第2章  準備

2-1  ボディーガード

「この方が永池さゆりさん」


 あやかさんから、そう紹介されたのは、ホテルの1室で。

 ホテルの部屋とはいっても、おれのイメージしていたホテルの部屋とは大違い。

 おれのアパートの部屋よりも広いんじゃないかと思われるような部屋。

 大きなものだけでも、応接セットのようなソファーに、作り付けのデスク、セミダブルのベッドが2つある。

 ここには、あやかさんが一人で泊まっているらしい。

 でも、その部屋で、さゆりさんが、すでに待っていた。


「リュウ君は、無実だったと言うことなんですね?」

 それが、永池さゆりさんの最初の一言。


 その前に、あやかさんは、さゆりさんにおれを紹介していた。

 おれの名前は崎川龍平で、リュウと呼べ。

 今日から、おれを相棒にしたからよろしく。

 簡潔に、その2点だけ。

 でも、相棒の仕事は、もう、今日から始まっていたことを、その時に知った。


「無実と言っていいのかどうか、そこは、ちょっと、よくわからないのよね…。

 本人は、事故だと言ってるし、まあ、本当に盗る気はなかったみたいなんだけれど、でも、ショーケースにあったものを、黙ってポケットに入れたということは事実なんだから、これを無実というのかどうか…」


 えっ?話は、また、そこまで戻っちゃうんですか?

 確かに、黙ってポケットに入れたと言うことは、事実ではあるんだけれど…。

 なるほど、盗る気はなかったというのは納得してくれても、無実なのかどうかというと、盗ったことに変わりはないから、ということなのかもしれない…。

 でも、その話、もう、なくなったものと思っていたのに、これから、何を話そうというんだろうか。


 そう思って、危ぶんだが、あれは、おれをからかう遊びだったようだ。

 あやかさんとさゆりさんの話は、どう盗ったのかということに終始した。

 秘密にするはずのおれの力のことも、あやかさんは、何の躊躇もなく話していた。


 それで、さゆりさんの要望。

「ねえ、リュウ君、ちょっとやって見せてよ」


 そういってから、さゆりさんは、ボールペン、ちょっとしゃれた感じの、銀色のボールペンをとりあげ、左のてのひらにのせ、少し前に突き出した。

 もう隠したってしょうがない。

 なんせ、相棒の相棒なんだから。


「では」

 といって、おれは、右手を近づけ、十数センチの距離になったとき、いつものように、くっと引き寄せる感覚で、移動させた。


「なるほど…、…それで、相棒なんですね」

 さゆりさんは、あやかさんに向かってそう言って、ニッと意味ありげな笑いを見せた。


 『なるほど』という言葉、初め、おれの力を感心されての言葉だと思った。

 まあ、それなら想定内だったんだけれど、そのあと、『それで、相棒…』と続くとなると、どうも、『なるほど』の意味あいが違ってくるような気がする。

 どうして、この力が、『なるほど』となって、『相棒』に繋がっていくのか、どうも、よくわからない。


 それに、あの、ニッという、二人だけに通じる、なにかの意味合いをもった笑い。

 なんか、ちょっと、怪しい。

 相棒の仕事について、何か、隠されたものがあるんじゃないのかな?



 そのあと、さゆりさんは、ちょっと考えて、おれに質問。

「ねえ、リュウ君…、手袋をして、今のをやると、このボールペン、どうなるの?

 手袋の中に入ってしまうの?…それとも、手袋の外?」


 あれ?そんなのやったことがないけれど…、引き寄せたときには、引き寄せたものが、てのひらに、ピタリとくるから…、それに、紙や板などがあっても関係なく通ってくるから、手袋を通して…。

「やったことないので、よくわかりませんが…、ものが来たときの感触から…、多分…、手袋の中なんじゃないかな…」


「ふ~ん、でも、例えば、その傘のように、手袋に入らないような大きなものだったら、どうなるのかしら?」

 脇の、作り付けのデスクの上に、折りたたみの傘が置いてあった。

 折りたたみなのに、おれが普段目にしないような、ものすごくしゃれた感じの傘。

 さゆりさんは、それを指さして言った。


 手袋の中に、おれの手と、その傘を、同時に入れたような印象を受け、ものすごく窮屈、といよりも、かなり痛そうな感じがした。

「ちょっと痛そうな感じですけれど…、手袋、裂けちゃうんじゃないでしょうか…」


「ふ~ん、わたしと同じような推測なのねぇ…。そういう感覚で、よしとして…」


 さゆりさんが、続けて何か言おうとしたとき、あやかさんが一言。

「それってさ、よく、マンガやラノベで出てくるスライムなんか引きよせると、手袋の中で、グチャッと潰れる感じだね…。この間、山で見た15センチ以上あった、太くて大きなナメクジなんかも、気持ち悪いねぇ」


