逃走の果てに


「はっ、はあ、はあ……けほ」


「ケンゴク……っ」


「心配しないでくだせえ、姫さん。変に心配される方が百倍落ち込みやすから」


「ですが、あの、追手が来たということは」


「……サイがいくら強くてもすべてを通さないのは不可能ですって。仕方ないっすよ」


「で、でも、サイがあの、もしも」


「なぁに、あの女がそう簡単にくたばったりしませんよ。喧嘩ダチとして保証しやす」


 フロボロで騙し討ちに遭って六日。


 ケンゴクはあの崖があった地点からずっと寝ずに走り通していた。


 ルィルシエの懇願で一日だけ岩場で空気穴だけ開けた状態の要塞を築いて休息を取ったがそれ以外はずっとルィルシエを抱えて走って走って走り続けていた。


 足はがくがくと生まれたての小動物というか、子鹿とかそういうのが生まれてカクカクするような感じで震えて覚束ないのだが、疾走を止めるわけにはいかなかった。


 背後に追手が迫っている。


 あのサイが簡単に取り零すとは思っていないが、それでも追う者を完封するのは不可能なのも理解していたのでいつかは追手が迫るのを予想していたケンゴクはなかなか粘った方、いや、かなり、よくぞここまで稼いでくれたもんだ、とサイに感謝した。


「ちっ」


 キィン、と甲高い音がしてケンゴクの背で凶器が弾かれる。追手が間近に迫っているのを気配に感じてからケンゴクは自身がつくりだせる最高傑作の鎧を全身に纏っていた。その腕で抱いている限りルィルシエに傷ひとつつけられないように。


 だが、その鎧に暗器と思しきものが当たったということはかなり接近されて正確に狙われている。ケンゴクはルィルシエを抱えたままサイの描いた地図を確認。


 サイの地図によるとふたりはかなりウッペに近いところへ帰ってきていた。いや、領土的にはもうとっくにウッペに帰っている。だが、それでもルィルシエの絶対安全確保の為に城を目指さねばならない。ここから城まではまだ、もう少し、やや距離がある。


「止まれ、虎のケンゴク」


「止まれ、と言われて止まるバカいるかっつーのボケ! そっちこそどかねえと」


「ほお、王女を傷つける気か?」


 距離を確認していたケンゴクは後ろを気にしていたが、急に前方にある茂みが揺れ、忍ではない、一般の足軽と思しき兵の格好をした男がふたり現れた。


 そいつらの文句にボケと悪罵を返したケンゴクにふたりは脅しを吐く。


 これを聞いてケンゴクは致し方なく地面を削って急停止。そして振り向き様ずっと追ってきていた忍たちへ威嚇の為に大太刀を振って距離を取らせた。


 忍がケンゴクの間合いから逃れたのを確認してケンゴクは苦渋の決断とばかりルィルシエに目線を一瞬落とした。王女はひとつ頷く。頷いて帯を押さえた。


 逃げていたふたりの行動、謎の視線交わしに疑問符を浮かべていた追手たちは度肝を抜かれることになった。


「ぅううおりゃああああっ!」


「なっ!?」


 大事に、掌中の珠の如く自らの腕に抱えて守っていたルィルシエ王女の帯、背中側をぐわしと掴んで力の限り、もう渾身の力でケンゴクは放り投げた。


 あまりの事態に忍も兵もついていけない。


 その隙に、ケンゴクは振り返って忍のひとりを斬り伏せる。


 それで我に返った追手たちの、兵士たちの背後でなにかが動く気配。


 ケンゴクに放り投げられたルィルシエが兵士たちからかなり離れた場所で起きあがって走りだすところだった。


 ルィルシエは脇目も振らず走っていく。


 駆けていく王女。


 自然界の痛み、草の鋭さを踏みつけながら普段なら怒られる裸足で懸命に逃げていく。


 その先には彼女の住居、ウッペ城がある。


 そのことに気づいた忍がケンゴクを避けて王女を追おうとしたが、ケンゴクが許さなかった。なので、忍の男は兵役の者たちに王女の追跡を任せた。


 任された者たちが王女の消えた先へ歩を進めるのにケンゴクは唇を噛んだが、それでも兵士の足と忍の足、ふたつを比べて止めるべきは忍の足である、というのは易い答だ。


 忍は肉体を兵器化している。


 当然足の筋肉は発達し、鍛えあげられ、速力はすさまじいものがある。


 瞬発性、持久性に優れた足を持つ忍がルィルシエの追手では一瞬以下で捕らえられ、ケンゴクは戦えなくなる。


 兵士ならば、ルィルシエの足でもギリギリ逃げられる可能性がある。


 城の中に入ることが無理でも、この刻限にルィルシエの速力で城を目指せば、もしかしたらちょうどよく城の兵士ないし、セツキやココリエが崖裏の林で鍛練をしているかもしれない。そうなれば、ルィルシエが声をだせば、誰かが察してくれれば助かる。


 鈍重なケンゴクと俊敏な忍の戦闘相性ははっきり言って悪いがこの際、ルィルシエが無事ならなんでもいい。


 そう、ひとつ息を大きく吐いて、ケンゴクは忍に向かって構えた。


「サイ、おめえの稼いだとき、無駄にしねえ」


 しんがりを任せた女にそう呟いてケンゴクは獅子吼をあげ、忍に突進していった。


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