2-2  旅立ち

「それで、美枝ちゃんというのは?」

 おれの、あやかさんへの次の質問。


「美枝ちゃんは、わたしの秘書的な人よ」

 また『的』が付いた役職。

 確か、さっき、あやかさんの身の回りの世話をするとか何とか、さゆりさんが言っていたような気がするけれど…。


「22歳で、とてもかわいい子だけれど…、手を出したら、ダメだからね」

 急に、強く言った。

 何を言い出すんだろう。


「手を出すなんて…、そんなこと、おれはしないよ」

 すぐに否定しておいた。


「すぐに、そういう返事をするヤツほど、気をつけておかなきゃならないのが普通なんだけれど、まあ、確かに、リュウは、そういうの、遅そうだもんね…」

 これは、おれの言ったことを認めてくれたということなんだろうか?

 なんか、引っかかるようないわれ方だけれど、まあ、いいか。


「ただ、手を出しちゃダメだというのは、リュウの安全のために言ったことなんだけれどね、ククク…」

 と、笑いの付いたよくわからない一言があって、この話しは終わりになった。


 というのも、その時、さゆりさんが、小柄な女の子を連れて、部屋に入ってきたからだ。

 なるほど、『かわいい子』だ。

 22歳といっていたけれど、16,7にみえる。


「佐藤美枝です。よろしく」

 入ってくるなり、おれに軽く会釈をして、自己紹介し、こちらが自分の名前を言うまえに、さっさとデスクの方に行って、書類を広げた。


 その、後ろから、おれは自己紹介をしておいた。

「あっ、おれ、崎川龍平です」


「ええ…。それでは、ちょっと、こちらに来ていただけますか?」


 おれの美枝さんへの自己紹介は、軽く『ええ』で受けられて、デスクに呼ばれ、すぐに、住むところから始まって、これからの、いろいろな話を聞くことになった。

 これっぽっちも遊びのない動き。

 あやかさんとさゆりさんは、初め、ニヤニヤしたいのを我慢しているといった感じの顔で見ていたけれど、気が付くと、二人で何か話していた。


 美枝さんとの話の結果、おれは、あやかさんの家の敷地、その中にある別の建物、その一区画に住むことになった。

 建物の一区画と言っても、そこには、今住んでいるアパートのように、キッチンや風呂、トイレなどは付いているそうだ。


 勤務時間は、『あやかお嬢様の動き』にあわせて…と、それだけの決まり。

 ひょっとすると、超ブラックな勤務なのかもしれない。

 でも、ほとんどは、さゆりさんや美枝さんと一緒に、なのだそうだ。

 その時は、メチャきれいな人とずっと一緒なら、少しぐらいブラックでも、かまわないと思った。


 給料は、銀行に振り込みになるが、きつい仕事のあとなど、『その時のお嬢様の気分で、お手当が出る』ことが多いらしく、『もらうのは、これっぽっちじゃないわよ』と言われた。


 この額が、どうして『これっぽっち』なんだろう…。

 なんだか、本当にこれが『これっぽっち』だとすると、ちょっとすご過ぎて、裏があるんじゃないかと勘ぐって、逆に、素直に喜べなくて、不安材料になりそうな感じだ。


 でも、これも、『まあいいや、なるようになれ』で、済ますことにした。

 今日、あのアクシデントがなかったのなら、あやかさんと話をしなかったのなら、今まで通りのバイト生活が続いていたはずだ。

 それに比べれば、眺めるだけだった『メチャきれいな人』の近くにいられるだけでも、良しとしたものだ。

 あの人だったこの人と、楽しく、普通に、話だってできるじゃないか。


 そう、住むとこや、給料なんて、どうでもいいや。

 なるように、なって、ちょうだい。


 ただ、『明日中に引っ越しして…』というのは、『お嬢様からの指示』と美枝さんは受け取っていて、絶対に、なさねばならぬ、こと。

 で、『荷物を段ボール箱2,3箱に減らして、明日、宅配便で送る』ことだけは、おれがやらねばならないこと、のようだった。

 おれは、何とか、美枝さんと交渉して、段ボールを6箱にしてもらった。


 その翌日、だから明後日に、掃除の業者が入ることは、すでに決まっていた。

 アパートの解約なども、美枝さんが、全部やってくれるらしい。

 この話しをしている間に、美枝さんの下で動く人が二人もいることがわかった。

 お嬢様が動くと言うことは、何人もの動きを伴い、大変なことのようだ。



「展示会は、あと三日ですので、このホテルに、明日から3泊して下さいね。だから、替えの服など、全部送っちゃわないようにね」

 別れ際に、さゆりさんに言われた。


 ホテルを出て家に向かう。

 もうじき、11時。

 歩いていると、今まで起こっていたことが、夢のように感じる。

 本当に、明日から、生活が変わるんだろうか?


