1-5  たねあかし

 信じていない…。

 おれが、事故だと言ったことを信じていない。

 あれは盗んだのであって、事故などではない。

 この人は、そう思っている。

 それがはっきりと伝わってきた。


「信じられませんか?」

 一呼吸置いて、静かに聞いてみた。


「そうね…。事故って言うことが…、考えられない状況だわ」

 この人も、静かに、落ち着いた感じで言った。

 会話のモードが変わった感じだ。


 信じてもらうためには、どうしたらいいんだろうか?

 事故って言うことは…。

 事故と証明するためには…。

 短い時間だったが、いろいろなことが頭を巡った。

 で、おれの考える力では、一つの結論しか出てこなかった。

 それは、能力のことを話すこと…。


 もう、これしかない、能力のことを話そう、そう思った。

 そうしたら、ちょっと、欲が出てきた。

 で、つい、聞いてしまった。


「あの…、信じてもらうためには…、事故だったと信じてもらうためには、どうしてこうなったのかを、詳しく話す必要があるんですけれど…、あの…、さっき、あなたが言っていたこと、まだ、生きてるんですか?」


「さっき、私が言ったこと?」


「ええ…、あの…、どうやったのかを教えたら授業料を払うっていう、あの話…」


 そうしたら、その人は、フッと、いとも簡単に緊張を解いて、軽い感じで確認してくれた。

「いいわよ、ちゃんと、その指輪、あげるわよ。それに、盗んだ…、まあ、事故でもどうでもいいんだけれど、そのこと自体、ないことにするわ。これで、どう?」


 ここまで来たら、もう話すしかないじゃないの。

 でも、あんまり多くの人に知られると、気味悪がられるかもしれないし…、何となく、嫌だな。

 で、条件をつけた。


「それじゃぁ、今、やって、お目にかけますが、他言無用、他の人には言わないでくれますか?」


 いとも簡単、望んだ以上の返事が来た。

「もちろんよ。わざわざ高い授業料まで払って聞くんだから…、ねえ、逆に、わたし以外には教えないでよ」


 はい、よろこんで。

 では、手品の種明かしをいたします。


「実は、おれ、変な力を持っていて…」


 こう話し始めたら、眉をひそめると思っていたんだけれど、あに図らんや、身を寄せて、聞き耳を立ててくれた。

 身を寄せて…、本当に、ぴったりと、ぼくに身を寄せて…。

 気付きました?

 おれ、自分のことを、『ぼく』と言ってしまうほど、大きく、大きく心が動揺してしまったのです。

 だって、あの、メチャ美人のこの人に、ぴったりと身を寄せられたのですから…。

 温かな圧力を感じて…。


 おれの動きが止まってしまったんだろう。

 この人、一言。

「何してんの?」


「あっ、いや、ちょっと…、初めての公開なんで、緊張して…」

 ごまかしの言葉。

 でも、まあ、どの程度だかわからないけれど、認めてくれた。


「まず、やってみますね」

 そういって、さっきから握りしめ、テーブルの上に押しつけられたままの右手の拳の上に、左手を持っていった。


 そこで、わざわざ左手を上に向けて、何もはいっていないことを見せる。

 そして、裏返しにして、だから、てのひらを下にして、徐々に降ろす。

 指輪を感じる高さまで降ろしていって、そのまま空中で止め、軽く握る。

 実は、この時、すでに指輪は左手に移っていた。


 でも、左手は右手についてはいない。

 この人は、のぞき込むように、ぼくの二つの手を見ている。


 そのまま左手を離していき、ゆっくりと右手を開く。

 何もない。

 汗はかいていて、実は、押しつけられた指輪の跡が赤く残ってはいたけれど、何もない。


 この人は、じっと、その右掌を見つめていた。

 少し、間があった。


「指輪は…左手に、あるの?」

 この人は、ぐっと寄って、左手を見ながら、そう言った。


 おれも、もう、これ以上、変な動きはしなかった。

 ぐっと寄られて、舞い上がってしまったからではない。

 もう、この人にはちゃんと説明することに決めたからだ。

 左手を、右の方、この人の前に持ってきて、小さくだけれど、ゆっくりと開いた。

 そこには、エメラルドの緑がチラチラ輝く、指輪があった。


 授業料の指輪。

 でも、やっぱり、これは返そうと思った。

 あっても必要ないものだし、第一、だまし取ったようで気分が悪い。

 それに、この人、何らかの形で、弁償しなくてはいけないかもしれないし…。

 そうだよ、勝手に、おれにくれるなんて言っちゃって、大丈夫なんだろうか?

 やっぱり、返そうっと。


 ちょっと前までぼくの右手を押さえていた、この人の左手がすぐそこにあった。

 おれは、右手で指輪をつまんで、その手に返した。


「ん?」

 この人は、不思議そうな顔をした。


「やっぱり、おれ、その指輪、必要ないから…」


 すると、思いもしない返事。


「えっ?それって…もう、これ以上、教えてくれないって言う意味?」

 あの人は、ちょっと怒ったような顔で、おれに言った。

 そう、あの小さな、非常に小さな笑顔のままで、ちょっと怒った感じ。

 怖さを感じる、



 でも…、そうか、このひと、まだ、何もわかっていないのかもしれない。

 知らない間に、どう見ても不思議な感じで、右手の指輪を左手に持ち替えた。

 考えてみると、この人がわかったことはこれだけなんだろう。


 もう少し説明が必要だった。

 そこで、もっと、はっきりと、わかるようにやってみることにした。

 とは言っても、どうやったらいいのかな。


「その指輪、しっかりと握ってくれる?」

 と言えば、この人は、ちょっと不思議そうな顔をするかもしれないが、言われたとおりにしてくれるだろう。

 ぎゅっと握った左手。


 そこで、ちょっと格好をつけたような感じで一言。

「変な力って、さっき言ったけれど、まあ、不思議な能力って言うことなんだ」

 そう言ってから、おれは、この人の手の上に、右手をかざす。


 ここまで考えて、ドキッとして、気付いてしまった。

 おれの右手に、この人の、手の、肌の感触が伝わってくる、そうなるはずだ。

 手に触っている、そんな感触。

 さあ、どうする。


 あっ、ああ…、嫌らしいな…、おれって。

 これじゃ、痴漢みたいなもんじゃないのさ。

 嫌になるよ…、本当に。


 そして、ふと気付いた。

 おれが相手の肌を感じたときには、相手も、軽く触られたように感じるはずだったんだ。

 じつは、これ、実際に、ほかの人で試したことはない。

 だって、誰にも言えない、秘密の力だったから。


 でも、自分で試したことはあった。

 右手を左手の上方に。

 そこで、右手に左手の肌を感じると、同時に、左手のその部分に、軽い圧力のような、暖かさのような、何となく触られているような、そんな感じがするのだ。


 違う方法を考えよう。

 もっと、シンプルな手を。

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