1-8 自己紹介
「わたしね、さくらたに、あやか、っていうの、よろしくね」
ビールで乾杯したあと、いきなり自己紹介となった。
「さくらは、上に貝を二つ書く、古い櫻で、あやかは平仮名」
実に端的、それで『櫻谷あやか』と書くことはわかった。
「名刺はいくつかあるけれど、ある意味みんな偽物だから、あなたにはあげないでおくよ」
意味はわかったけれど、言ってることは理解できなかった。
それを質問したかったけれど、そんな間はなかった。
「で、あなたは?」
続けて、おれの自己紹介を要求された。
まあ、一方的なことに違いはないけれど、乾杯のあとに自己紹介なら、おれの感覚に近いパターンかな?
「おれ、さきかわ、りゅうへい」
で、漢字、崎川龍平を指でテーブルに書いて説明。
「ふ~ん、あなた24だったわよね。
わたし28だから、うん、これからは、あなたのことリュウと呼ぶことにしたよ」
呼び方まで、一方的に決められた。
「おれは、あやかさんのこと、なんて呼んだらいいの?」
「うん?そうね、4つ下だから、『お姉様』とでも呼んでみない?」
「えっ?お姉様…?」
「ええ、いい響き…。もう一度」
うっとりとしたような顔をして、お姉様が言った。
「ええっ?」
何をお考えになっていらっしゃるのでしょうか?
いきなり
「フッ、うそよ。『あやか』でもなんでもかまわないよ」
おれは、完全にからかわれていた。
でも、さっき湧いた疑問への興味の方が大きかった。
「じゃあ、あやかさん、ちょっと戻るけれど、どうして偽物の名刺をいくつも持っているんですか?」
「うん?リュウは、あんまり国語が得意じゃないの?」
いきなり、急所に来た。
確かに国語は、現国だけでなく、古文なども苦手の方だった。
でも、今更、どうして?
その疑問を見越したように、あやかさんの言葉は続いた。
「わたしね、『名刺はいくつかあるけれど、ある意味みんな偽物』と言ったんだよ。
全部、本物の名刺なの。
でも、いくつもあるくらいだから、みんな本気でやってることじゃない、渋々作った名刺。
だから、ある意味ではわたしの紹介にはなっていない、偽物のようなものなので、リュウにはあげない。
そういう意味、わかった?」
「はい、よく、わかりました。…でも、渋々作った、っていうのは?」
「ふ~…、そうだね…、リュウには、特別に、ちょっと説明してあげようか。
まあ、例えば、今使っている名刺よ。
宝石売り場に出している宝石屋から、派遣されて来ていますっていう名刺。
これ、親父の要望で、渋々作ってるんだよ。
今、ここに来ている仕事も、渋々引き受けたの。
まあ、短期のバイトのようなものよ。
ただ、生活のため、というよりも、家族の平和のためってヤツだけれどね」
お姉様には、ちょっと、複雑な背景がありそうな話だった。
「で、リュウは、何して暮らしているの?
4日もあの時間、デパートをふらついているって言うのは、サラリーマンじゃないよね。学校にでも行ってるの?」
ちゃんと見ていたんだ。
4日間ということも。
うん?ということは、毎日来る人の、一人一人の顔を覚えているのかな?
やっぱり、この人、いや、お姉様、いや、あやかさん、ちょっと違う…。
どういう人なんだろう?
でも、この質問、一応、ちゃんと、答えておこう。
「いや、今はバイトで…」
そのあと、就職はしないで、バイトで暮らしていることを、渋々、話す。
この内容、あやかさんの前で話していると、意気揚々とは話せない感じ。
今までは、何気なくだが、楽しく日々を過ごしているつもりだったのに、どうも、本当に楽しかったのかな?本心で楽しいと思っていたのかな?という小さな疑問が、心のどこかに浮かんでくる。
話ながら、徐々に、今は、意にそぐわない生活をしているような気分にすらなってしまった。
でも、あやかさんの返事は、また意外。
「ふ~ん、いいねぇ…、そんな生活、夢みたいだな…」
いや、おれとしては、夢であって欲しいとまでは思っていないけれど、でも、もう少し違う、もっと別の、すてきな夢のある生活を望んでいるんだけれど…。
あっ、これがおれの本心なのかもしれない。
「それで、さっきの続き…」
いきなり、また、テレポーテーションの話になった。
「さっき、指輪、握った手の中から、移動させたよね?」
おれは、それを認める返事をした。
そうしたら、その人、あやかさんは、やはり、感触にこだわった。
「その時は、どう感じるの?」
で、おれは、最初、手の肌を感じるので、その先を探るようなイメージを持って、もう少し集中を強めると指輪を感じることを話した。
そうしたら、またまた意外な質問。
「ねえ、指輪の前に、骨は感じないの?」
「えっ?骨?」
お姉様、何をお話しなさるんですか?
「ええ、手の皮膚を感じて、その、もう少し奥には骨があるじゃない?場所によっては、肉や血管も…」
ザワッとした。
そんなものは、今まで感じたことなどないけれど、でも、逆に、今度やる時に感じてしまったらどうしよう。
なんだか気持ち悪い…。
すごく気持ち悪い。
だって、この感触、本当に、それに、触っているように感じるんだから…。
骨に、生きている人間の骨に、素手で、直に触る…。
やっぱり、どんなイメージを持とうとしても同じ、気持ち悪い。
また、ブランクがあったようだ。
あやかさんに強く言われた。
「ねえ、どうなのよ」
素直に、今は、そのようなものを感じないことを話した。
皮膚の次は、指輪。
そのあいだは、なし。
なにも感じない。
「ふ~ん、それじゃあ、骨を取ってしまうという攻撃には使えないんだね」
また、意外な展開。
「えっ?骨を?攻撃?」
「うん、素手での戦いの時、相手の骨を取って、やっつけちゃうの。
最強の技だと思うんだけれどな…」
この人、あっ、いや、あやかさん、何を考えているんだろう?
ちょっと恐い気がした。
「やろうと思ったことないの?」
「ありません…」
「ふ~ん,ねえ、今度、ちょっとやってみたらどう?
そうねぇ、人間じゃ無理だろうから…」
「ええ、無理です。絶対に…」
あやかさんは、ぼくの反抗を、ちっとも聞いていない。
いや、聞いていても、意に介していない。
「え~と、人じゃなくて…、そうよ、手始めに、魚でもいいじゃないの。まるごと焼いて、その骨を取るのよ。食べやすくて、いいと思うよ」
「食べやすい…、ですか?」
まるごと焼かれた魚で、骨がない。
多分、頭の骨も…、うっ、気持ち悪~…。
食べやすいというよりも、グロテスクな気がした。
「食べやすいわよ。邪魔な骨がないんだから。
そうだ、それに、中を探って、骨が残っていないかなんていうのも、調べられるんじゃないの?あなたの感触で…」
「えっ?感触?」
魚の中を、探っている感じが湧き出てきた。
「そうだ、魚もいいけれど、豚足を使ってもいいかもしれないわねぇ。
ねえ、なんか、より現実的よね」
豚足…、はい、現実的で、あります。
どこかの店で、解凍した豚足が並んでいたのを思い出した。
そこから、骨を…。
とても現実的なイメージが湧いてきて、まだ、おれ、ビール、半分も飲んでいないのに、クラクラするような気分だった。
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