悲しき理解
「ぐす、ひっく……ふえ、ええぇ」
「そうか。でていってしまったのか」
可憐な声が泣く。悲しそうな声が確認しながら部屋を見渡す。見事な木彫りの置物がこれでもかと置かれている部屋に主はいない。もう、いない。初春の候よりずっとこの部屋を使っていた主に置いていかれた置物はなにを語るでもなくそこに捨て置かれている。
そう、泣いている少女と共に。創造主に見向きもされず、置いていかれてしまった。
「ルィル、泣くな」
「無理、で、わ、お兄様……っ、だって、だって……だって、サイが、サイがルィルに」
「ルィル、余はさようならすら言ってもらえなかったのだぞ? お別れしてもらえたルィルが羨ましいくらいだよ。だが、こんな……即決するほどとは思わなかった」
即決するとは思わなかった。悲しそうにルィルシエを慰めていたココリエが呟く。もうここに、ウッペにいない娘の不在を嘆きたいが、本当に辛かったのはその娘、サイの方。
父にずっと残酷を敷かれていたというのはサイを迎えに来た遠い南の離島を統べる女王の発言とサイの様子云々で知れていたが、ここほど早くウッペから離れてしまうほどに心すり潰されていたとは思わなかった。いや、まさかと思い込もうとしていたのだ。
なぜなら、そう。あの瞳。激痛を堪える目。あんなのはじめて見た。サイがあんなにも感情を激しく瞳に揺らすなんてそう滅多ない。なのに、堪えている、堪えてきたのならばどれほど苦しかったのだろう? ひととして扱ってもらえなくなった苦はいったい……。
「どうしてですの、お兄様……っサイは、どうしてでていってしまったのですかっ!?」
「っ……それ、は」
「なぜですの!? サイが、あのひとがあんなに冷たくするなんて、なにがあったから」
「わからない。余にも、わからない。わからないのだよ、ルィル。……すまない」
「どうして謝られるのです? 事情を、ルィルよりはご存じなのですよね? お兄様っ」
「……わか、ら、い」
「お兄様?」
「わから、ない……っサイ、どうして。どうして父上がサイを急に……あんな、扱いを」
「お父様? どうしてお父様がでてくるのです? まさか、お父様がサイになにかを?」
「やめてくれ、ルィル。わからないんだ。余にも詳しいことは一切知らされていなかったし、知ろうにもサイも父上も教えてくれなかった。だから、だから余にもなにが」
なにがなんだかわからない。
涙の混じった声が呟く。自分に確認するようにそして答えてくれる誰かが来てくれないかと期待して。ずっと泣いていたルィルシエはココリエ、兄を見上げる。兄の頬に伝っているもの。透明な涙。ココリエもルィルシエと同じか以上に動じている。サイの不在に。
ふたりは誰よりも近しかった。だから、辛い。突然の別れ。それも挨拶すらなく……。
ルィルシエはやっと兄の気持ちを汲んで泣きやんだ。自分は挨拶を受けただけましな方だったのだと思い直して。それくらい兄の落ち込みよう、嘆きのほどは痛々しい。
悲しくて悲しくてどうしたらいいのかすらわからなくなっている。王子としての立場がなければなりふり構わずサイを追いかけていきたかった。それすらわかる。
それをしなかったのはココリエ自身に王子としての自覚と自制心があったからで、そのことがココリエに重くのしかかっている。愛しい女性と自分の立場を天秤にかけ、愛しいひとを追わない選択をしたか、させられた。誰に強制されたか、考えは一瞬で終わった。
冷静になって考えればなにもかもすべてに得心がいく。ここ最近のサイが冷たかったわけも、ココリエに特別冷淡な態度を取っていた理由も。ルィルシエは理解した。
父ファバルが、ウッペの絶対がサイに命じたのだ。ココリエに近づくな、と。おそらくだが、近づいたなら殺す、くらいの脅しをかけ、ふたりの関係を壊そうとしたのだ。
そして、結局ファバルの目論見は現実になり、ふたりは永遠に別れさせられた。他国のそれもあの装束から南のさらに深く遠いところにいったのだとしたら、もう、会えない。
会えたとしてももうふたりは家族ではない。敵同士になってしまったとしたなら再会は血にまみれたものになる。サイがもし、新しい地を愛するならココリエを、侵略者を新しい主人の命で殺す。情けも待ったもなく。サイはココリエを殺してしまうだろう。
後悔だ。絶望だ。こんなことになるならもっともっと兄にサイとの時間を譲っておけばよかった、とルィルシエは後悔した。血まみれの再会でふたりはなにを思い、なにを言葉にするのか、もしくは言葉すらないかもしれない。そう思うと悲しかった。
「お兄様……」
「すまん、ルィル……このような姿をお前に見せたりして、失望しただろう? たかが」
「お兄様、その気持ちはたかがではありませんわっとても、とても素晴らしい心ではありませんか、だってひとを、ひとりの大切なひとを一心に想うことが」
「それでも、余は王子で彼女は傭兵だ」
「お父様がそう言っているだけでは……」
「いや、父上は間違っていない。戦国の王族に生まれた余は傭兵娘にうつつを抜かすわけにはいかぬのだ。どうあろうとも、どんなに、余がサイというひとを……」
その先は嗚咽に消えてしまった。ひとりのひととしてサイというひとを愛している。
でも、ココリエは戦国の王子。望ましくない恋心は自ら踏み潰さねばならない。
わかっている。だけど、どうしても心が悲鳴をあげてココリエを嘆きに落とす。そのことを情けなく思っているココリエがこの部屋に来たのはどうしようもない未練が為。
大好きなひとの痕跡が残っている場所。欲しい、と言って勝手に持っていけと言われていた彫刻が、それだけがここにサイがいたことを教えてくれる。あの日からさらに数が増えたように思う。サイが悲しみに絶叫した証でもある彫刻。辛かった。だから……。
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