つきだったそうだ。
デパートの店員は、圧倒されてちょっと近づけないようだったので、あやかさんが対応した。
「これは…、本物の『湖底の貴婦人』…なんですよね?」
そう言ってあやかさんをみた男の目が、ギラリと光ったそうだ。
その時には、万一を考えて、さゆりさんが、あやかさんの斜め後ろに付いていたので、男の表情は、はっきりとわかった。
なにを意味するのかはわからないが、なにか意味ありげな男の目だったそうだ。
「もちろん、本物ですよ。正真正銘、妖結晶のエメラルド、『湖底の貴婦人』です」
あやかさん、平然として、笑みをたたえ、こたえた。
『妖結晶』を強調して…。
「どんな小細工を、したんでしょうかねぇ…」
男は、わざと聞こえるようにそう呟いて、もう一度あやかさんを睨み付けるようにみてから、唇をゆがめた。
が、次の瞬間、ギクッとした表情を浮かべ、フッと視線を外した。
あわてたように後ろを向くと、そのままさっさと出て行った。
「そのあとね、さゆりさんがお嬢様をみたら…、お嬢様の、目の色が変わっていたんだって…」
美枝ちゃんがそう言ったあとに、えっ?と言うような驚きの表情とともに『ゴクッ』と島山さんがつばを飲み込む音が聞こえた。
「それでね、その男が視界から消えるとすぐに、お嬢様が、さゆりさんに、『今日、ここが片付いたら、すぐに帰るよ。車をこっちに回すように連絡して』って言ったんだってさ。
デンさんたち、今、仙台に向かっているらしいよ」
最初の、あやかさんからの連絡で、まず、撤収が告げられ、少し経ってからの、さゆりさんからの、今の電話での、詳しい説明だったらしい。
それにしても、あやかさんの『目の色が変わっていた』と言うのは、どういうことだったんだろう。
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