最終話 星に願いを

 翌朝、やや寝不足で出社した遥を待っていたのは、社歴二十数余年の大ベテラン、小山社員の不服そうな顔だった。 悪い予感……。


「宇多さんのお休み、支社長は当然許可されたんですよね?」


 極めて落ち着いて、ただ、どこにも取り付く島のない言い方で彼女が詰め寄ってくる。


「そうだけど…… だってあの日は渋谷でしょ? 徹夜のまま来ても仕事になんないだろうし。記念日休暇もずらしていいか、って訊くから、いいわよって言ったけど…… マズかった?…… ん? …… その顔はマズかった? …… ですね。。。

スイマセン…… 」


 声も先細りに言い返せない遥…… トホホ。


 いいじゃんか! 若い連中がたま〜に盛り上がったってさあ! 有給休暇なんて消化しきれないほどあるんだし! ほっといてやればいいじゃん! 


 とは思うものの、このベテラン女子を敵に回す勇気などない。できれば味方でいてね、とスリスリしたいほど。それを見越してか、小山社員は嵩にかかって言い返してくる。


「いくらなんでも甘くないですか? あれだけ大騒ぎして!

 転勤するとはいえ同じ職場の男性社員ですよ、一緒だったのは! それを…… 三日も休暇を認めるってのは…… どーなんですかねっ!」


 一気にそれだけ捲し立てると、彼女は宇多社員の休暇届をバンと机に叩きつけてぷいと部屋を出て行ってしまった。


 …… あのね、私たちは社畜じゃないのよ。良く働き、そして良く遊びましょうよ、ねっ。。。 彼女の後ろ姿に心の中で叫ぶが、声は出ない。


 あ~~~ぁ、まったく毎日毎日、私はなにやってんだろ?


 どこが輝く女性の職場よ! 何が女性活躍社会よ! どっかの偉い人! あんたら、なんとかしなさいよ!


 と、新聞紙面の政治家に向かって言い放つ。それでもおさまらず、彼女の愚痴はまだまだ続く。


 人はそれぞれ、人生いろいろ…… そう! 人生はいろいろなのよ。彼女には彼女の、あなたにはあなたの、私には私の人生があるの! 部下といえども所詮他人のあなたたちに指図できるなんて…… そんなこと、ないんだからね……


 言いながらどんどん意気消沈してしまう遥。例によって髪の毛をくしゃくしゃと掻き毟るたび、嘱託の美濃さんと目が合う…… もぉ~~~、はやく集金行って! と目で訴えるが、美濃さん、知ら~ん顔。


 そうこうしているうちにメンバーが三々五々出勤してくる。葛原はなんとなく不機嫌そうに、新メンバーの小野田は無表情に。宇多はまだ現れないし小山はトイレから戻ってこない。嘱託の美濃さんは鼻毛を抜いていて、その横でパートの遠藤さんと和田さんは朝からジャニーズのワイドショーネタで盛り上がってる。


 あ~ぁ、これが私の四年間の成果だったのね。男どものやりっぱなしの営業スタイルを変える?…… とんでもございません。この現実こそ、無秩序で統制がなく、女性らしい感性も輝きも無縁だわ。きっとこの支社は、統廃合に向けて一直線ね。あ~あ、私は無能な支社長として、歴史に名を刻むんだわ…… 


 塞ぎ込む遥。もう顔も上げられそうにない。そんな矢先、


「支社長! おめでとうございま~~す!」


 何かと話題の宇多が大声でドアを開けて入ってきた。


 なんだ? なんだ? なんだなんだ???



✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤



 いつの間にか全員が手に持っていたクラッカーを一斉に鳴らす。なんだなんだ? サムライブルーの凱旋帰国? えっ、なんかキャンペーンに入賞でもしたっけ? ???


「おめでとうございま~~す」


 さっきまで激オコだったはずの小山社員が小さな花束を手に近づいてくる。


 ん? 


 そうか…… そうだった…… 


 忘れてた……  私、誕生日じゃん。。。


 こんな小さな支社なんですもの。お誕生日くらいささやかにお祝いしましょうよ。そう発案したのは私だった。四年前の着任日。自分の誕生日が過ぎていたこともあって、気楽な気持ちでそう持ちかけた。あの時、自分は支社長だということを忘れ、ただ、思いつきでアイデアを出しただけだった。

 あれからずっと、誰かの誕生日には決まって花束が贈られるようになった。ほんの思いつきなのに、みんなよく付き合ってくれるわ、そう思っていた。


 だけど…… よくよく考えれば、あれは私の命令だったのだ…… 不用意に、なんの考えもなく口にしたこともでも、今のこのオフィスの中で、私の言葉はほとんどが命令として伝わるのだ。


 そんな当たり前のことにも気づいてなかったなんて……


 自分はなにもできちゃいない。ただ、お飾りとしてこの場所にいるだけ。彼や彼女たちに選ばれた存在でもなんでもない。それなのに、偶然居合わせたこのメンバー達は、ちゃんと御輿を担いでくれている…… だから、ここはちゃんと回転している……


