邪悪と対し思いだす天使の話


「今、王女が入院している天幕に道具は揃っています。あとはあなたの呪次第です」


「どうにもならなくてもどうにかする」


「よろしい。いきましょう」


 ジグスエントの足が進みはじめる、と思ったのだが、王は立ち止まる。なにかと思ったサイだがすぐわかった。苛立ちと憎しみに染まったひどい顔の医師が立っている。


 ちょうど通せんぼのように立たれているのでジグスエントも止まったといったところ。


 ジグスエントが様子のおかしい医師になにか訊く前にサイが前にでる。医師の表情がさらに悪くなる。憎悪と忌々しさ、負の感情をこれでもかと盛り込んだ顔。


「どういう絡繰りだ、『器』」


「関係なかろう、下衆」


「そうかい。じゃ、王女にさようならを言いにいくということだな? で、王に殺され」


「そうはいかぬ。必ず助け、私も生きる」


「はっ、誰がお前の命を望む? 何者も知らぬところでひそやかに役立ち、誰にも必要とされず死ぬ。それがお前の背負うべき当然の運命さだめだ。曲がることはない」


「お前の妄言に付き合っている時ではない。消えろ、腐れ頭。邪魔をするな、クズ」


「……ちっ、どうせ無駄なあがきだ」


「あがかぬ愚かは妥協する豚だ」


 言うだけ言ってサイは案内のジグスエントとセネミスを連れてウッペ王女が入院する天幕に急いだ。その道すがらジグスエントから詳細な治療方法の原理を訊きだし、自分の脳内で存在を主張する呪に必要なものを肉づけしていく。元は医療用ではない呪だからだ。


 闇の根源であり、穢れそのもののように在りて相手を呪うものだが、それにとある式を加えると穢れ祓いの呪に変貌する。


 なんとも相応しい、サイの為にあつらえたようなまじない。それでも、そこにあるのは工夫。穢れをまくだけの呪に手を加え、救いの呪にする。まるで、最近ルィルシエに読んでやったノンフィクション物語の天使が使うもののようだ。


 ミュレンとシェレン。天使族ハピシカレカシカを追放されるほどに暴虐を極め、命を壊し、高笑っていた双子の姉妹。ふたりはひとつだったが、罰に妹のシェレンはアピシア、姉のミュレンはイハナサに封じられた。そこでふたりはそれぞれ片割れの為に願った。


 ミュレンは救済、シェレンは断罪を命果てるまで続けることを条件に片割れを処刑しないでくれと願い、実際に努めた。千年もの長きに渡って翼の羽がどんなに抜けようとも惨めにボロボロになろうとも片割れの無事の為に、その為だけに救済と断罪を続けた。


 罪の清算には充分すぎる、と神々を説き伏せたみことノ神がふたりの縛鎖をといて、最期を共にすごせるように場所をつくった。命の最期、ほんの数十秒で再会したふたりは互いの手を取り、ボロボロの翼で包み、倒れた。罪深きふたりの天使は笑って絶えたそうだ。


 蘇生救命の堕天使ミュレン。殺戮の死告天使シェレン。ふたりは幸福だったのか不幸だったのか。この話ばかりはルィルシエに難しい内容だったのか微妙な顔をしていた。


 今までルィルシエが選んで買ってきたのはハッピーエンドの話ばかりだった。だからバッドともハッピーとも取れる話は難しいのだ。サイは気に入ったが、ルィルシエは「なんだかとても悲しいお話ですわ」と言って以降、読んでくれ、と言うことはなかった。


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