救いの口づけ


「眠り姫を目覚めさせるのは姫を心から想う男の口づけだ。ただし、一回じゃ済まねえだろうがな。あの野郎が持ってきた血濡ノ荊棘いばらがそう簡単に抜けるとは」


「どうでもいい。この心身でできることをするまでだ。サイの正確な場所は?」


「……。湖の中心、その底だ」


 セネミスはココリエの言葉に一瞬ほど黙ったが、すぐサイの現在地を教えてくれた。


 聞きたいことを訊き切ったココリエは上着を脱いで、肌着に袴姿となり、靴を脱いで湖に入っていった。冷たい。氷のような水温。これだけで、こんな場所に沈められただけでも普通の人間は死にそうだ。だが、信じている。サイがこんなことで死ぬ筈ない。


 彼女は強く美しく誰よりも弱いが故に強靭で脆くとも強く在ろうとする。そして、大切を守ろうとする。格好いい。素敵なひとだ。だからこんなところで死なせない。サイの救いの手を待っている者はまだまだいっぱい、いっぱい、たくさんいる筈なのだ。


 見えない湖の底を睨み、ココリエは深く息を吸って水にもぐった。凍えるような冷えが頭から爪先まで包む。が、ココリエは気にせず、湖底を目指して泳いだ。


 こどもの頃、川遊びを夏にするのが楽しみで覚えた泳ぎ。しかし、サイは鼻で笑っていた。「出来損ないの河童」と言われた時はさすがに落ち込んだ。が、偶然城下町から足を伸ばして視察にいった時、川で溺れていたこどもを助けたサイの泳ぎは見事だった。


 ただ、女に「実は河童だったのか?」と訊くわけにもいかず、それとなく、すごい、とだけ言って褒めておいた。サイはこれくらいは普通、だそうだ。水泳学校、学び舎に通って泳ぎを習っている者に比べたらかなり自己流でアレだ、とも言っていた。


 サイが多用する「アレ」。察しろ、ということなのだろうがそんな難しいことを、と何回も思った。そのサイがいる湖底を目指すココリエの目がなにか柔らかに揺れるものを見つけた。布だ。深い湖の底では黒っぽい色に見えるが、アレは、きっと……。


 そうこう考えているうちにたどり着いた先で彼女は眠っていた。体中、顔にまで赤い、まさしく荊棘いばらのような痕を光らせながら。サイは水中で眠っている。


 呪詛の特殊な効果なのか、サイは水中でも息ができるらしい。可憐な唇からコポ、と空気の玉が漏れているのを見る限りは。しかし、それ以外は痛々しい姿だ。


 思わず目頭が熱くなる。こんな姿になることになると知っていてもサイはココリエを助ける為に解呪儀式に臨んでくれたのだろう、と思うと悲しくて嬉しくて怖くなる。


 弱き者に無上限の愛を。弱者に慈しみを以てそこに在ろうとする娘。なのに、その為には血をかぶって悪魔で在らねばならない矛盾がサイを傷つける。可哀想なことだ。


 ――サイ、間にあってくれ……っ!


 必死で念じてココリエはサイに口づけた。だが、やはり、というとなんだが、セネミスが言った通り一回でどうにかなるものではないらしくサイは眠ったままだ。


 それでも、荊棘いばらが指先から数本抜けでたような気がした。もう一度して確認を、と思ったが息がもうもたない。すると、ココリエの肩を叩く手がひとつ。セツキがもぐってきていた。男はココリエに目であがるように指示し、サイの肩に手を置いた。


 察してココリエは離れたが、どういうわけかいけないと思いながらもふたりから目が離せない。セツキは珍しくココリエのことなど眼中にないのかサイに躊躇なく口づけた。その時だ、サイの指先から数本の荊棘いばらが抜けでて上にのぼっていった。


 確認してココリエは湖底を蹴ってセツキと共に湖上にでる。ふたり共互いの顔を見ないというか見られない。それぞれ共通の好きな女に口づけしたところを好敵手に見られているのだから。いや、セツキ相手だとココリエは負けそうな気がしてならないが。


「わっちの呪詛が、壊れ、て崩れはじめ……ている? おめえらどういう三角関係だよ」


 自分の自慢の呪詛が壊れはじめていることに呆然としているのかと思ったら急角度で曲がってココリエたちに斬り込んできた。三角関係と聞いて男ふたりちょっとだけ赤くなったがすぐ次の呪詛を壊す為、息をたっぷりと吸ってもぐっていく。


 この時ばかりは肺活量を鍛えろ、と言って鍛練を厳しく組んだサイに感謝した。以前までの肺活量、とやらでは湖底まで息がもたなかっただろう。また、もう一度鍛練をしてくれるように、と願いをこめて口づける。どうか、眠りから覚めてくれ。


 その一心でふたりは交互に口づけては湖上を目指し、また湖底に向かった。


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