氷の少女の悲痛そして王子の嘆きと愛


「……どうして、あなたが泣くのよ」


 不意に。微笑んでいた少女の表情が凍りつき、冷たい言葉を吐く。少女の視線の先にはココリエの姿。青年は頬を濡らしてサイを見ている。そして、サイの中に在る誰かを。


「泣きたいのはサイの方だよ、ココリエ」


「わかっている」


「わかってないよ。サイを傷つけておいてどうしてあなたが泣くの? おかしいでしょ」


「すまない。約束、破るつもりはなかった」


「……言い訳よっ。なにが、なにが破るつもりはなかった、よ? 裏切った、サイに牙を向けた時点であなたはサイを傷つけたのよ!? それが、なに? 偽善もいいところね、ココリエ! あなたのせいでサイの心がどんなに血を噴いているか、わかる!?」


 言いながら、少女の両手が武器を旋回。地面に武器の尻を叩きつけた。そして、世界は一変。真夏の小道には氷が張り、霜がじゃりじゃりと植物を覆っていく。


 氷は勢いを弱めることなく、冷たくココリエたちを拘束してしまった。まずいと思った時にはもう腰まで氷がきて、そして三人の身動きを完全に止めていた。


 これでもう終わった。あとはこの少女が三人の首を順繰りに落としていくだけ。だったのに、サイは、サイの体の誰かは大鎌を消し、ふらふらと歩きはじめる。悲しみに心潰れたサイと同じように視線はさだまっていない。歩んでいく娘の頬は濡れていた。


 サイの痛みを感じて、サイの痛みに涙する。そんな雰囲気。悲しげで無念そうだった。


「ごめんなさい、サイ。私が愚かだったせいであなたを傷つけたね……でも、大丈夫。すぐあのひとのところにいくから、思いっきり泣いていいから、ね?」


 サイに届かない声。だが少女は呟く。届かないと知りつつ、届く筈がないと理解していてもサイの心を案じてマナの下へ救いを求めにいく。ふらふらとココリエたちの横を通るサイにココリエは口を開きかけたが、サイの中の誰かが早い。声は氷点下だった。


「あなたを信じた私がバカだった」


「誰、なんだ? 本当にそなたは誰なのだっどうしてそこまでしてサイだけを想う!?」


「他にいないもの、私にはサイだけ。かつてのサイがそうであったように。縋れるのは、私が縋ることができるのはこのひとだけだった。あのゴミ共はサイを虐げたけど、その理由が今でも私はわからない。こんな連中の為に心痛める優しいサイを想わない毒親共」


「サイの過去まで知って……。何者なんだ、そなたは。氷を使う者などいる筈が……」


「それは想像力の欠如。氷なんて簡単につくれるよ。あなたたちの脳が容量不足なだけ」


 想像力に欠け、脳味噌が小さく皺少ないと実に軽く悪罵を吐いた少女は三人の横を通りすぎると同時に氷を解除。触れる空気はまだ冷たいが氷の中にいた者には救いの暖かさ。


 あまりの低温に触れ、閉じ込められていたせいで体がかじかみ自由が利かないココリエは遠くに去っていくサイの背に叫ぶ。


「サイっ!」


 しかし、サイは振り返らない。振り返ることなくふらふらとぼとぼ、と歩いていく。


 悲しい背中の娘はマナの救いを求めてカシウアザンカを目指す。追いかけたい。追いかけていって抱きしめてやりたかった。ココリエの本心はどうしてもサイを愛する。


 どんなに父が反対し、ココリエを叱ろうとも、ココリエはサイのことが好き。その気持ちに嘘はない。だからこそ、せめて楽に死なせてやることが慈悲と思い込んだ。


 だが、それも少女には残酷で、冷たい冷たい悪鬼の言葉でしかない。そのことも理解したつもりになっていた。違っていた。サイの苦しみと悲しみ、痛みは筆舌に尽くし難いものとなっていた。裏切られる激痛で彼女の心は瀕死に陥っていたのだとわからなかった。


 遠くなっていく背。届かない場所にいってしまうサイ。声はもう届いても届かない。


 ココリエはそのことで責めるべき誰かを知らない。一時、父を憎んでみようと思ったことがあるも、父親の論はどこまでも正しい。ウッペの災厄になりかねないサイを殺す。


 とても当たり前に在る王の姿。我儘を言っているのはココリエ。だが、それでも、でもだからといって、親しかった娘を理不尽に殺すことを肯定できない。なにより彼女はウッペに尽くしてくれていた。誠心誠意、忠義を以てウッペに在ってくれたのだ。


 なのに、どうしてそれを裏切って一方的に悪意を持ち、死ねと迫らなければ? そんな心の迷いがこの敗北を呼んだ。わかっている。でもどうすることもできないほど苦しい。苦しみを噛みしめて生き残った三人は一時撤退を選択。立て直しが必要だ。身も、心も。


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