 特別な存在でありたい、日本一になりたい…… そんなこと、意味があったのかしら。。。


「え~、それでは、恒例でございますので、ご本人からお誕生日のご発声をいただきたいと存じます。諸事情により、何度目のお誕生日であるかの発表は控えさせていただきますので、各自余計なご推測などされないように。 では、足立さん、どうぞ」


 地味だとばかり思っていた葛原に、いいように仕切られて挨拶させられる。


「みなさん…… 」


 並んだ顔をひとりひとり見渡す。彼らのこと、ついさっきまで、無愛想だの不機嫌そうだの、鼻毛抜いてるだの、ゴシップばっかだなどと思っていた自分が情けなく恥ずかしい。もっというと、日本一の支社にするのだと思いあがっていたこと、なにもできていないなんて不満に感じていたことも含め、ここ数日間の自分が情けなく恥ずかしかった。そんなことを思うからか、次の言葉がなかなか見つからない。


「みなさん…… ありがとう。みなさんも、健康には気をつけて……」


 涙声で健康に注意…… しばし沈黙…… 一瞬にして凍りつくメンバーの顔、顔、顔……


 ハッ! 


「あっ! ごめん! なんでもないよ! 健康診断全部マルだから! ホント、健康なのよ! うそっ! ごめ~ん、そういうんじゃないから!」


 懸命に言い訳する遥。涙声で言葉少なに語ったかと思えば、慌てふためいて言い訳している…… 


 そんな遥の姿がおかしかったのか、嘱託社員の美濃さんが爆笑し始めた。その大笑いが徐々にメンバーに伝播し、いつのまにかオフィスには、飛び切り明るい笑い声が溢れた。



✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤



 メンバーから背中を押されるように、遥はその日、夕方早くオフィスを後にした。まだ明るいうちに帰るなんて、少し罪悪感。夫の恭平に今日は早いよとメッセージを入れると、駅で待ってると返信があった。


 改札を出ると、娘の知佳が走り寄り、夫の恭平は軽く右手を上げた。娘のリクエストでチェーンのイタリアンの店に入り、パスタとピザを注文し、恭平とグラスワインで乾杯した。帰り道、デパ地下でチーズとワイン、それと知佳が選んだデザート類を買い足して、梅雨明け間近の夕闇の中をバスに揺られた。


 知佳が眠ってしまうと、窓際に椅子とテーブルを寄せて、恭平とふたりで遠い都心の夜明かりを眺めながらワインを飲んだ。こういうこと、ここに移り住んだ頃には時々あったような気がするが、この四年の間には一度もなかったかもしれない。


「もうじき七夕だね」


 時計が午前零時を回る頃、恭平がふとそんなことを口にした。


「ホントだね。お母さんも、いっそのこともう一日出産を遅らせてくれれば、私も晴れて七夕が誕生日だったのに……残念だわ」


「そう? 誕生日を祝っていると七夕の日がやってくる、そっちのほうがよくないか?」


「そうかなぁ…… 七夕は明日の夜だよ。織姫と彦星は明日の夜、天の川が夜空を彩る頃、ようやく会えるんだよぉ」


「いや、午前零時を回ると会って、明日の夜、午前零時を前に離れ離れになる」


「え~~~、じゃあ明日雨になるとどうなるのさ?」


「そりゃ…… そのまま一年間一緒に暮らすわけだよ。帰れないから仕方なく」


「え~~~、仕方なくなの! ショック……」


「なんだよ、ショックでも一年間一緒のほうがいいだろ?」


「…… そうかもしれないけど」


「そんなもんだよ。何かが特別であるより、何も特別じゃないことの連続のほうがいいんだよ、何事も」


 恭平は時々こんな意味のあるようなないようなことを言って遥を不思議がらせた。でも、そうかもしれない。特別な何かより、何も特別じゃないことの連続、それも素敵なことかもしれない。


「私ね、まだがんばろうと思ったよ、今日」


「おやおや、先週の内示の日にはこんな会社もう辞めてやる! くらいの勢いだったけどね」


「人間だもの、そんな日もあります」


「簡単に立ち直るところが遥のいいところかもね」


「立ち直ったんじゃありません。気づいたんです」


「そう。よかった」


 それっきり恭平は黙ったまま静かにワイングラスを傾けた。


『星に願いを…… 支社のメンバーがそれぞれに夢を叶えられますように』


 なんとなくそんな気分だった。


 でも、ついでにこんなお願いをしていた遥を、神様はちゃんと知っている。


『来年こそ、本店に異動になりますように……』


 そんな遥のことを知ってか知らずか、恭平は穏やかな顔でうたた寝を始めた。


『あの頃の未来…… いる感じかも』


 遥はなんとなく嬉しくなって、ごくりとワインを飲み干した。天の川は見えないけれど、都会の明るい夜空に、ひとつふたつの星がきらめいていた。

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七夕の夜に 千賀 華神 @ChicaHannaLugh

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