2-4  意外

 スパゲティーには、小さなパンが付いてくる。

 それも食べ終わって、紅茶を飲む。

 ポットで出てくるために、3杯くらい飲めるのがいいところ。

 角砂糖、一つ一つ紙に包まれているのが十数個、小鉢にのせて、テーブルの上に置いてある。


「ねえ、これ、1個1個別々に引き寄せられる」

 あやかさんが、角砂糖を指さして、そう言った。


「ええ、たぶん」

 と返事して、やってみせる。


「だとさ、この中から、2つだけ、とれる?」

 2つ…,2つだけ…、どうなんだろう?


「ちょっと、やってみますね」

 手に感じる角砂糖。

 手前の2つを、つまむような感じで、強く意識して…。

 とにかくやってみよう。

 と、うまく、できた。


「うん、できるねぇ。じゃあ、3つは?」


「だんだん、難しくなってくる感じですね」

 と返事して、また、山になった角砂糖に手を向ける。


 そのうちの3つに、心の中で、強く焦点を当てる。

 案外、むずかしい。

 焦点を当てるもの以外のものが、気になってしまうのだ。


 うまく、3つに絞れたときに引き寄せてみる。

 できた。

 軽く握った手には、3つの角砂糖が入っていた。 


「いくつくらいまで、できそうなの?」


「手の感触の中から、区別できる範囲だと思いますけれど、多くなればなるほど疲れそうですね」


 実際、3個をやったあとは、なんだか、ふわっとした感じになった。

 これ、練習をやり過ぎて疲れたときとよく似ている。


 昔から、距離を伸ばすために、毎日のようにやっていたことだから、さすが、最近は、少し練習したくらいではなんともない。

 かなりやっても、気持ちが悪くなるほどにはならない。

 でも、本当にやり過ぎると、ちょっとクラクラとする。


「そうなの…。じゃあ、少し、練習が必要というわけね」

 まあ、確かに、練習すれば、もう少し簡単に、また、多くの角砂糖を引き寄せられるかもしれないけれど、角砂糖を取ることなんて、練習するほどのものなのかな?

 うん?ちがうな。

 あやかさん、何を想定してるんだろう?



「ねえ、今、手袋して、この角砂糖、1つでいいから引き寄せてみない?ほら、どうなるか、確認しておきたいじゃないの」

 急に、少し身を乗り出して、あやかさんが言った。

 角砂糖だと、場合によってはちょっと痛いかもしれないけれど、でも、確かに、確認しておく必要はあるな。


「そうですね。やってみますね」

 手袋を出し、右手にはめる。

 値札など外されていて、すぐに付けられるようになっていた。

 ちょうどいい大きさ。

 手袋って、普通、おれは、手袋をするって言ってるけれど、するじゃないと、はめるって言うんだろうか、付けるって言うんだろうか?

 そういえば、学生の時、着るって言っていたヤツがいたなぁ。


 軽い気持ちで、手袋をして、角砂糖の方に手を向ける。


「えっ?!?」

 つい、口に出てしまった、戸惑いの言葉。


 角砂糖が、わからない!

 角砂糖を、感じない!!

 角砂糖の感触が、な~い!!!


 そうなのだ。

 角砂糖を、感じ取ることができないのだ。


 手にある感触は、手袋の感触だけ。

 感触の焦点が、その先には行かない。

 ずっと手袋のまんま。


 ちょっと動揺した。

 落ち着こうとして、一息入れて、再実験。

 でも、やはり、どうやっても手袋の感触だけ。

 どうしても、角砂糖を感じ取ることができない。


 それで、そのことを、あやかさんに、正直に話す。


「そうなの…。なるほどねぇ。

 実際に接したものの感触があるときには、その力は使えない…。

 ふ~ん、手袋の感触か…、なるほどねぇ。

 そうか…、実際の感触の方が強くって、きっと、離れたものを感じ取る力の発動を妨げちゃうんだろうね…。なるほどねぇ」


 なるほどねぇが繰り返され、あやかさんは、この結果に納得したようだった。

 ある意味、すごい解析力。

 でも、おれは、驚きの方が強くって、ある意味、ショック状態。

 手袋を外し、紅茶をゆっくりと一口。


 少し落ち着いてきた。

 それで、あやかさんに確認してみた。


「バナナは、もう、必要ないですね?

