2-5 実験
ホテルの部屋。
その入り口、ドアーの近く、そこに電灯のスイッチがある。
で、さっそく、実験開始。
何だ、こういう感じでわかるんだ…。
今まで、壁に手をついても、中まで探ってみようなどとは思わなかった。
いや、手をついてしまったら、中は探れない。
壁につく手前で手を止め、気持ちを込める。
感触を、そう、手に求めるのだ。
すると、まず、壁の表面を感じる。
でも、ここまでは、今までの世界。
問題は、ここからなのだ。
壁の中を意識して、気持ちを、心の焦点を、壁の奥へ奥へと進めていく。
だから、初めから、壁の中を探ってみようなどと思わなければ、こんなことは、まずしない。
今まで、壁の中を感じ取ってみたことがなかった、最大の要因。
知らなかったし、気付かなかったし、考えなかったし、だ。
それで、やってみたら、なんと、すぐに、コードがわかった。
縦にのびている細長い物体。
表面がツルツルしている、…どういうわけか、そんな印象を受ける。
まあ、触っている感じ、…触っていないけれど。
おそらく表面がビニールなんだろう、このコード。
ポリエチレンかもしれないけれど、おれには、実際に見ても区別できない。
そして、驚いたことに、そのビニールの管の中に、金属の線を感じた。
どうなってるんだ、おれの感覚。
ううう…すごい…。
凄すぎるんじゃないの?
ちょっとだけ、ハイテンションになった。
壁の中、天井に向かってコードがのびる。
それを、壁の手前から、ある程度、追跡することができた。
ある程度とは、それ以上は、手を上に伸ばしても、届かなかっただけ。
このコード、一度に、どのくらいの長さを感じているんだろう?
何回か、繰り返しやっていて、ふと湧いた疑問。
そんなことを考えながら壁の向こうをサーチしていると、感じとることのできる幅も気になってきた。
長さと幅、結局、手をかざして、一度に感じる範囲、ということなのだろう。
実際、どのくらいなんだろう。
それで、さっそく調べてみた。
すぐにわかることと思っていたけれど、正確に測るのは、案外むずかしかった。
この辺かな?いや、この辺までなのかな?と、壁に、鉛筆で、小さな点を打って、感じ取れる範囲を調べていった。
しばらくやって、壁を、ちょっと…、いや、かなり鉛筆で汚してしまったけれど、だいたいの範囲がわかった。
結果は、縦がほぼ25センチ、横は15センチくらい。
手より、やや大きいくらいの範囲。
楕円に近いようだけれど、形は、どうも、はっきりとはしない。
指の広げ方で、少し変わるような感じ。
そのあと、壁の汚れを、消しゴムできれいに消した。
なるほど、こういう思考パターンを取れば、次から次へと調べてみたいことが浮き出てくるんだ。
そのあと、ベッドの頭の近くにある時計のついたテーブルに目がいった。
すぐに、テーブルや、その周りを調べてみた。
また、バスルームに行って、水道管を調べてみたり、思いついたこと、次から次へとやってみた。
フフフ、水道管も、ちゃんと感じ取ることができるんですよ、念のため…。
こんなに、よくわかるんなら、あやかさんの言うとおり、少し訓練すれば、スパゲッティーの1本1本もわかるんじゃないか、そう思うほど、壁の向こうの、いろいろなことがわかった。
興奮して、部屋中探り歩き、次はないかと探していたとき、クラクラッときた。
サーチをやり過ぎたときのクラクラだ。
で、クラクラッとしたら、急に眠くなってきた。
そうだよ、昨夜は全然寝ていなかったんだ。
朝までずっと、部屋の整理だったんだもんなぁ…。
それに気付いたら、眠さが、もっと強くなってきた。
そうだ、今のうちに、少し寝ておこう。
タイマーを、七時半にセットして、上着とズボンを脱ぎ捨てて…。
まあ、『脱ぎ捨てて』とはいっても、そこはよい子の習慣、ちゃんと椅子の背にかけたんだけれど、下着姿になってベッドに潜り込んだ。
いい気持ちだ。
と、そこまでの記憶。
☆ ☆ ☆
8時ちょっと過ぎ、ドアーがノックされた。
すでに準備をして、ベッドに腰掛けて待っていたので、すぐに立ち上がって玄関へ。
あれ?ホテルの部屋でも、玄関って言っていいのかな?
