1-6  感触

「ねえ、どうなのよ?

 あれで終わり。これ以上、教えないって言うの?」


 多分、おれ、固まっていたんだと思う。

 そして、この人、少し待っていたんだと思う、おれの反応を。

 無反応の、数秒間…、だったんだろうな。

 おれ、時々やっちゃうんだよな、こういうブランク作るの…。


 で、シンプルなら、とことんシンプルに。


「あっ、いや、今、もっとわかりやすく、やってみますよ」


「うん?」


「ああ、どうすればわかりやすいかって考えていたんだけれど、とにかくシンプルにやってみようかなって…」


 この人は、よくわからないと言ったような顔をした。


「その指輪、テーブルの上に置いてくれますか?」


「ええ」

 この人、そう返事をして、指輪をテーブルにやわらかく置いた。

 こういう貴重なものを置き馴れている、そんな、普段、おれなんかが感じないような思いが、このおれに、自然に浮き出てくるような、やわらかさだった。


「じゃあ、やってみますね」

 右隣にいるこの人が、覗きやすいように、左手を使って、指輪から15センチほどの距離に近づけた。

 15センチ、ほぼぴったりだろう。

 距離を伸ばそうと、長いこと練習していたので、このくらいの長さに関しては、定規などを使わなくても、ほぼ、ミリ単位でわかる。

 そして、指輪の感触を確かめると、ぐいっと引き寄せた。


 エメラルドの指輪は、緑の輝きの印象を残したまま、フッと消えた。

 この人は、はっとした感じで目をおれに向け、何かを理解したような顔で、メチャメチャすてきな顔で、ゆっくりとうなずいた。


 おれの左手は、反射的に軽く握っていた。

 いつも、消しゴムで練習していたので、引き寄せたものが掌に付くと同時に、軽く握る習慣が付いていた。

 そうしないと、落ちちゃうから…。


 その左手から指輪をつまみ、また、この人の手に戻した。


「テレポーテーションなんだ…」

 ポツリと、この人が言った。

 え?どういうこと?

 一言で片付いちゃうような、そんな簡単なことだったの?

 急に、自分の力が陳腐なものに思えて、小さく一言で質問。


「テレポーテーションって?」


「瞬間移動のことよ」


 えっ?瞬間、移動?

 移動?ちょっと違うんじゃないのかな?

 自分が移動するわけじゃな…い…。


 あれ?でも、そういえば、かなり前…、本当に、かなり前で、高校生の頃だったのかな、公園にあった、大きな岩、磨かれて、何か字が掘られていたきれいな岩だけれど、17センチ3ミリでもいいから、左に動かしたいなと思ったことがあった。

 たとえ、17センチ3ミリでも10回やれば1メートル73センチ。

 まあ、その時は、そんなには動かす気はなかったけれど、でも、どういうわけか忘れたけれど、どうやら、50センチくらい左に動かすと、いろいろと遊びに都合がいい、そんなことを思ったような記憶がある。


 で、やってみた。

 石の左に行って、17センチくらい離れて。


 その時、石は動かず、おれが移動していた。

 そのままの姿勢で、17センチくらい移動し、石に触っていた。

 不思議な気がした。


 それでは、その後いろいろやっての研究成果を発表します。

 まず結論から述べますと、どっちが動くかには、おれの体重が関係していました。

 そんな感じだった。

 おれより軽いものは向こうが動き、おれより重い場合には、おれが動く。


 話が長くなっちゃったけれど、何を言いたかったのかというと、おれの力、「移動」でもいいことに気が付いた、ということ。

 また、少し、固まったような時間があったけれど、無視して会話、再開。


「そうか…、瞬間移動ね…。でも、近くにあるものを、ただ、手の中に入れることができる、それだけの力なんだけれどね…」


「でも、それって、盗み放題、ってことよね?」

 急に、ギクッとするようなことを、しらっと言われた。


「いや、おれ、盗みは、絶対にしないから…」

 そうだ、思い出した。

 そもそも、この力を教えることにしたのは、事故だったことを、盗んだんじゃないことを、ちゃんと説明するためだったじゃないか。

 危うく、最初の目的を忘れるところだった。


 で、前のおばちゃんがいきなりUターンして、おれがふらついて、ショーケースに触りそうになり、そのガラスを感じて、割るといけないと思い、必死に体勢を立て直したこと、そして、気が付いたら、指輪が左手に入っていたということを、しっかりと説明した。


「まあ、確かに、そんな動きだったわね…。あの動きに乗じて、咄嗟の判断で、あの指輪に焦点を当てて盗むと言うには、確かに、無理があるかもね…。そうか…、事故か…」


 この人、しっかりと見ていたんだ。

 でも、このように、あの時の全体の動きを正確に見ていながら、すぐに、指輪がなくなったことにも気が付くだなんて、この人、ちょっとすごすぎないかな?

 しかも、多分、すぐに動き出して、この喫茶店まで、おれをつけてきたんだろうから…。


「ねえ、一つ一つ教えてよ」


「ええ、まあ、いいですけれど…」


「今、ぶつかられたとき、ガラスを感じて、割れるといけないと思ったというようなことを言ったわよね」


「ええ」


「それって、どういうこと?」


「あっ、ああ、それはですね…」

 そうだよな、これも、まあ、普通じゃないもんな。

 それで、おれは、ものに触ろうとしたとき、その少し手前で、それを感じることを簡単に話した。

 こんなこと、べらべらと話したくはないんだけれど、でも、もうしょうがないじゃないですか、こういう成り行きになってしまったんだから。


 でも、この話しをしたら、この人、ちょっと離れて、で、その人と言うくらいになって、一言、嫌なことを聞いてきた。

「そういう、離れたものを感じるのって、手だけ?」


「えっ?」


「肩とか肘…足でも感じるの?」


「ああ、そういうことですか…」

 その人が、急にちょっと離れた意味が、やっとわかった。

 おれは、そういう、嫌らしい考えは、持っていません、今は…。

 待たないように、一生懸命に、努力しています。


 だから、怪しまれないように、ちゃんと返事をした。

「ほかで感じたことはないですね。手だけです。指先で、特に強く感じるような気がしますが、でも、指全体やてのひらでも感じていますね」


「そうなの…。おもしろいねぇ…。ねえ、もっといろいろ聞きたいからさ、場所を変えようよ。あなた、今日、時間、あるでしょう?」


「ええ、まあ、あとはフリーですが…。場所替えですか?」


「あなた…、二十歳は過ぎてる…よね?」

 その人は、いきなり歳を聞いてきた。


「ええ、24です」


「えっ?24?…24なのか…。フフフ…、ちょっと童顔、なんだね…」

 面と向かって、そういうこと、平気で言いますか?

 そう思ったが、その人は悪びれもせずに、続けて話した。

「フフ、二十歳前後のように思ってたよ。24か、よし、それじゃ、コヒーよりもビールといこうか。飲めるよね?」


「えっ、ええ、もちろん…、ビール…、大好き…です」


「うん、それはよかった。こういう話には、ビールの方が合うんだよ。まあ、それに、ここじゃ、周りを気にして話さなくてはならないからね」

 そう言ってその人は立ち上がった。


 そして、この人は、そう、すぐにこの人と呼ぶ位置になり、おれの腕を抱えるようにして体を寄せてきた。

 そして、そんな姿勢をとっているのに、颯爽と歩き始めた。

 だから、おれを引きずるような感じで。


 しあわせ…。

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