獣がくれた医学書
「お嬢様、昨夜の話ですが」
「ん?」
「これを……」
これ、と言ってアカツキがサイに差しだしたのは本。とても分厚い、そしてとても汚い本。どんな古本だ、と突っ込んでも許される。万人が突っ込みそうなきっちゃねえ本だったのだが、ふと題に目が吸い寄せられた。
最新医学~机上の空論を現実に~。と書いてあった。……イミフ。これがどうした?
最新医学、という部分には少し心惹かれるが、机上の空論とくれば妄想じゃねえか、としか言えない。机上の空論を現実に。たしかにそうできればどんな病も……。
不意なこと。サイの脳裏に閃き再び。アカツキから本を受け取って慎重に開いてみる。
そうしなければ途端にばらけてしまいそうなほど年季の入った本だったのだ。硬表紙を開き、一枚めくって恐る恐る目次に目を通すと誰かさんがきちんと印をつけていた。
苦病――急性細胞異常症。
だがもしも、机上の空論が現実に本物の医術として確立されればこれは革命に等しい偉業をなせる手掛かりで足掛かりだ。サイは偉業などどうでもいいが、餌にいいかも。
「汚くて申し訳ない。なにしろ百年以上前に刷られた五冊限定の医療専門書ですので」
「どうして、お前が」
「……。俺は当時、とあるものに侵され、合併症を多く発症していました。それを鎮めるのに大君が最後の一冊をなんとか手に入れてきてくださったのです」
「あ、え、でもじゃあ」
「ご安心を。今はもう元気があり余っておりますし、
「……あ、そう。じゃあ、もらっても?」
「あなたの思うままにお使いください。大君の無上限の愛がまわりまわってあなたに届くというのは喜ばしいことです。中身はカシウアザンカに雇われている者でしたら解読可能でしょう。よほどのヘボでもなければ」
「大丈夫だ。ひとり心当たりがいる」
そう、心当たり。でもできればあまり借りをつくりたくない相手。だって、医学書をプレゼントするだけで全面協力してくれるほど世の中甘くないに決まっている。
ぜーったいなにかしらサイに、サイだけのご褒美をねだってくるに違いない。いい歳こいているがそれはそれでこれはこれとかなんとか言って堂々と「ご褒美」を所望する。
なので、あまりその心当たりがある人物に頼みたくはないが背に腹は代えられない。ルィルシエの為だ。多少の痴漢行為、またの名をセクハラ行為は見逃してやろう。
すると、アカツキが不審そうな目を向けてきた。ジグスエントがサイにしたセクハラを知ったらこの狼はどうするだろう? ……考えちゃいけないこともあるということにしてサイは思考閉鎖。瞳に駄々漏れる前に隠しておいた。絶対この過保護狼は制裁をくだす。
ジグスエントはいつかサイが自分の手で一撃入れてやろうと思っているのでアカツキに取られるわけにはいかない。……ジグスエントの心配? しねえよ、そんなの。
いっそ清々しく嫌っているサイにアカツキはしばらく怪しむように視線を送っていたのだが、サイがきょとんを装っているのを見て気のせいということにしてくれた。
感謝することしきりだ。本当に。下手な誤魔化しも流してくれて、ここまでしてくれるなんて。あまりにもいろいろしてくれたのでどう感謝していいかわからない。
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