1-9 契約
料理が来て、その料理について、あやかさんはどういうところが好きだとか、おれは、初めて食べるものだとか、そんな話になって、骨からは離れていた。
でも、この時になって、ふと思った。
ここの勘定、どうなるんだろう?
連行されるように連れてこられたので、つい、向こうの支払、なんて思いがどこかにあったようで油断をしていたが、これが、割り勘にでもなったら、かなりの額になりそうだ。
でも、まあ、指輪を盗った犯罪者にはされなさそうな進行なので、それで良しと言うことかな?
こういう時、少しぐらいの出費はしょうがない。
持ち合わせはないから、今日は借りにして、明日にでも銀行からへそくりをおろして支払えばそれでいいか。
そう考えて、自分を気楽にした。
気楽になったら、メチャきれいな人とサシでの飲み会は、最高。
本質的には内向性のおれでも、会話が弾んだ。
「どのくらい離れたものを動かせるの?」
あっちの方を飛んでいた話から、急に、その話になった。
ちゃんと話すのなら、ひとなみ、を話さなくてはならない。
単位が、ミリでなく、メートルだったら、いやせめてセンチだったら、自慢げに話せるのだけれど…、ミリなのが、ちょっと悔しい。
173ミリ、17センチと3ミリ。
でも、まあ、力を大きく見せてもしょうがないじゃないか。
素直に言った。
「だいたい17センチくらいが限度かな…」
それに対する返事は、また、意外。
「17センチ?変ねぇ…」
「えっ?」
変って…、どういうこと?
何が、どこが、『変』という言葉に結びつくんだろう…。
「あの時、ショーケースの中の指輪とリュウの手、少なくとも20センチは離れていたよ」
「え、え~っ?」
そんなことあるはずない、と、思った。
絶対に、絶対にあり得ない、確かに、一瞬だけれどそう思った。
でも、まずは現場検証…、頭の中で。
あの時、すべてが咄嗟の出来事ではあった。
しかし、不思議と、はっきりと覚えている。
まず、すれ違ったおばさんの方を見ながらも、手にガラスを感じて、そして、ぶつかって割らないように、手を下の方におろしながら、体勢を立て直した。
その動きの中で、ガラスを感じたのは、手が、ショーケースまで15センチくらいのところにいったとき…。
危ないと思って、その手は、すぐに下におろして…。
で、その時、ガラスから指輪までの距離は…。
また、しばらく、ブランク。
「ま、15センチくらいは確実だけれど、何かの加減で20センチくらいはいくっていうことでいいね」
いとも簡単に決められてしまった。
1ミリを伸ばすのに、あれほど必死に努力したのに、そんなの、『くらい』の一言で、すべて片づいてしまうことだったんだ。
それも、17センチよりも短い、はるかに遙かに短い15センチに集約されての『くらい』なのだ。
「しかも、そのあいだに、手とかガラスがあってもかまわない…。なるほどねぇ。それだと、パンツの下に、ナイフを隠しておいても、すぐに掴めるんだねぇ…」
また、思ってもみない方向での感想。
パンツの下、といわれたとき、一瞬、また、いじめの言葉を受けるのかと思ったけれど、今回は違っていた。
でも、ナイフだって、…物騒だなぁ。
「そうか、背中に拳銃を吊しておけば、手を頭の後ろに持っていったときにでも掴めるのか…。ポケットに入れておいても、すぐに撃てるし、すれ違うだけで、こっそり相手の拳銃も奪えるし…」
今度は、拳銃ばかりが出てきた。
どうして、そういう方向にばかり考えが行くんだろう。
今まで、17センチ3ミリじゃ、何の役にも立たないと思っていたのに。
「ねえ、リュウ、あんた、すごい力を持ってるね…。いいなぁ~」
最後に、お姉様から褒められた。
そして、うらやましがられた。
ビールが空になったので、二人ともお代わり。
そして、もう一度、グラスをカチンとやって、新鮮なビールを一口飲んだあとに、また、唐突な、お姉様の一言。
「ねえ、リュウ、バイトしない?」
「えっ?バイトですか?」
「うん、まあ、専属社員でもいいんだけれどね、わたしの…、なんて言ったらいいのかな…、助手、というか、相棒のような仕事よ」
「助手のような…、相棒のような…?」
宝石売りでも手伝うのかな?