 ひとなみのナメクジ…。

 どうして、この人は、そういう、いやなものばかり想像するんだろう。

 

「それは、ちょっと、気持ち悪いですね…」

 と、一言、さゆりさんは、お嬢様に対応してから、おれに向かって急に自己紹介。


「あっ、わたし、永池さゆり、さゆりは平仮名。

 あやかお嬢様の、ボディーガード、兼、雑用係よ。

 よろしくね」


 えっ?『お嬢様』?

 ボディーガード?


 それらの疑問を、おれが質問する前に、あやかお嬢様が不満そうに言った。

「サーちゃん、サーちゃんは、わたしの相棒だって言ってるじゃないの」


「そうは、いきませんよ…」

 ニッと笑って、さゆりさんが続けた。


「ボディーガードがわたしの主要な任務です。

 おじいさまから、そう、仰せつかっています。

 まあ、美枝みえちゃんたち、身の回りのことをする人たちをまとめることも、今まで通り、ちゃんとやります。

 でも、相棒ではありません。

 それに、お嬢様にぴったりの能力を持った、いい相棒ができたじゃないですか」


 お嬢様に、ぴったりの能力?

 どういうことだ?

 一瞬、そう思ったときに、そのお嬢様が、甘えたような声で一言。


「それはそうなんだけれど、でもな…、サーちゃんが相棒じゃないと、寂しいな…」


 思いも寄らない、あやかお嬢様の一面。


「ボディーガードは、お嬢様といつも一緒ですよ」

 さゆりさんが優しく言った。



「あっ、それでね、サーちゃん…」

 あやかさんが、おれとの簡単な契約のこと、明日荷物を送ること、だから、その送り先について、それに、おれの部屋の後始末をする業者の手配、そんなことを、次々と、さゆりさんにお願いした。


「わかりました、今、美枝ちゃんを連れてきますね。

 先ほど電話をいただいていたので、おおかたの準備は済んでいると思いますから」


 そう言い残して、さゆりさんは、部屋から出て行った。

  

 先ほどの電話?

 いつしたんだろう?

 一度席を外した、手洗いに行ったときなのかな?


 そう思った次の瞬間、今のシチュエーションに気が付いた。

 部屋に残ったのは、おれとあやかさんの二人だけ。

 ホテルの1室で、男女二人。

 これだけを聞けば、ドキドキしてしまうような、なんか、特別な情景のようだが、どうも、そんな深刻に考えるような雰囲気にもならない。

 さっぱりとした感じ。

 で、いくつか聞きたいことがあったので、質問開始。


「さゆりさん、ボディーガードって言ってましたよね」


「そうなのよね…。

 おじいちゃんが、わたしのために雇ってくれたボディーガード。

 もう、12、3年になるのかな…。

 ずっと一緒だからね…。

 それに、今回みたいに、仕事を一緒にやることも多いし…。

 それで、用心棒じゃなくて、相棒にならないかって言ってるんだけれどね…」


「ボディーガードって言うと、さゆりさん、なんか、格闘技みたいなことでも、できるんですか?」

 背はおれとほぼ同じくらいと、女性では高い方で、すらっとしているが、そんな、筋肉質でもなさそうな見かけだ。


「ふっ、ああ見えても、もとSP、超エリートのね。

 警察辞めて、来てくれたのよ。

 なんだか、おじいちゃんとの関係があって、無理して辞めたらしくてね…」


 すごい人だったんだ。

 それと、また、『おじいちゃん』が出てきた。

 そして、『なんだか』以下の一言が付いていた。

 このことに関しては、それ以上、聞きにくい、そんなにおいがフッとした。


 時間はこれからいくらでもあるだろう…、多分。

 聞けるときに聞けばいいさ。

さゆりさんに関する質問は、これで終わりにしよう。

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