第4話
それから二日が過ぎた。大体同じような日々の繰り返し。だが、大体の名前や人間関係が見えてきて、美冬も初めほどには苦労しなかった。先日の一件の後、少しコウとぎこちないときもあったが、そんな中でも美冬の行儀が気になる彼に小突かれたり文句を言われたりするうち、その間柄も落ち着いてきた。
だが、今朝は違った。いつも朝食は初日に行った食堂のようなところで皆と食べていたのに、今日は部屋で食べてほしいと料理番にお膳を運んでこられた。正直なところ、美冬にはそのほうがありがたかったが、辺り全体がざわざわしているのは気にかかった。そして何より、今日はコウが現れない。後でレイに、普通従妹とはいえ、女性の部屋の中にまで男性は来ないものだ、と聞かされたが、いまさらそんなことを気にしてでもあるまい。普段と違う様子に落ち着かずにいると、レイが少しこわばった顔で扉を開けた。
「今日はどうしたの? なんかみんなざわざわしてるけど……」
「おや、美冬様でも気づかれましたか」
「でも、って、なに」
こんなときにも憎まれ口を忘れないレイに、腹が立つ反面、ほっともする。いつもと同じ、というのはありがたいことなのだとふと思う。
「継承式が決まりました。明日、とのことです」
「え……明日? そんなに急なの?」
「王のお加減がいよいよ危ないようです。わずかな時間でも、王位に空白が出来ることは、アレドにとって非常に不吉なこと。絶対に避けなければならないのです」
「王……ってことはコウのお母さんが? コウを今日見ていないのは、そのせい?」
一族にとっての王。だが、コウにはそれ以前に、母だ。いよいよもって危ないのであれば、そばにいたいと思うのは自然だろう。だが、レイは少し困った顔をする。
「お会いしに行かれるべきだとは思うのですが……別件のようです」
別件って? と美冬は更に尋ねたが、それより、とレイは強引に話を変えた。力強く三度手を叩くと扉が開き、三人の侍女が三着の衣装を持って現れた。
一人は炎のように紅い衣装を。
もう一人は雪のように純白の衣装を。
そしてもう一人は、深い青の衣装を。
それぞれに良く見えるように衣装を広げると、レイはすっと手を伸ばした。その合図を受けて、三人は深々と頭を下げて部屋を出て行く。
「継承式での衣装です。お好きなものをお選びください」
「え、何でもいいの?」
「構いません。美冬様のお好みでどうぞ」
どれも美しい色だった。形はどれも同じで、いたってシンプル。今着ているものよりもあっさりしているくらいだった。だが、素材が良いものであることは何となく感じた。赤・白・青の中で、美冬が単純に好きな色は白。だが、
「……これがいいかな」
選んだのは、青だった。この世界に初めに来たときに見た湖の—そして、ずっと自分を見守ってくれていた人の瞳の色。
「美冬様……」
その想いを、レイはさとくも感じ取った。その手をしっかりとつかみ、美冬はレイの目を覗き込む。
「コウはどこ?」
シャナを見失って、《門》の可能性に気づいたとき、コウは真っ先にこの山に来た。何もわからず無邪気にシャナとレイと三人でよく遊んだ場所だ。その時おぼろげながら、何度か幼い子ども一と緒に遊んだ記憶があるのだ。自分たちより更に小さくて、おかっぱ頭で、自分やレイよりも圧倒的にシャナになついていた少女。
あの時はわからなかったが、あとになってあれは《門》だったのではないかと気づいたのだ。だが、当時もそうだったが、《門》はこちらから求めて出会えるわけではない。
シャナを追って向こうへ行くときは、すんなりと出会えた。あの時はただ運が良かった、としか思わなかったが、今にして思えばそこにも《門》の意志が働いていたのではないだろうか。つまり、あの時はコウを向こうの世界へ行かせたかった理由が、逆に今は行かせたくない理由が《門》にあるのではないかと。
「シャナが、まだ戻りたくないからか」
美冬とこの世界に戻ってから、もう何度足を運んだかわからないこの場所を、コウはまた訪れていた。声がかれるほどに《門》の名を呼んだが、その気配はまるでない。
