一方的な「さようなら」


「うむ。ぴったりじゃな。では」


「サイ~! もうすぐ夕餉だ、そ、うで」


 マナの声で振り向いたツチイエも満足そうにサイの新しい装いを見ている。が、そこにトテトテと元気な足音と一緒にサイを呼ぶ声が聞こえてきたと同時に戸が無断で開けられる。いつものことなのでサイは気にしないが、ツチイエが警戒してマナの前に立った。


 だが、ツチイエの警戒はすぐにとかれた。そこにいたのは武と無縁そのものの少女だったからだ。ウッペ王女ルィルシエがサイを夕餉に誘おうとやって来たのだ。


 やって来た。だが、そこから王女は動けず、口も利けない。呆けた顔で少女はサイを見ている。まるで異国の装いをしているサイを。これからどこかにいくかのようなサイを。


「なにか、用か? ルィルシエ王女」


「……え? サ、イ?」


「用がないなら私はいとまする。な、マナ?」


「そうじゃな。あのファバルがすぐにでも動けばなかなかに厄介じゃ。しかし、それでよいのか? この王女は主にたいそう懐いている、と風の噂に聞いておったが」


「もはや関わりはない」


「そうか。では、いこうかの」


「どこへですの!?」


 マナの声に悲痛な声が叫びをあげた。入口で固まっていたルィルシエが叫んでいた。大きな可愛らしい瞳には動揺と恐れ、そして悲しみ。サイが自身のことを堅苦しく呼んだのに原因があると思われる。兄と視察にでるまでは愛称の「ルィル」と呼んでくれていた。


 なのに、今や他人行儀にルィルシエとまでつけている。しかもどこかにいく、と話をしている。いとますると、言っている。ルィルシエの混乱は当然。だが、サイは冷たい。


「さらばだ、ルィルシエ王女」


「サイ……? サ、サイ? サイ!?」


「いこう、マナ」


「どこへいくと言うのですのっ!? サイ、サイの家はここで、サイの家族は……」


 ルィルシエの涙声を無視してサイはマナとツチイエについていく。出入口のルィルシエをどかして廊下にでた三人は振り返ることなく歩いていく。ルィルシエはあまりのことに追いかけられない。足が、動かなかった。


 代わりに声が止めようと追いかけてくる。なんとか呼び止めようと。引き止めようと。


「サイ! なぜ、どこへいくのです!?」


「関係ない」


 なのに、王女の必死の声すら、言葉すらサイにはもう届かない。女戦士の心はひどく傷つけられズタズタになっていた。そこにマナが癒しの手を伸ばしてくれたことで一時とはいえ救われた。それが未来に刃となってもどうでもいい。今を救ってくれるのなら。


 先が奈落の底であってもサイにもう後悔はなにもない。ウッペの者とのことはどうでもよくなっていた。所詮ここにいる者はファバルに忠誠を誓い、ファバルの意向に従う。例え誰であっても逆らえない。逆らうことは叛意。それを理解して逆らう者などない。


 だから、敵となったファバルが支配するウッペにサイの心はもう寄らない。自然なことであり、当然のこと。ひとの心は移ろう、と言うが、サイの移ろいはけっして軽いものではない。そうしないと命を危ぶめられるからこそ。生きる為、幸福の為に移る。


 ウッペからエネゼウルへと。ウッペ王女に、ルィルシエにどんなに嘆かれ泣かれても。


 その結果をもたらせたのはほかならぬファバル王。サイは責められる謂れなどない。


 それでも背後からの声が心の柔らかなところをちくりと刺してくるのはルィルシエには罪が一切ないから。彼女はなにもしていないし、なにも知らない。なのに、告げられたのは一方的な「さようなら」の言葉。


「サイ!」


 別れを告げられても受け入れられないルィルシエは叫ぶ。サイの名を。所詮自称でしかないのに、呼んでくれる。親しみをこめて、心を許して、命すら託して……。


 サイもはじめはそれが嬉しかった。でも、ファバルの態度急変で戸惑い、果ては殺すと言われて傷ついた。だからもう、ファバルが統治する地に居場所はないと悟っている。


 その上で、居場所をくれるひとが目の前にいる。……どうして縋らずにいられよう?


「サイ、サイっ、サイーっ!」


 悲痛なルィルシエの声。サイを呼ぶ声。だが、サイは一度として振り返ることはなかった。もう彼女の心は決まっていた。新しいひとのところで新しく出発しようと。


 門出のすぐ先の未来に死が待っていようとも、「今」を満たして心を平穏に。そう願うのは命ある者の本能。苦しみ、悲しみ、痛みを抱えて生きることをわざに望む変態はいない。幸福になりたい。つまらぬ生だと言われても。サイは特に、不幸につかりすぎた。


 だから幸福になれるものなら少しだけでいい、ほんの一瞬でも、刹那の間でも、いい。


 幸せになりたい。愛されたい。必要だと言われたい。ここにいてほしいと言われたい。


 そう望むことを悪と謗るならそいつはあの自称神の同類だ。サイの不幸と絶望を望む悪鬼羅刹のともがらだ。近頃のファバルはそれに近いものがあった。


 辛かった。同じひとと見られない。見てもらえないことも、もう不要な駒の扱いを受けることも。耐え難かった。それにファバルも言っていた。「いい機会」と。


 マナに譲り、ウッペの脅威になるとして討伐という名の処刑隊をつくる。そうして堂々と正当な理由を以てサイを殺す。そんなものまっぴらゴメンだ。だから、もう……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る