罪なきを救う為に……
男が去ってから数秒、十数秒、数十秒と時がすぎていく。サイは立ち尽くしている。
突きつけられた過酷に怯えるでもなくいつもの無表情で男の背を見送っていたが、やがて視線を空に向けた。そこにサイは大切な者を見ている。天の国に在る者を思った。
自分はそこにいけない。天国にいけるのは罪なき者だけと聞いたことがあるので罪深い自身は地獄に堕ちる、だから死んでも会えない。そのことを悲しんだ。
だが、しばらくしてサイは顔を正面に戻し、ウッペの天幕に向かった。おそらく、他に場所がないのでそこで待っているひとたちにどう話したものか、と思いながら早足で進む。できるだけ早く死んでルィルシエを苦しみから解放してやりたいが故の急ぎ足だった。
会えない。ココリエにも、ルィルシエにももう、二度と。そう思うと胸が苦しくなる。
もう少し一緒にいたかった。ふたりのぬくもりと優しさに温められたかった。が、そんな高望みはしてはいけなかったと思い知った。悪魔のせいで罪なき者が苦しんでいる。
「ココリエ、セネミス、ここにいるか?」
「応さ。なにか知んねえが用は済んだか?」
ウッペの天幕に着いたサイは中に声をかけ、返事がなければいいと思ったが、すぐセネミスの声が返事をした。用事が済んだか、との問いかけに別の腐った用事ができたぞ、と心の中で呟いてみる。そうでなければ潰れてしまいそうだった。
怖かった。大切だと思えるひとたちと別れる。死別する恐怖でサイは天幕の出入口になる場所の布をガッと掴んだ。同時に中から戸惑いの声が聞こえてきた。ちょうどココリエが迎えの為に開けようとしていたようだ。ナイス判断、とサイは自賛し、呼吸を整えた。
「セネミスの言うようにやはり呪いらしい」
「サイ? それとこれはどういう関係があってしているのだ? ……なにがあった?」
さすがに鋭いというかこれくらいは当たり前か、とサイは思って少し笑ってしまった。声にこそでないが瞳に笑みがある。サイは天幕の中にふたりを閉じ込めたまま、伝えた。自らがたどらねばならなくなった残酷な最期の道を。声は、自然と震えなかった。
「お別れだ」
「な、にを言っている? サイっ?」
「ルィルシエを呪っているクソが交換条件を飲めば呪いをといて癒してやると言った」
「……ま、さか、まさかサイっ!?」
「コウケンの森で生きたまま喰われて死ね。それが条件だ。私は飲んだ。だから……」
「ダメだ! そんなことをしたのがルィルの耳に入ったらあのコは、あのコがどんなに」
「だからお前に報せている。うまいこと言ってくれ。他国に高値で腕を買ってもらったとか、祖国に帰ることになって偶然知りあいが薬を都合してくれることになったとか」
「いやだ! サイ、待ってくれ。考え直してくれ! ここを開けろ、サイ!」
ココリエの必死な声、呼びかけにサイは応えない。そうすることで自らの心も殺した。先んじて心を殺し、悲しみなどなく逝こう、と思ったが故の自己殺害。悲しい覚悟。
だが、もうサイはぶれない。
「今まで、ありがとう。……さようなら」
「サイ!」
ココリエが破く覚悟で天幕の出入口になる布を引っ張ったが、布は抵抗なく開いた。
呼びかけた先。そこにいてほしかった女の姿はない。別れの挨拶を残して自殺しに向かったのだ。それも獣害に遭って死ぬ残酷で惨い死に方を迫られ、受け入れて消えた。
ルィルシエの為に、受け入れた。自らの悲惨な死を。ココリエは地面にぺたりと座り込み、コウケンの森がある方角を呆然と見つめている。いくのは自殺行為。だが、サイは向かった。ならば、と思ったココリエの肩に触れる華奢な手。セネミスの手だった。
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