第1章  就職

1-1  能力

 おれの能力…。

 その能力を知ったのは、確か、中学二年の時だった。

 そう、記憶している。


 数学の試験の時だ。

 試験の最中に、試験用紙が引っかかり、消しゴムを落としてしまった。

 その時、手を挙げて、先生に言えば、すぐに拾ってもらって、まあ、簡単に終わったことなのだろう。

 だが、それができなかった。


 あとで考えると、どうもよくわからないのだが、その時は、なんか、気が引けるような、まずいような、そんな気がして、手を挙げられなかった。


 周りの人間は、気付いていないが、本質的には、おれは内向的な性格なのだ。

 それも、ものすごく…。

 ただ、あまりにもその性格が強いため、また、あくまでも、それは本質的にということでもあり、普段、そんな素振りを見せないようにしている。

 内向的に見せないことができるのに、それでも内向的って言うの?などとは考えないで欲しい。

 深い、実に深い、自己探査の結果、やっとつかみ取ったおれの結論なのだから…。


 とにかく、その時、先生に、『消しゴムを落としてしまいました』と言うのが、どうにもこうにもいやだった。

 できなかった。

 いや、億劫だったのだ。


 それで、周りに気を使いながらも机にへばり付き、手を伸ばして、消しゴムをとろうとした。

 もう少し…。

 で、必死に右手を伸ばした。

 一所懸命に伸ばしたけれど、もう少しという所で届かない。


 さてどうしようかと思った。

 ただ、そのときには、いつものように、指先には、消しゴムの感触があった。

 もう少しで届く感触。


 いつものような感触。

 触ったような感触。

 この感触、こんなことはなんでもないこと、当時、僕はそう思っていた。

 これから掴もうとするものの感触を、少し手前で感じることは、それまでも、よくあったからだ。

 みんなもそうなのだと思っていた。

 ず~っと昔から。


 だが、この時には、その感触が、妙に気になった。

 届きそうで、届かない…、でも、この感触。

 もう届いているっていう感じの感触じゃないの?これって…。

 そして、ひょっとすると、この、手の届かない消しゴムを引き寄せるのことができるのではないかと思った。


 引き寄せる…。

 何の根拠もなく、ただ、そう思っただけなのだが、この時は、素直に、やってみようと思った。

 で、とりあえずやってみた。

 何をどうやったのかはわからないのだが、その時は、強く引き寄せるような気持ちを持ったように記憶している。


 消しゴムは、右手の中に入っていた。


 これって…。

 …。

 これって…、あれだろう?

 あの、映画でやっていた、あれだよ。

 ほら、雪に刺さった剣を引き寄せて…、ブビュゥィーンと伸ばして、それで、ヴィーン、ジュバッと悪い奴をやっつける、あの、あのすごい力と同じじゃないんだろうか…?

 うん?ひょっとして…。

 ひょっとして、おれって、すごいんじゃないの?

 ものすごい力を持っているんじゃないの?



 机の上に置いた消しゴムを、何度か引き寄せてみた。


 しかし、ここでわかったこと。

 それは、映画のような単に引き寄せる力ではなかった。

 位置を移す力だったのだ。

 机の上にある消しゴムが、そこで消えて、右手の中に浮き出る。


 それならば、こういう時にはどうなるか…と、試しに、試験用紙の下に下敷きを入れ、さらにその下に消しゴムを置いて、試験用紙の上に右手をかざしてみた。

 手に神経を集中すると…。

 まず、試験用紙の感触がした。

 まあ、これは、いつもの感覚だ。


 でも、今日は、ちょっと違う。


 フフフ、違うのですよ。

 きょうは、ここで終わりにしないのです。


 もう少し下という感じで、指先に、ちょっと意識の集中を強めてみた。

 すると、下敷きの感触…。

 下敷きの、あのツルツル感が伝わってきた。

 じわ~ん…、そんな気持ち。


 なるほど、こういうことだったのか…。

 すごいんじゃないの,おれの力。

 フフフ…、ねえ、すごいですよねぇ、ぼくの力…。

 今まで、しっかりと認識していなかったことが、不思議に思えた。

 なんでやってみなかったんだろう。

 そう、やってみようと思ったこともなかったのだ。


 そして、今の要領で、さらに強く、意識を手に集中。

 下敷きのさらに下をイメージした。


 フフフ…、感じますよ。

 フフフ…、感じるんですよ…。

 そう、消しゴムを感じるのだ。

 消しゴムの感触が、右手に伝わってくる。


 で、思い切って、消しゴムを引き寄せてみた。

 すると、消しゴムは、下敷きと試験用紙を破壊することなく、僕の右手の中にあった。

 試験用紙は、下敷きの動きに合わせ、少し横にずれて、小さく落ち、『かさっ』と小さな音がした。

 また、じわ~んとした。


 そう、おれの力は…、おれの力は、そんなすごい、ものすごい力だったのだ。

 僕は、夢中になって、何回も試してみた。



 その、結果として、今覚えていることは。

 試験が終わる前に、ものすごく気持ち悪くなり、保健室に行ったこと。

 これは、能力の使いすぎだと、今では理解している。


 それと、その数日後、数学の先生に呼び出され、お前だけ、特別に、もう一度試験をしてやるから、しっかり勉強してくるようにと言い渡されたこと。

 あとのことは、よく覚えていない。



 それから、この力を伸ばすべく、いろんなことをやり、努力した。

 そして10年がたった。

 今、おれ24歳…。


 で、力は、17センチ3ミリ 。

 173ミリで、ひとなみ(人並み)…。


 この数値は、この10年間の血と汗の結晶なのだ。

 僕が、ものを移動させることができる距離なのだ。


 17センチ、3ミリ…。

 それが最長距離。

 調子がよいときに、なんとか達成できる距離。


 あ~あ…。

 これ以上は、どうやっても、距離が伸びなかった。

 ずいぶん時間をかけ、努力もしたんだけれど、だめだった。


 本当は、173メートルくらいにしたかったのだ。

 いや、最初は、もっと遠くから、そう、月の石ころも、引き寄せることができるんじゃないかとすら考えて、練習に励んだ。

 でも、月どころか、173メートルも無理だった。


 173センチでもよかった。

 そのぐらいの距離を移動させることができたのなら、何らかの力となって、世のため人のため、役に立てるはずだった。

 間のものを通って移動するんだから、災害救助とか、なんだかんだとか。

 そう、思うでしょ。


 でも…、単位はメートルではなく、また、センチでもなく、ミリメートル…。

 173ミリ。

 これが、おれの力の限界だった。

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