悪魔が渡した王女の奥の手


「はあ、はあ、けほっ、ぜえ」


 一方、ケンゴクの腕から抜けて城を目指すルィルシエは今までにないくらいの勢いで走っていた。普段からお転婆で余所の姫君よりは活発なところがあったルィルシエでもここほどの全力疾走は生まれてはじめてだった。昔を思いだす。


 昔は、もっともっと幼かった頃は兄と一緒に鬼事をして遊んでいたし、お勉強をはじめる歳頃になってからは面倒臭……いや、難しい問題と睨めっこするのに飽きて投げだしの上抜けだし、説教して勉強に戻そうとするセツキから全力で逃げたものだ。


 まあ、お察しいただけるだろうが相手がセツキなので即行捕まってお説教が倍になってしまった悲劇。そんなことを今、こんな時に思いだすなんて、と思いながらもルィルシエはを、過去の鬼事に思いはせながら駆ける。そうでないと足が止まりそうだった。


 怖かったり楽しかったりしたけど、過去の愉快な思い出を糧にすれば足は止まらない。それにいざという時の御守りがある。サイが持たせてくれた御守り。


 実際にやってみせてくれはしなかったが、これがあればいざという時でも身を守る助けになる。ルィルシエがココリエから話を聞いて大雑把に自分の過去を知っていると知ったサイは幼かった頃はこれの携帯版、本当に小さなものを買って妹に持たせていたそうだ。


 ルィルシエが根掘り葉掘り訊いたわけでもないのに、サイは妹の、レンの美しさと可愛さ、可憐さを大自慢していて、そんな可愛いコが変質者に遭っては大変だから、と持たせていたと教えてくれた。今、ルィルシエが帯の中に隠しているのはそれの強力版。


 だから、いざ、追いつかれそうになった時は躊躇する必要はない。と胸に刻んで、覚悟して走っていた。足下に転がっている、もしくは生えている木々の枝葉や雑草を踏む度に足の裏に鋭い痛みが走った。痛い、息が苦しい。でも、あともう少し。


 そう思ってなんとか自らを奮い立たせて顔や体中から噴きだす汗を拭うこともせず、ルィルシエはひたすら家、城を目指した。だが、そううまくことが運ぶほど世の中は甘くない。背後から足音が迫ってきていた。ルィルシエの心臓が大きく鼓動する。


 近づく。だんだんと、徐々に、確実に。ルィルシエの表情が青ざめていった。そしてバクバク鳴る心臓を無視して腹部、帯の中からサイの御守りを取りだした。


 携帯端末だった。そんな板がどうして御守りなのか、ルィルシエは説明を受けるまでわからなかったが、説明されてそれが本当ならすごい、さすが海の外は違う、と思った。


「さあ、王女、鬼事はもう」


「っ、終わるのはあなた方ですわっ!」


 そう言ってルィルシエは背中に聞こえた声に振り向き、サイから借りた携帯端末の側面にある電源ボタンを長押しした。サイが教えてくれた通り、三秒、押し続ける。


 そして、とうとうその音が響き渡った。いや、むしろそれは轟いたの域に等しかった。


 近くはなくとも遠くないところから驚きの声がいくつか聞こえてきた。


 だが、それ以上にルィルシエこそ耳がおかしくなってしまいそうだった。とてつもない不快な音の大爆発だった。たしかにサイに教わった時、指向性はあるにはある、でも、あまり自分の近くでやるな、と言われていたが、離していてもかなりのものだった。


 サイがルィルシエに持たせた携帯端末に備えられた機能。それは防犯ブザーの超強力版だった。電源ボタンを三秒長押しすると超強力な爆音で不審者の耳を攻撃する。


 しかし、実際にやってみてわかったが、それは攻撃などと生易しいものではない。


 もはや殺傷力の高い兵器だ。


 証拠に追手として迫っていた兵士たちは双方共、鼓膜を破られたのか耳から血を流し、口から泡を噴いてビクン、ビクンビクっと細かく気味悪く痙攣している。


 ――サイのけーたい恐るべしですわ。


 腕を伸ばしただけの距離でその超爆音を聞いていたルィルシエも多少なりダメージを受けていたが相手ほどじゃない。耳へのダメージは全然軽傷だ。


 ちょっと吐きそうだったが、なんとか堪えて再び走ろうと尻もちついてしまった体を起こしたところでルィルシエに脅しを吐いていたのとは別、もうひとりの方が動いた。


 どうやら、位置的にほんの少々効きが浅かった模様。鼓膜は破れ、耳から流血していたが目が血走り据わっていて怒りが沸騰しているのが言われなくてもわかった。


 相手のあまりの形相にルィルシエの体が硬直する。悪意にあまり遭わず、戦にもでずに生きてきたルィルシエは恐ろしくて動けなくなってしまった。


 ダメだ、ダメだ、動いて、どうかどうか……と思っても体は恐怖で動いてくれない。


 男はフラフラし、口から唾液をだらだら零しながらも腰の刀を抜いて振りかぶった。


 ――ああ、殺されてしまうのですわね、わたくし。サイが、逃がしてくださったのに。


 そう、ルィルシエが己の終わりを悟った瞬間、鋭い音がして目の前にいる男の額に一本の矢が刺さった。矢の勢いに押されて元々グラグラしていた男の体は後ろに倒れた。


 と、ひとつやや細身ながらも逞しい影がルィルシエの前に躍りでてなにか白いものを振りかぶったかと思ったらズガっと音がして少しだけ離れた場所で赤が噴出した。


 ルィルシエは咄嗟に目を閉じて顔を庇ったので赤を直接浴びることはなかったが、袖に飛沫がかかったのはわかった。


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