「でももう限界だ、シャナ。頼む、戻ってくれ」
どうか《門》がこの祈りをシャナに届けてくれるように。一縷の望みをかけて呟き、コウは山を出ようとした。その目の先にいた人物に、コウは心臓が止まりそうになるほど驚いた。
「なんで、今日は来てくれなかったの?」
静かに尋ねる美冬は、昨日までより少し成長して見えた。体ではなく、何か心のうちが。話そうか戸惑うようなコウの心のうちを知るように、美冬は首をかしげる。
「継承式が明日だって。レイに聞いた」
先に伝えた美冬に、コウは目を閉じる。そうか、と呟いて美冬に向き直る。
「それから?」
「え?」
「聞いたのはそれだけか?」
「衣装は何色がいいかって、聞かれたから。……青にした」
あなたの瞳の色と同じだから、とは、本人を前にしてはとても言えなかった。そもそも理由など聞かれていないのだが、不意にその色を選んだときの気持ちを思い出して、美冬は一人気恥ずかしくなる。だが、コウはそんなことを気にかけている様子はなかった。
「石のことは?」
「……いし?」
頭の周りに疑問符をたくさん浮かべている美冬の顔は、それだけで十分答えだった。ゆっくりと腰掛けて、美冬にも座るよう促した。少し考えて、あえてちょっとだけ離れた場所に腰を下ろす。
そんな美冬の額の真ん中を、コウはおもむろに指で突いてきた。突然のその行動に、美冬は何のリアクションも取れなくなる。ただむやみと頬が赤くなってあわてる美冬に、コウは、ここに、と静かに告げる。
「『アレドの血』と呼ばれる石を、継承式のときに埋め込む」
ゆっくりといわれた言葉を、美冬はぱたりと手をとめて考える。
額に。
石を。
埋める?
「……めっっちゃいったー……っ」
「くは、ないらしい」
想像しただけで泣きそうになる美冬の顔に、コウは思わず笑った。それは、年相応に無邪気で、クラスメイトたちともあまり変わらない、普通の少年の笑顔だった。こんな顔も出来たんだ、とこんなときでも美冬はつい見とれる。
「母上に昔きいた。痛みは不思議とないらしい。だが、一度埋めると死ぬまで取り出すことは出来ない」
「そうなんだ」
「そして、この石を埋めると、その後一切の《異》を超えることが出来なくなる」
「……よく、わからないんだけど」
「離れられなくなるということだ。この土地を。違う部族の土地に行くことも出来なくなるし、もちろん別の世界に行くことも出来なくなる」
ってことは、と美冬は考える。
別の世界からやってきた美冬は、
「もう、帰れなくなるってこと……?」
呆然と、尋ねるでもなく口にした美冬に、コウはうなずかなかった。答えは合っている。だが、うなずけなかった。
それでも、そんなコウの様子から自分の考えが正しいことを思い知る。
とたんに、美冬の頭に自分の本来の日常がと頭に浮かんだ。
あまり自由には過ごせない休み時間。でもクラスの友達と全力で笑いあっていることも気づけば多くて。
勉強しろ、とうるさい両親。でも、休みには色々なところへ連れて行ってもくれる。日常の何気ない中でも、怒られながらも自分のことはきちんと見てくれていて。
面倒くさいことや、退屈なことの繰り返しで、いつもこんなのはうんざりだ、なんて思っていて、どこかへいければいいのに、と時には口にしたりもして、でも
二度とあの現実に戻れないなんて、本気で考えたことは一度もなかった。
恐怖から唇を震わせる美冬から、コウは目をそらす。
「シャナが継承式の直前になって《門》をくぐったのもそのせいだ。本当はシャナが王位を継ぐのはもっと先のはずだった。だが、母上の病状が一気に悪化し、大幅に早まった。一度は仕方がないと受け入れながら、それでもどうしてもあきらめられなかったんだろう」
その想いを責めるそぶりはコウにはない。初めから一貫して、シャナが悪いとは考えていないのだろう。だが、その思いがわかる・わからないだけでことはすまない。
「シャナの想いはわかる。こんなときでなければ、気が済むまで好きなところへ行って来いと言ってやりたい。だが、現実には母上の死期が間近に迫っていて、本来何の関係もないおまえを巻き込んでいる。このまま、ということだけはどうしても避けたかった」