 それに、この手袋、どうしましょうか?」

 

「そうねぇ、バナナは必要なくなったけれど、でも、その手袋、もう、買っちゃったんだから、使えるようだったら使ってよ」

 えっ、もちろん使えますよ、使いますよ、こんないい手袋。


「それじゃ、この手袋は、使わせていただきますね。すみませんねぇ…」


 最後に『すみませんねぇ…』を付けた。

 ちょっと、卑屈な感じになってしまったのかもしれない。

 できるはずのことが、できると思っていたことが、まったくできなかったのだから、ちょっと落ち込んだ気分になっても、しょうがないじゃないか。

 卑屈になっても、しょうがないじゃないか。

 そうしたら…。


「フフフ、リュウ、ちょっとショック受けたみたいな顔してるね。

 まあ、簡単にできると思っていたことが、まったくできなかったんだからねぇ。

 フフフ…、ショックだよねぇ。

 でも、まあ、そういうことも、あるってことよ。ククククク…」


 お姉様は、笑っていた。

 とてもうれしそうに、とても愉快そうに、とても楽しそうに、笑っていた。



 今日は、あやかさんも、最後まで、ちゃんと仕事をしてから帰ってくるそうだ。

 8時に、みんなで一緒に夕飯を食べるから、またその時にね、ということで、宝石売り場の前で分かれた。


 さゆりさんは、これから昼休みに入るらしい。

 あやかさんとさゆりさん、それ以外に2人いる店の人は、デパートの人らしい。

 この2人、てっきり美枝ちゃんの配下の人かと思っていたら、違ってた。


 じゃあ、美枝ちゃんや配下の人たちは、今、何をしてるんだろう?

 どうも、わからないことがいっぱいだ。

 でも、今日から勤めだした会社、といった感じなんだから、わからないことだらけがあたりまえなんだろうな。

 

 おれは、真っ直ぐに、ホテルに向かう。

 あの宿題、壁の中の配線を、感じ取ることができるのかどうかを調べるため。

 夕食の時に、その報告をすることになっている。

 その結果次第では、さらに、『やって欲しいことがある』のだそうだ。

 別の実験ということ。



 ホテルに着いて、フロントで、『櫻谷さんと一緒の崎川です』と言ったら、すべてが通っていて、丁寧に対応されて、カードキーを渡された。


 それにしても、手袋をすると、その感触で先を探れない、だから、引き寄せられない、という、この事実は驚きだった。

 なんで、こんなこと、今まで試していなかったんだろう。

 不思議な思いがして、ホテルに向かって歩きながら、ずっと考えていた。


 まあ、結論は、今までの練習は、いかに距離を伸ばすかに目的があったから。

 距離のみ。

 ほかになし。

 だから、感触に関しては、まったく考えていなかった、ということ。


 見えないものを探るなんて、すごく興味がありそうなことなのに、まったく、そっちに、気持ちが行かなかった。

 引きつける力に気が付いてから、実に、10年間、距離を伸ばす試みだけで、そのほかのことについては真剣に考えたことはなかった。

 まあ、ちょっとは、いろんなこともやってはみたんだけれど、しっかりと、自分の力を知ろうと思ってやったことはなかった。


 勉強は、そんなにできない方ではなかったし、大学でも、ちゃんと単位は取っていたけれど、なんだかなぁ~、ちょっと、おれって、鈍いんじゃないのかなぁ~。

 就職初日で、そんなことを考えながら、歩いてきた。


 部屋に入る。

 あやかさんの部屋よりは狭いけれど、今まで経験したことのない、部屋の重厚さ、広さ、ベッドの大きさ。

 こんなところに、泊まってもいいのかしら?が、第一印象。


 そうだ、今までがあったから、今があり、それでこうなった。

 こうなったのを良しとするなら、今までもすべて良しとする。

 今を造ったものだから。

 そう考えて、気分がよくなってきた。 

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