宝石のこと、全然わからないんですけれど…。
関係なく、話は進む。
「で、あっち行ったり、こっち行ったりとなるだろうから、時給としては計算しにくいし…、それに、テレポーテーションもあるから…、う~ん、月で…」
そのあと、今のぼくには信じられないような賃金を言った。
第1志望だった会社に勤めたとして、10年たっても及ばない、と思う。
でも、そういう、仮想をもとにした非現実的な話じゃなくて、馴染んでいる、今のバイトと比べても、あまりにも違うので、ちょっと動揺した。
そうなのだ。
今のバイトだと、1日24時間働いて、ひと月休みなしにやっても…、さすがにそこまではできないと思うけれど、そんなに働いても、どっこいどっこいの額なのだ。
それに、このお姉様、拳銃だとかナイフだとか、そんなものがお好きなようなので、ひょっとして、というか、やっぱりというか、これは危険な仕事なのではないだろうか。
ちょっとやばい宝石運搬とか…。
それで、素直に質問。
「その額って…、危険な仕事が入って、ということですか?」
また、このお姉様、思っていないところに反応した。
「その額…って言い方、少ないっていう意味なの?多いっていう意味なの?」
「いや、おれの感覚からいうと…、まあ、ちょっと、多いんじゃないかと思って…」
「ああ、それで、そこに危険手当が入っているのかと言うことなのね?いいわ、もし、危険なときには、もっと、特別手当で何とかしてあげるから」
「いや、そういうことじゃなくて…」
まるで違う解釈。
どうしてこうなるんだろう。
わざと、はぐらかされているのかな?
「うん?わたしの、相棒的な仕事なのよ。そんなに危険だと思う?
それに、その辺を歩いている人の、首の骨を抜き取ってこいだなんてこと、言わないわよ」
それを聞いて、またぞっとした。
たとえ、そんなことは言わないわ、と話す例にしろ、首の骨じゃなくて、せいぜい、指の骨ぐらいにして欲しい。
また、店頭に並んだ豚足を思い出した。
あれ?そうだ、そいえば、ものを引き寄せちゃう力も評価されての賃金だった。
宝石に関係して、ものを引き寄せる力?
何に使う…?
ひょっとして、今日のことからヒント得て、あちこちの宝石屋さんを廻って、宝石を仕入れてこいなんて言われるんじゃないだろうな…。
もちろん、仕入れ値0で。
出かけるときに、『じょうずに、こっそり、集めてきてね』なんて言われて…。
そうだ、相棒的だから、二人で動くのかな?
お姉様が、ほかの店員の気を引いている間に…、このルックスで、おしとやかな話し方をすれば、どう見てもお嬢様、充分に気を引ける。
その間に、おれは、せっせと引き寄せる。
ショーケース、手前から17センチ3ミリには何もない。
それで、仕入担当部長だなんて…。
「じゃあ、そういうことで、決まったわね?最後に、乾杯しましょう」
その声で現実に戻ったが、また、黙ったまま…だったと思うのだけれど、その間に、何かが決まっていた。
何か、おれ、有耶無耶のうちに、反射的な返事をしていたのかもしれない。
お姉様は、『決まった』ことで、いともご満足、というお顔。
なんだかわからないけれど…、でも、まあいいや。
今の生活、根底から覆ったって、どうということないさ。
残ったビールでもう一度乾杯をした。
就職決定の乾杯。
やっぱり、なんだかよくわからないけれど、すべてがこれで決まったことだけは確かなようだ。
不思議な日、今日が、大きな転機なんだろうな…。
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