謎の指示


「代表と補佐は?」


「私、ココリエが代表です。補佐にはこれなるセツキがつきまする」


「よし、通……」


 通れ、と言われる。それを待っていると不意に衛士の動きが止まった。


 動きを止めた彼の肩に留まっているのは一匹の蝶。それもただの蝶ではなく赤い蝶。深い赤が美しく不気味な蝶は翅をひらひらさせて彼の肩で留まっている。


 男の肩に留まったそれがかわからない者はこの場に数名だけ。ココリエとセツキはすぐにわかって緊張した面持ちになる。なにかわからないケンゴクとルィルシエは首を傾げ、サイは我関せず状態で沈黙。


 衛士の男はなんだろう、という顔で蝶を指にすくって息を吹きかけた。男が吐いた息で蝶の翅が揺れて巨大な門の前でなにか、というか誰かが喋った。ちょっとだけ反響したような音である以外は非常に聞き取りやすい声は意外なことを告げた。


「黒髪のお嬢さん、ココリエ殿、セツキ殿と一緒にどうぞ中へいらしてください」


 それだけ。たったそれほどを告げて声は、というか赤い蝶は消えていった。


 もみくちゃにされた紙屑のように粉々に崩れた蝶の死骸はこの世に一片も残らない。


 門の前に異常な、重い沈黙が降り積もる。


 あまりのこと、想定していなかったことに全員が呆けてしまっていた。門を守る衛士たちもココリエたちもかなりありえない指示を受けて困惑し、動けない。


 そんな中、動いているのはただひとり。


「……」


 サイが木に寄りかかったまま辺りを静かに見渡している。女戦士の顔には相変わらず表情がないのだが、瞳には不思議そうな色が浮かんでいる。そして、しばらくして。


「……私か?」


 おいおい。門前の広場にいた者、特に男全員ががくっと滑った。わざに見渡すまでもなく、今、ここに黒い髪の女はひとりしかいない。だが、サイは自分が呼ばれるなんて話は欠片も聞いていなかったので一応わざわざなんとなくで探してくれたようだ。


「あなた以外に誰がいますか」


「知るか」


「予想外ですが、仕方ありません。それがご指示なら素直に従わねば首が飛びます」


「ほお?」


「……なぜ、嬉しそうにしますか?」


「気のせい。被害妄想。死ね」


「くだらないその願望を捨ててさっさと来なさい、サイ。それとも、馬の如く尻に鞭でも入れねば動けませんか?」


 なんと恐ろしいことを。セツキのいつも通りな脅し文句を聞いて衛士たちがそんなことを思ったのが顔に見えた。


 まあ、一般的に考えても、こんな、サイのような美しい娘の尻に鞭を入れるなどととんでもない嗜虐趣味者だ。てか、普通だったら考えつきもしない暴虐だ。


 真顔で口にできるセツキはやはり少し普通、まともからは外れてしまうのだろう。


「ケンゴク、ルィルと待っていてくれ」


「わかりやした。えぇと、サイ? お前、帝様に向かってだけは暴言吐くんじゃ」


「私は暴言など吐いたことない」


 うわぁ、すげえ、嘘。いや、おそらく本人にその自覚がないだけ。どれがどうしてなぜ暴言と分類されるのかわかっていない。きっと。普段も大体そんな感じだし。


 サイのボケにセツキだけが一応突っ込む。


「どの口が言いますか」


「私にこれ以外の口が見えるか? 目が腐っているぞ、セツキ。知っているが」


「それを、暴言と言うのですっ」


「どれか」


 サイの態度にセツキはため息をひとつ。


 一応でつついただけなのに新しい暴言を発掘して浴びせてくれやがった女は緊張感皆無で欠伸。……。んん?


「? いきますよ、サイ」


 サイにセツキが渋々といった様子だったが声をかけた。連れてこい、と言われたからには連れていかなければいけない。不本意でも、仕方なく。なのに、サイは欠伸して以降、動こうとしない。美の彫像が如くじっとしている。女にセツキが追加で声をかけるとサイは目を開いた。


「私はいかぬ」


「……理由を訊きましょう」


「たりぃ」


「た、たり……?」


「怠い。もしくは面倒臭い」


 どうしたもんだろう、この阿呆。あのセツキが無条件で従う、と言っているのだから命じてきたのはそれなりに地位のあるひとだ。なのに、その要請を蹴る、しかも理由は面倒臭いから。場合で首を刎ねられる、と言ったばかりなのにどうしてこの娘はこんなにバカなんだ、と頭痛。


 頭痛を堪えてセツキはなんとか言いくるめる方法を探すが、ものに釣られるわけないし、金にも引っかからない。以前ココリエが感心して、というかほとんど呆れていたが、サイはかなり無欲で粉骨砕身してでも他の為に尽くす。特に幼い罪なき弱者に奉仕する精神を持っている。


 が欲しがるもの。想像つかねど発想せねば御目通り希望者全員、首が飛ぶ。


「サイ、どうして面倒などと」


 セツキがどうしたものか、と頭を抱えていると隣でひとの声がした。見ると、ココリエが説得に入っていた。


 サイに近づくべからず、と言いつけたのに青年はセツキの敷いた禁を破った。だが、この際仕方ない。なんとかサイを説得せねばルィルシエも含め全員の首が危ない。


「……。不可解ながら不吉な予感がする」


「不吉?」


「うまく言えぬが、よくないことが起こる気がするので私を省いて勝手にいってこい」


 面倒に巻き込むな、とばかりだがサイがいかなければそもそもの不吉が爆発する。


 まあ、それをサイが理解していないのはもういっそどうしようもないが……。どうしてそこを理解できないのか理解できないセツキが女を叱ろうとしたが、ココリエがやんわり止めた。ココリエはいつも通りに微笑む。サイは無表情だったが、ココリエの笑みを見て首を傾げた。


「じゃあ、サイ。あの時貸したのを返してくれるか? 一緒に来てくれたら帳消しだ」


「……いいのか、こんなことで使っても。己が私に貸しをつくれる機会など」


「ああ、頼む。それくらい困っているのだ」


「……わかった。いく。借りはせっかくだから残しておけ。もう少し場を見定めて使えるようになって使うがいい」


「サイ、ありがとう」


「なにがか」


「ああ、いろいろとな」


「イミフ」


 ココリエ意味不明、と零した女は寄りかかっていた木から離れてココリエのそばについた。女は瞑目したままなので気づいていないかもしれないが、ココリエの隣でセツキが目を丸くしている。あんな、幼子にするような交渉でサイが動いたのが信じられないのだ。まあ、普通だ。


 普通の人間はあんな条件で動かない。


 あと、借りを結局残しておけと言ったのがまたありえない。借りなどない方がいい。どんな場面で使われるかわかったものではない。しかし、そこはふたりの信頼関係が為、なのだろう。サイはココリエが卑劣な使用、しないと信じている。


 裏を返せば多少も無茶を飲む気でいる。


 理由は簡単でサイはココリエに恩義を感じている。拾ってくれた恩。働かせてくれている恩。例えセツキに近づくな殺すぞ、と脅されても恩に報いる、報い続ける。


 一見冷酷無慈悲な虐殺悪魔に見える。


 だが、非常に甘い一面も持ちあわせている。特にこどもなど庇護の対象には甘くてならない。ルィルシエを邪険にしているようで気遣っているのを見る限りは……。


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