避けたかった、と過去形でコウはその想いを口にした。それは悔いでありあきらめであり現実だった。どれほど身を削ってでも避けたかった現実が、もう逃げ切れないところにまで迫っている。それをコウは誰よりも感じていた。
口元をおおったまま、美冬はあふれ出る涙を抑えられずにいる。そんな彼女をコウはじっと見つめる。
「逃げるか」
「え……?」
「継承式に出ずに、逃げ出す」
「そんなことできるの?」
「逃げること自体は簡単だ。だが、アレドの民にとって、『シャナ』が式を棄てて逃げるのはこれで二度目だ。今度は許されないだろう。地の果てまででも追ってくる。アレドは……ちがうな、俺たちは、そういう部族だ」
自虐をこめて、コウは言う。ずっと頭にあった考え。だが、しょせん自分ひとりに出来ることなどさしてない。美冬を連れて逃げたところで、何日もつかすらわからない。よほどの奇跡でも起こらなければ、逃げ切ることなど出来ないだろう。逃げ切れたところで、コウはアレド以外に人が住む場所をこの世界に知らない。たった二人で何が出来るのか。
そして王を失ったアレドはどうなるのか。それでも、と。
「いつか《門》に出会える可能性に賭けて、逃げるなら俺はおまえを守る」
まっすぐに告げるコウに、美冬は涙にぬれた目で見つめる。そんなことを聞くときではないと、でもどうしても聞きたいことを、口にする。
「それが、私を巻き込んだあなたの責任だから?」
厳密に言えば、コウが美冬を巻き込んだわけではない。巻き込んだのは、あくまでシャナだ。それは、コウも美冬も承知している。
だが、今の事態を自分のせいだとコウが感じていることもまた、お互いにわかっていた。
「……それも、ひとつだ」
それもひとつ。
では、それ以外の理由は。
そこまで尋ねる勇気は美冬にはなくて、その後二人は口をきかないまま屋敷までの道をただ歩いた。
長く眠れないまま寝返りを打ったあと、ようやく夢が美冬を迎えに来た。
ここにきてから頻繁に見る、本当の世界の夢。だが、今夜は様子が違った。
「ああ、結衣ちゃん! 美冬知らない?」
髪をかき乱し、必死の形相で尋ねる母。あんな顔は、今まで見たことがない。その勢いに気おされながらも、結衣が「知らない」と答えると、足元からくず折れそうになる。そんな母を片手で支えながら、父は誰かに電話をしていた。
「はい……はい、そうなんです、娘が昨日の夜から戻らなくて……いえ、心当たりは全て探していますが全く。……家出? そんなことはありません! 誘拐じゃないかと思うからこちらへ電話しているんです!」
いつも冷静、ともおとなしい、ともいえる父が、これまた見たことのない迫力でケータイに向って話している。内容から、どうも相手は警察のようだった。
そして、行方不明になっているのは、美冬、らしい。
憔悴しきったような母の顔は、見ているほうがつらいくらいだった。いつも憎まれ口ばかりでかわいくない秋真も、今は泣きそうな顔でただそんな両親を見つめている。
『お父さん! お母さん! 私はここにいる!!』
どれほど叫んでも、その声は全く彼らに届かない。のどがつぶれるほどの絶叫を繰り返して、
「美冬!」
そうして、コウの声で目が覚めた。
昨日選んだ青の衣装を、レイに着付けてもらう。凪いだ海のように深いその色は、波立つ美冬の心を鎮めてくれていた。昨夜夢を見ながらずっと泣いていたらしく、目元は不細工にも腫れ上がっていた。だが、そのことにレイもコウも気づいているだろうが何も言わない。ただ、少しでも目立たないようにと目元の化粧を濃い目にしてくれた。
コウから与えられた新しい選択肢を、美冬は選べずにいた。もし逃げたら、自分も、コウだってきっと殺される。自分が帰れなくなるから、その為に彼の命まで奪っていいのか。だがそれでも。
答えの出ない問いかけを何度も繰り返すうち、いつの間にか継承式の場についていた。
厳かな空気の中、よくわからない儀式がいくつか行われる。
