連れ去りと負の予感


 痛い音。肉が斬られる音だった。続いたのは女の苦痛の呻き声。サイの肩がまた斬られていた。腐ったご丁寧さで反対の肩が。両肩に刻まれた刃の痕。出血はそこほどではないが、彼の、相手の武器には猛毒が仕込まれている。つまり、また傷を負ったサイは……。


 ココリエがサイを案じて彼女の様子を窺おうとツチイエに対している娘を見る、としばらく痛みに呻いて途端、膝が崩れて地面に倒れる。驚いたココリエが助けに入ろうとしたがツチイエが早い。倒れかけたサイを支えて、横抱きにする。男の表情には驚き。


「二撃受けて意識があるのか」


「……はぁ、あ……ぁ……っ」


「まあいい。あとで解毒はしてやる。だが、その前に我が主に顔を見せるのだ、娘」


「待て! なにがいい、だ! このような乱暴を働いてよくものうのうと顔見せを優先」


「瑣末だ。主の、マナ様の命は絶対だ。一応言っておくと、奪い返そうなど無駄だ。それに例え万が一にも奪い返せようとこの毒に効く薬を調合できるのは私とマナ様だけだ」


 ツチイエの言葉にココリエは悔しそうに唇を噛む。サイに仕掛けた猛毒を中和できる薬はツチイエと彼の主君だけがつくれる。あのサイが動けなくなるほどの毒。奪い返しても解毒できなければ彼女は弱り、最悪、死ぬ可能性すら浮上する。それは、できない。


 ココリエが実現不可能を理解したのを察してツチイエはサイを連れて車の後部に移動していく。ココリエはしばし迷ったが、あとを追った。一心にサイを案じて……。


「マナ様、申し訳ありません。思った以上の強さ故に一撃で封じること叶わず」


「構わぬ。それでこそ戦国の新たな柱。この毒で死ぬことはない。謝るな、ツチイエ」


「はっ、ありがたきお言葉。では、私めが抱いておりますので、ご存分にこの美貌を」


 ココリエが追いつき、車の後部にまわった時、主従は腹立たしい会話をしていた。いくら死なないとはいえ激痛で苦しめる猛毒を使っておいて構わないとか、どんな鬼畜だ。


 そう思ったココリエだが、車の後部に垂らされた厚手の御簾が中から持ちあげられてなにがでてくるかと身構えた。が、ついぽかんと阿呆のように呆けてしまった。そこにいたのは女、だったのだがただの女ではない。


 黒い髪に南国の海が如き瞳。白玉の肌。サイとはまた異なる眩しい美貌の女だった。黒い上等な着物を身に纏い、女性は微笑んでいる。持ちあげた御簾を紐で留めて身を乗りだし、ツチイエが抱えて差しだしているサイの顔を見てほお、とため息をついている。


「なんと美しい……強大な闇を身に宿し、ここほどの美をもいただくとは、素晴らしい」


「……はぁー、ひゅー、ぅ」


「ふふ、辛そうじゃのう。ツチイエ、ここへ寝かせよ。解毒薬を飲ませてしばし安静にさせればこれほどの上物じゃ、すぐ回復しようぞ。では、あとは予定通りに」


「はい。ウッペ王には先んじて文を送ってございますので、すぐ目通り叶いましょう」


 ウッペ王に、ファバルに先んじて話を通している? ココリエはそんな話知らない。


 自信に満ちた主従の態度からして嘘は見えない。だが、サイをこの怪しい者たちに預けるのは怖い。しかし、かといって手だしできるか、と言われると非常に難しい。


 猛毒を使ったといえ、サイを、あの勇猛で強靭な女戦士を動けなくしたのだ。ココリエが敵う道理がない。城に向かう趣旨の話をしているので、このまま預けて安全に解毒してもらった方が、と思ったり、それでも不安に思って留めたい気持ちもあるのはたしか。


「安心せい、ココリエ王子。この娘、戦国の新たな柱たる天狼のサイはわしの期待以上の闇じゃ。死なせぬし、これ以上に害することはない。大切に、大切に愛しようぞ」


「サイや私の素性を知って……。あなたは、いったい、いったいどこの何者ですか!?」


「なんじゃ、ファバルからなにも聞いておらぬのか? ……まあ、あの男らしくはある」


「お答えを! でなければ」


「ふふ、必死じゃな、王子よ。そう熱くなるな。本来ならこのような場で名乗る身でないのでな。知りたければ城まで帰ってくるがよい。先にいっておるぞ」


「な、ちょっ」


 ココリエがさらに文句をつける前に女はサイを車の中に攫い、御簾をおろした。同時に車がまるで何事もなかったかのように動きはじめた。いつの間に移動したのか、ツチイエが手綱を振ってイークスたちを走らせていた。ココリエは呆然と見送るしかない。


 だが、すぐ正気に戻り、駆けだした。車を追いかけるが、当然追いつける筈もなく、置いていかれる。それでもココリエはサイの身を案じ、走るのをやめない。


 いやな予感がした。とてもとてもいやな予感。喪失の予感であり、離別の予感。そんなものある筈ない、と思いたいがひとつ引っかかることをあの女は言っていた。


 意外そうに「ファバルから聞いていないのか?」と、言っていた。つまり父はあの女がウッペに来ることを事前に知っていた。知っていてココリエに教えてくれなかった。


 信用がないのか、それともあの主従の目的にココリエが反発すると知っていて敢えて隠していたのか、そこのところは知れないが、でも一言くらい教えてくれても……。それとも、本当に不都合でもあるのだろうか。ココリエに知られてはならない不都合が……。


 最近の父の様子。サイへの酷な当たり。答はきっと単純なものなのだろうが、まったく浮かばない。ココリエは己の脳に出来損ない、と文句を心中で叫んで駆ける。


 サイは無事に解毒されただろうか。


 城に到着したとしてどこにいる?


 ――怖い。


 どうしようもなく、ココリエは怖かった。


 サイともう会えなくなるような気がした。気のせいで済めばそれでいいが、いやな予感と想像ばかりが脳内を駆け、廻る。それは徐々に、確実に最悪をココリエに叩きつける。


 サイに、愛しいひとに二度と会えなくなる。世界一大切なサイに、もう、二度と……。


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