エントランス=玄関ならばそれでいいんだけれど、違う国の言葉、完全な『=』なんてあり得ないし…。
まあ、慣れない場所ゆえの疑問。
で、その、玄関というか入り口へ。
4時間近く眠ることができたので、すっきりしている。
呼びに来てくれたのは美枝ちゃん。
「今日は、あとで、話し合いをするから、ロビーのところのレストランだってさ」
その一言だけで、美枝ちゃんは、さっさと歩き出す。
このホテルには、ロビーのところに3つ、最上階に2つ、レストランや割烹料理など、食べるところがある。
ロビーがあるのは、高層ビルの中ほどの階にある受付のところ。
どの店も、今までのおれには、縁がないような、高い物ばかりのような雰囲気。
でも、その中の、ロビーのところにあるレストランでは、このホテルに宿泊する人のために、比較的簡易なディナーセットがあるとのこと。
主菜というかメインディッシュというか、それに、スープとサラダの両方が付き、ご飯、いやここではライストいうんだけれど、またはパン。
さらに、コーヒーか何かの飲み物とデザートまでついている。
メインディッシュも、おいしくて、けっこうボリュームのある料理らしい。
こんなのもある、あんなのもあると、いくつかのメインディッシュの例を美枝ちゃんが教えてくれた。
どれもが、普段食べられそうにない、おいしそうな夕食なんで、『凄いなぁ』と小さく感想を漏らした。
そうしたら、美枝ちゃんは、ちょっと不満があるような感じ。
あっ、こういう話、エレベータの中でのこと。
で、そのエレベーターを降りるとき、美枝ちゃん、ちらっと一言。
「せっかくの仙台なんだからさ、今晩あたり抜け出して、牛タンでも食べたかったんだよね。もちろんビール付きでね…」
ああ、確かに、それは、とてもいい案だよね。
と言おうとしたら、さらに一言ついていた。
「昨夜、そうしようと思っていたんだけれど、急に仕事入っちゃって、飲めなかったからね…」
うん?これって、なんだか、どことなく嫌みっぽい感じがしたけれど…。
あれっ?昨夜って…。
うん?そうか…、昨夜は、おれとの契約や、おれの引越の段取りで…。
あれっ、あれあれ…、おれのせいになってるのかな?
昨夜、美枝ちゃんと話していたとき、こっちは、ビールの名残、ちょっと酔いが残って、いい気持ちだったんだけれど、美枝ちゃんは、それまで、いろいろと準備していて、飲めなかったんだ。
多分、あやかさんの電話で、牛タン以下すべての予定を中止して…。
美枝ちゃんの後ろに、従うように歩きながら、気が付いた。
おれ、いつの間にか、ちょっと弱い立場になっている…。
レストランに入る。
でも、こういう食費なんか、どうなってるんだろう。
今日から3泊、このホテル。
おれの仲間では、泊まる候補にすら思いつかないような、高級ホテル。
泊まった分、食べた分、月給から差し引かれて、結局はマイナス、来月は、休まずに働いてね、なんてことになったりして…。
テーブルに着くとまず、食事の前に、美枝ちゃんの配下の人に紹介された。
島山順一さんに河合北斗君。
さん付けの島山さんは57歳、大工さんや電気屋さんの仕事、とりあえず何でもできるのだとか。
凄腕の職人さんらしい。
でも、どうして、今回、一緒に来ているのか、この時は、まだわからなかった。
君付けにした河合君は21歳。
鳥山さんについて、助手のようなことをしながら技術を磨いている。
ただ、空いている時間には、美枝ちゃんに言われた仕事は、『何でもかんでも』やるそうだ。
美枝ちゃんのことを『
外で会ったら、おれは絶対に近づかない、そんなタイプ。
でも、美枝ちゃんには『ホク』と呼ばれ、美枝ちゃんの完全な支配下。
美枝ちゃんの『配下』とされる人、あと4人が、あやかさんのうちで留守番をしているということも、この時わかった。
だから、美枝ちゃん、6人を仕切っていると言うこと。
幼く見える、かわいい女の子、なんだけれど、凄い人、でもあると言うこと。
それで、おれの位置付けが、また、よくわからなくなってきた。
美枝ちゃんの下なんじゃないかな?
『配下』の人が7人になったと言うことで…。
河合君の下だったりすると、ちょっとヤバそうな感じだけれど…。
でもいいや、なるようになれ、だ。
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