呪湖に咲きし大輪の花
「久しぶりの依頼で究極的に難しい呪詛をつくったんだ。台無しにされて堪っかよ」
「だけか?」
「あ?」
「人間は簡単に憐憫を抱く生き物だ。ちょっとしたことで痛ましく思い、憐れに感じる」
「ふん。この娘の命とそっちが用意するブツの価値は等価じゃねえ。矮小なる
悪名。セネミスは北の地で恐ろしい呪詛使いとして恐れられ、黒巫女としての悪名をかぶっている。それを許容し、受け入れていることで忍者たちからは支持が厚い王女でもある。つまらない女々しさを持たない男前な気質が隠密の者を引きつけるのだ。
セネミスはこの話を持ちかけられた時、藁にも縋る思いだったこともあり、相手の、獲物となる者のことを考えもしなかった。だが、実際に会って話して後悔した。
獲物である娘はとても無垢で穢れない魂を持っていた。眩しくて直視に耐えないほど。
悲しかった。憐れだった。だが、いまさらもういやだ、とは言えない。それに言うに言えない。セネミスにはセネミスの事情がある。赤の他人を気遣ってそれを台無しにすることなどできない。それくらいのこと知っているし、理解している。
傲慢と在れ。それがセネミスの母にして先代黒巫女が残した言葉。人間は傲慢な生き物であり、それを必然とせよ。そうすることで迷いはなくなる、という教え。
だから、いまさら恐れない。サイを呪い、殺すことでなにが起きようとどうでもいい。なんでもする。それで今を凌げるのならばなんでも、どんなことでも……。
「沈めな。手筈通りにな」
「ははっ」
セネミスの声で忍者たちが動く。
サイを忍者たちが湖の中心に投げ入れ、上からセネミスが呪詛をこめて沈めていく。少しずつ女は湖の深き水底へおろされていき、やがて姿が見えなくなった。
サイの姿が水底に沈んだのを確認してセネミスは仕上げの呪詛をかけて湖上に大輪の薔薇を描いた。大きな花は花弁を妖しく輝かせている。
「解散しな」
「御意」
セネミスの声で影たる者たちが去る。森の中にいる不気味な気配は消えない。だからセネミスは説明だけしておいてやるか、と口を開いた。声に滲む悲哀。
「この花弁が散り切ったらサイは死ぬ」
「何日かかる?」
「この娘の法力が持っている質次第だな。強く強靭なだけ時間は延びることになる。だがまあ、今まで呪ってきた連中を参考にしなくても十日以上はもたねえよ、絶対にな」
「十日、ね。まあいい。十五年に比べればなんでもないわずかな時。では、約束だ」
セネミスはまたひとつ悲しくなった。まだ十五だったのか、と。道理でちょこちょことこどもっぽい筈だ。しかし、これで約束は果たした。相手もそれを口にして森の暗がりから奇妙な形状の瓶を押しだした。これこそ、セネミスが渇望していたもの。
「誇れ、セネミス王女。これで、ゴミを呪殺してトェービエ国王ザウパダは延命できる」
「誇るかどうかはわっちの勝手だ。失せな」
「そうするさ。さて、解呪をしたいと思う偽善者は現れるかな? ……ないな。ゴミの」
「現れたら教えるさ、解呪方法を。それが呪詛師の掟で黒巫女の抱える当然だからな」
セネミスの口汚さと毅然とした態度に暗がりにいる声の主はくつくつ笑っていた。
が、やがて去っていったのか気配が一瞬にして消失。セネミスはすぐに駆けだして譲られた薬の瓶を地面から拾いあげた。これだけが頼りだった。奇病に倒れた父を癒すことができる可能性がある唯一の秘薬。これを交換条件にセネミスはサイを呪った。
薬瓶の説明書きはご丁寧なことに使用方法もきちんと
「すまねえな、サイ」
ぽつりと謝罪を呟いたセネミス。
彼女の声に反応したように一枚目の花弁が散っていき、無に還った。そのことにセネミスの心臓が悲しさで悲鳴をあげた。絞られるような痛みが襲ってくる。
サイに解呪者は現れない。あの男の言葉通り。ウッペの人間はサイを見捨てた。彼らはココリエを取った。当然の判断。わかっている。だが、悲しい。誰にも思われていないとすら感じさせるサイを憐れみながらセネミスも湖をあとにしていった。
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