 スマホを取り出して、名簿を見る。

 さっき、あやかさんと、さゆりさん、美枝さんの携帯の番号を教えてもらった。

 3人分、ちゃんと入っていた。

 夢ではなかったんだな、と思った。


 20分ほど歩いてアパートに到着。

 部屋に入って、ある意味、呆然とした。

 ある意味、と付けたのは、わかりきっていたことで、呆然と言うのとは、ちょっと違う気もしたから。

 でも、一番近い言葉が、呆然。


 この荷物、今晩中に、全部、片付けるんだ…。

 

 そういえば、初め、美枝ちゃん、『明日の朝、引っ越し用の段ボール箱、大きいのが3枚届くから』と言って、その箱の寸法も教えてくれた。

 それに、交渉して、小さいのを3枚足してもらった。

 なお、美枝ちゃんの呼び方、おれよりも年下なもんで、さゆりさんと同じようにちゃん付けで呼んでいいよ、と、本人から言われました、


 着替えは持つにして…。

 それとノートパソコンなど、最低限必要なものを旅行用の大きなカバンに入れた。

 明日、ホテルに持っていくのは、このカバンだけ。

 これが最初にしたこと。


 あとは…、なんだか憂鬱…。

 大きい段ボール箱には服など、小さいのには本などを入れ、あとは、本当に、置いて行かざるを得ない。

 あ~あ…、と、まず思ったが、『いやだな~』と続きの思いが出る前に、『まあいいか、とにかくやり出してみようかな…』と、明るく、気楽な方に、気分を変換。


 どうしても必要、とても大事、そんなものから、必要な順番、大事な順番で取り出して、段ボールに入るくらいの山を作っていった。

 大事にしていた、まあ、ちょっとした思い出のあるマグカップなどは服の間に押し込むことにして、服の山の上に。


 すごいと思った。

 段ボール、大3箱、小3箱。

 そう決めてやっていったら、案外早く片付いてしまった。

 これならば、大2箱の小2箱でも、何とかなったかもしれない。


 段ボールに入れるひと山ひと山の荷物、とりあえず、大きなビニール袋に入れて、荷造りの準備、完了。


 でも、残ったものも、ゴミと言うよりは、今まで一緒に暮らしてきたもの。

 名残惜しいものもあるので、ケジメとして、最後に、きれいに片付けた。

 冷蔵庫の中も、整理した。


 終わった時には、朝になっていたけれど、でも、きれいになっていた。

 最近、部屋がここまできれいなことはなかったかも。


 昨夜一晩、下の人、隣の人、ちょっとうるさかったかもしれないけれど、ごめんなさい、今日からは、静かになりますよ。

 

 早朝の空気を吸いながら、コンビニへ。

 寒さが、気持ちよく感じるほど、体がほてっていた。

 おにぎりとコーヒーを買ってきて、部屋で、最後の朝食。


 まあ、この食事が、この部屋とのお別れ会。

 6年間とちょっと、ありがとうございました。


 この引越、テーマを付けるとすると、何だろう?

 う~ん…,大学に入ってからのこの6年間…、一言で言うと…。

 そうか…、『モラトリアムからの旅立ち』。

 うん、ちょっと、格好良く決まった感じだな。


 9時過ぎに、宅配便の人が来て、段ボール箱を置いていった。

 11時頃取りに来るが、それでいいかと聞かれ、もちろんOK.

 美枝ちゃん、すべての動きを支配する、すごい段取り。


 すぐに荷造り開始。

 ちょっと目測を誤り、入りきれなかったので、古くなって、羽毛が少し出てきたダウンジャケットをハンガーに戻す。

 いろいろと出したり入れたりして、何とか6箱に収まった。


 11時半頃になったが宅配便が来てくれて、戸締まりをして、部屋とのお別れ。

 言われていたとおり、終わったことを、あやかさんと美枝ちゃんに連絡。

 鈎の始末など、全部、美枝ちゃんがやってくれるとのこと。

 今まで、全部自分一人でやっていたから、なんだか変な気持ちだ。


 昨夜、美枝ちゃんに、何もかもやってもらって悪いねぇ、と言ったら、『お嬢様の相棒は、相棒としてのお仕事、とてもお忙しいでしょうから』と言われた。

 そうなのかな?

 宝石売り場の手伝いをするわけでもないだろうし…、相棒として、何をやって、そんなに忙しくなるんだろう?


 そうだ、まだ、仕事の内容、まったく知らされていないんだっけ。

 これから、お昼を、あやかさんと食べることになっている。

 その時に、ちょっと聞いてみよう。

  

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