処置の為に天幕へ


 入ってすぐ思ったのはひどい血臭で噎せそうだ、ということ。これがすべてルィルシエの吐いた血だとしたらなんて残酷な病魔の呪い、とサイは今一度あの神を呪った。


 寝台兼診察台の上のルィルシエに近づく。少女は死んだように青白い顔で横たわっている。腕には点滴と輸血の管。平素だったら騒いで取りつけることもできなかった筈。つまりそれだけ病状が最悪以上である、ということ。一日ぶりに見てサイは悲しくなる。


 ずっと元気あり余っていたのに、こんなに衰弱してサイの姿を瞳にうつすことすらできない。王女はぼんやりと虚空を見上げている。景色はうつっていない。死ぬ一歩手前のように濁った瞳でいるルィルシエ。あのキラキラ輝く目は今どこにもない。


 それはあのファバルが動揺し、喚き立てるのもわかる。が、ジグスエントはまだファバルの暴言を許していないのか道具を準備する手つきが少々荒い。サイはそっと少女の手に触れる。それでルィルシエの目に光が戻る、とは思っていないがそれでも……。


「遅れてすまない、ルィル。大丈夫だ、命に代えても私がお前を病から助けてみせる」


「サイ、こちらは準備できました」


「私もだ。ここに来るまでの道で呪詛式は組みあげておいた。あとは謳えるかどうか」


「? まあ、あとで聞かせてもらいます」


 ジグスエントはサイの言葉になにか思うことがあったようだが、押し込めてあとにまわしてくれた。やはり歳上にはどうしても敵わない、そういうふうにできているんだな、と実感したサイはジグスエントが下準備をはじめたのを見ていつでもいけるよう身構える。


 ジグスエントはサイが渡した医学書をしばらく見てから下準備の処置をはじめた。麻酔はかけない。今でもうすでに意識が朦朧としている者に必要以上意識を奪う真似はよくないと本に書いてあったのだ。傷痕が最小限で済むようジグスエントのメスが走る。


 手首と足首、それと慎重に心臓の真上へ切れ目を入れる。血はでない。もはや出血が起こらないほどルィルシエは血液を失い、命を維持するには輸血に頼るしかないのだ。


 ジグスエントが下準備を終えたのでサイが代わる。その間にジグスエントはサイの補助をする為の準備を進めていく。


 ――ドクン、ドクン。


 心臓がうるさいほど鼓動を打つ。サイは今まで自分の殺しの腕を疑ったことなどなかったが医術となれば途端素人もいいところだ。救う側に立つなど考えもしなかった。


 だから、緊張する。しくじればルィルシエは死ぬ。だが、サイは自然と笑みが零れた。


 ――失敗を恐れる者は必ず失敗する。


 誰かから聞いた。誰かは忘れた。だが、どうでもいい。今サイを鼓舞してくれるものならばなんでもいい。やる前から失敗を恐れる者は最悪を想像し、知らず知らずそちらに引き寄せられる。だから、サイはやれるだろうかではなく、やってやる! と決めた。


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