昨日レイに教えてもらったところによると、アレドの王というのは、彼らが信仰する神の巫女であるらしい。その為、継承式では神に前代の王がその役目を終えること、新しい王が誰である、というようなことを伝える儀式がいくつもあるのだそうだ。その詳しい内容はレイにもあまりよくわからないが、とりあえず神妙な顔をして座っていればいい、と雑な指示を受けていた。
『美冬様が動かなければならないのは、ただひとつ』
「--それでは、新たなる王に『アレドの血』を」
『石の継承を求められたときだけです。その時になれば、前へお進みください』
見知らぬ世界の王として生きるか。
地の果てまでも逃げ続けるか。
シャナ様、と促され、美冬は立ち上がる。だがその時、不意に美冬の頭に声が響いた。
『美冬』
聞き覚えのある声。自分にも似た、でも違う。
『《門》までおいで。かわってあげる』
幻聴かと思った。だがこんなにはっきりと聞こえることはありえないだろう。石にでもなったように固まった美冬に、周囲がざわつき始める。
「シャナ様、早く前へ」
いらだったように、レンが声をかける。だがその声で魔法が解けたように、美冬は振り返った。
「コウ!!」
この世界で、コウとレイ以外の前で声を発したのは初めてだった。周りが立ち上がるよりも更に早く、コウは美冬のそばへ駆け寄った。伸ばした彼女の手をコウはぐっとつかみ、その場から走り出す。
待て、という怒声を背に聞きながら、コウは以前見せた光を放つ。その混乱にまぎれ、コウと美冬は屋敷から逃げ出した。
「……じゃあ、シャナの声が聞こえたと?」
「そう。《門》へ、来いって」
あそこか、とコウは山を目指す。だが、ふと触れた彼の腕はべったりと血にぬれていた。知らぬ間に攻撃を受けていたらしい。案ずる美冬に、だがそれ以上そのことに触れる余裕すら与えずに、コウは走った。
昨日も訪れた場所だった。だが、昨日と違うのは、そこにコウがずっと求め続けていた少女がいることだ。
「……《門》」
以前会ったときと同じ、おかっぱ頭のその少女は、二人を待っていたようだった。
「向こうに、シャナがいる。だが、こちらからしか開けない」
「こちらで、《門》の条件をのめ、ということか」
コウの声に警戒が混じる。《門》の要求は、時に冷酷であることも自身の経験から知っているからだ。だが《門》はコウを見ることはなく、まっすぐに美冬を捉えた。
「戻りたいか」
「……もちろん」
「では、記憶をもらおう」
「きおく?」
「ここに来てから……いや、シャナと出会ってからの、この世界の記憶全てを。それを渡せば、そなたを元の世界へ戻してやる」
「この世界の全て、ってことは、レイのこともシャナのことも……コウのことも?」
「その、全てを」
戻りたい。半狂乱になって自分を探している両親の前に、姿を見せたい。だが、
「いや、忘れたくない……っ!」
せっかく出会えたのだ。厳しい他人に、新しい世界に……恋する人に。だが、そんな美冬にコウは首を横に振った。
「最後の機会だ。今しかない」
でも、と叫ぶ美冬の頬には大筋の涙が伝っていた。動揺する彼女とは反対に、コウは微笑んだ。
背後からは、二人を追う声がする。どうする、と急かす《門》に、美冬ではなくコウが、開いてくれ、と告げる。
パニックになったような美冬を、コウは抱きしめた。
「俺はここにいる。まずは、シャナを助ける。俺がうまくやれなかったせいで、あいつの立場を追い込んだ。その責任は取る」
「でもそれじゃ」
「だが死なない。その役目が終わったら美冬、必ずおまえに会いに行く。たとえおまえが、俺を覚えていなくても」
耳元のコウの声は、この状況に似つかわしくないほど落ち着いていた。その声に覆いかぶさるように響き渡るのは、聞き覚えのある地響き。真っ黒の空間が現れ、猛烈な風が吹き荒れる。
戻りたい、けれど離れがたい。
きつく自分の服を握り締める美冬の指を、コウは一本ずつほどいていく。そして、最後の指をはずしたその時、コウは美冬に唇を重ねた。
「待っていてくれ」
ささやいて、コウは美冬の身体を突き飛ばした。
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