どうしてか、ちくちく
ジグスエントのなでなでに嫌悪感が湧く。レンとの思い出を汚されるなんて、どれだけこの男は自分を踏み躙れば気が済むのだ、と勝手に被害受けた気になっていると、ジグスエントが笑った。柔らかで温かい笑みだが、なんかもうこいつこそ毒蛇にしか見えん。
「今宵の膳は特に栄養を考慮して、味つけも最高級に仕上げるように言いつけますので食べてくださいね。でないと、残念なことに女官たちの不手際ということでミツハのご飯が女官たちから選ばれてしまいますから、ね?」
「……」
なんという卑劣な脅し。なんの罪もない女官たちの命を質に取られては別に関係ないと心でどんなに誤魔化してもあまり意味ない。罪悪感が湧く。
仕方がないので、今日はとりあえずあの変な忍兄妹に一応鬼味させてから食べてみようか、本当に仕方なく、と思ったが、ひとつ重要なことを言っていない。
「では、いい思いをさせていただいたことですし、わたくしはこれで失礼します」
「……待て」
「はい? ……もっと熱く、ですか?」
「しね。そうではない。私は食事を完食しない。いつもの癖で。それでよければ食べる」
「はあ……?」
「昔から食事はあまり食べない生活をしていたが、食べるようになってからもなんとなく完食しては失礼な気がするのだ。「こんなまずいもの、見たくもない」と、言うようで」
「……」
「だから、残すのは私なりの礼儀だ。残したからと女官を責めてくれるな。そのようなことがあれば今後一切食事をとらぬ。約束しろ。口約ではなく、なにかに書け。「残すことで不利益や他人へ罰などを加えない」、と。それなら、食べてやる」
なぜ、囚われた身で上から目線、命令チックに一方的に言っているのかはサイだけの謎だが、ジグスエントは不思議なことを聞いた、とばかりきょとんとしている。
だが、やがて、くすっと小さく笑った。
「承知しました。契約書として書き留め、わたくしの印を押し、あとで膳の前にでも届けさせましょう。好きなようにお持ちくださいな。それで、気が済むのならば」
「……感謝、する」
渋々のいやいやだったが、一応願いを叶えてもらうので謝辞を述べたサイにジグスエントはことさらおかしそうにくすくす笑って牢獄を去っていった。
男の足音が完全に遠くへ離れていったのを確認してサイは牙痕、噛まれた痕の辺りに意識を集中してみた。それと同時に体の調子を確認しておく。
どうやら、というかわかってはいたが、致死性の毒ではなさそうだ。体に痺れがある気がするので、麻痺を目的にしている。当たりをつけて神経毒の類と思われる。
「腹いっぱいがさらに満腹だな」
ひとり、牢獄の中で愚痴る。
枷に電流、武装解除さらに毒大蛇の神経毒とは念を入れるにもほどがある。そこまでして逃がしたくない、ということの表れなのだろうが、念入りすぎて気色悪い。
だが、これでもう、自力で逃げるのは難しくなった。枷があるせいで、拘束の為に動いて確かめられないが、神経毒ならば運動機能を害される。平素の運動機能を阻害されては忍から逃れてオルボウルからウッペまで一度も追いつかれず逃げるのは無理がある。
いや、ほぼというかかなり無茶な話だ。
それこそ頭が沸いている阿呆の思考だ。
「……ココリエ」
きっと、ルィルシエと並んで心配してくれているだろう青年の名を呟く。ケンゴクも心配してくれそうだが、きっと帰還の道すがら、追いつかれて大なり小なり怪我をしただろうし、そうなると自分のことで手一杯。怪我の治療に療養に忙しいだろう。
セツキが心配してくれるとは思えないし、王が傭兵娘の為に心を割いてくれると妄想するのは頭が相当おかしい。
なので、心配してくれそうなひと、というので思い浮かべたのはウッペの王子ココリエだけだった。彼も王子なので過剰に心配してはくれないのはわかっている。
が、妹が心配して心をすり減らせるのを見過ごせない程度には甘っちょろいのでそういう意味で心配してくれそうな気がする。そう、ルィルシエの為にサイを案じてくれる。
どうしてだろう。なぜだろう。
彼が、ココリエがサイの為にサイを案じてくれない、と思っただけなのに心臓に鋭い痛みが走った気がした。鋭い針で刺されるような痛み。ちくりとして、深々と刺さる。
よくわからないが、それでもなぜか悲しくなった。それをサイは自らの甘さであり、甘えとして処理した。
身寄りのない戦国島で誰にも心から案じてもらえない心細さがそんな幻の疼痛を生んだのだろう、そう思った。
でなければ、そうでなければ、おかしい。
だって、サイは最強で、闇世界の頂点に君臨する暗殺者。冷酷無慈悲で凍えた心でなにもかも、殺す。殺して自らの命を繫げる化け物なのに、心細いなどと、淋しいなどと、悲しいなどと、案じてほしいなどと、ふざけている。たいがいにしろ、である。
サイの視線があがる。
窓にはまった鉄格子が陽の光を四角く変形させてサイに降らせる。暖かい筈なのに、春も終わる、心地いい気候である筈なのに、どうしてこんなにも寒いのだろう。
わからないことを考え、サイは待った。期待することなくとも助けを待ったのだった。
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