寝不足王子
「ココリエ様、大丈夫ですか?」
「はイ。元気デす」
「……。先からそれしか言いませんが、なにかあったのですか? 頭を打ったとか」
どういう失礼な問い、と返せないココリエはぼんやりしていて視線もさだまらない。
寝不足と布団になんとか入ってみた直前に起こったアレのせい? お陰? せい?
……てか、寝ていないのが頭おかしい一番の原因。で、本格的に眠れなくなったのは絶対にアレのせいだ。
サイじゃない。なのに、わかっているのに、どうしても姿はサイ。だから、信じられない。サイが頬に、だったがたしかに口づけしてくれた。……とても気持ちよかったし、嬉しかった。それこそ、舞いあがるほどに嬉しい。壊れてよかったら、今、踊り狂う自信がココリエはある。
だが、生憎と今日は御目通りを控えている。壊れるわけにはいかない。そんなことになったら心配される以上にひとが離れていく。こいつ、頭ヤベえ、と。
帝の膝下で頭おかしい、と認定されることになったら、ウッペの品位がどうこう、ココリエの育ちがとか、セツキがとにかくうるさ……いや、心配する。
あとは、不用意なことをしたり言ったりしたら場合でサイの首が飛ぶかもしれない。だから、ココリエはあの夜のことは胸のうちに秘めておこうと思っていた。
まあ、なんにしてもあまり言いふらすことじゃない。なので、よほどの揺さぶりがない限り口から滑ってでていくこともない。それにココリエは悪くない。仕掛けてきたのはサイの方だ。だが、それもセツキの手と口にかかったらサイが王子をたぶらかした、なーんて解釈になる。
すさまじい醜聞だ。ウッペの者がなにも言わなくても諸国の、ココリエの隣、室を狙っている姫君たちは黙っていない。たかが傭兵が王子に言い寄るなんて、と。
「……でしてね、朝起きたらお庭の草木花たちに霜がついていたのです」
「そりゃあ、おかしなこともあるもんで」
「はい。中には枯れているものもありましたし、どういうことなのでしょう?」
「うぅーん、そいつぁ俺にもわかりやせん」
ココリエが暗黒未来を想像しているとルィルシエとケンゴクの話が聞こえてきた。どうやら庭の霜はそのまま放置だった臭い。どー考えても彼女が凍らせたせいだ。
彼女と会っていたことは言わない方がいい。それに、この戦国に氷を生みだす技術がないので原理も不明では、どうしてこうしてこれこれで、と問うことすらできない。
「あ、サイ」
ココリエがひとつ決めていると脳内で話題沸騰中の女が部屋にやってきた。
聞き慣れたルィルシエの声だったのに、昨夜のことを思いだしてついギクッと飛びあがるほど驚いてしまうココリエにサイは不審物を見たような瞳を向けた。
しかし、女はすぐ視線を逸らした。
部屋にいる全員を無視して女戦士は用事を済ませる。どうやらルィルシエが部屋に簪を忘れていたらしい。サイは無言でルィルシエの膝に簪を落として踵を返した。
「サイ、庭のお花が霜に当たって枯れてしまったのです。この季節に霜がおりるだなんておかしいですよね?」
去っていくサイにルィルシエが謎の根性で話しかける。昨日、頬を加減されていても殴られた筈なのに、なぜ、というか、間違いまくりだがどういう素敵根性だ?
「……」
予想通りだが、サイは無言で無視。
ルィルシエの声など聞こえなかったかのように去っていく。が、ふと、部屋をでていきがけに足を止めた。サイの右目には少し困ったような感情が揺れている。
なにに困っているのか、はすぐわかった。
ルィルシエが泣きそうな顔をしている。もう一押しあれば涙が零れてしまいそうだ。
「……氷使いが悪戯をしただけでは?」
「え?」
しばらく沈黙が降っていたが、サイが壊して答えてくれた。氷使いが悪戯した。さも、当たり前のことであるかのように氷を使う者がいる、と言った女は次を訊かれる前に部屋をでていった。簡単ながらも放置プレイに処されてしまい、ルィルシエはぽかんとしつつ、兄を見た。
ココリエも気持ちは同じだ。
氷を扱える者などいる筈がない。
どんなに、なにをなにに混ぜても氷など生まれない。アレは、自然がつくるものだ。自然が育むものを人間がちょっと手を加えた程度のことでどうにかできるわけない。
「口からでたらめを吐いて気を引きたいだけであり、構ってほしいだけでは?」
ちょっとの間、微妙な沈黙が落ちたが、セツキがバッサリ切り捨てた。本当に気持ちいいくらいバッサリやった。さすがセツキ、とか感心している場合でもないのでココリエはひとつため息を吐いて気持ちを切り替える。考えていてもはじまらない。なるようになるしかないのだ。
サイとのことも。あの女のことも。
――お願い。
たったひとつのお願い。彼女の願いを叶えることになにがあるのかわからないが、お礼は先払いされてしまった。
ココリエの手が無意識に頬を撫でる。
昨夜、サイが触れた場所。サイではない彼女が触れた場所。どうしてこれがお礼になるのかわからないが、それでも片側であってもこれを謝礼、と言ったならそれはどうしても礼に、感謝の気持ちになるし、感謝に捧げる贈り物になる。……あのいい女の唇。なぜか得をした気分。
アホを考えながらココリエは御目通りの準備を終えて予定より早く宿を発った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます