桜並木の下を


 春の訪れも本格的となり、南ではもう満開になっているツェルの木。東の国も蕾が芽吹きはじめているこの木が等間隔で植えられている通りの下を歩く一組の男女。


 緊張した様子の男と無表情の女が歩いていく。


 通りを歩く他の通行人は男の表情に一大決心を見て、心中でこっそり応援を送って女を窺う。


 だが、女は視線を不思議がり、男の緊張を不思議そうに見て首を傾げている。これは、どっちに転んでも男の心は穏やかではいられない、というのすらわかる。ただの通行人にわかるのに隣にいる女はまったくわかっておらず、まだ花咲かぬ桜並木ツェルモデンを進んでいく。


 男はその辺にいる農夫に見えるが、着ているものは田舎者にしては上等だ。貴族の者だとわかる質のいい着物は精一杯めかし込んだという空気が伝わるし、男によく似合っている。鳶色の髪に似合う土色の着物は黄土色から茶色になり、黒く染められ、色も、移ろいも上品である。


 一方の女は春の時期にあう若葉色の着物を着ている。着物にはほんの心ばかり花と小鳥の刺繍がしてある以外は一切の装飾がない。帯も白いだけのものだし、飾り紐も結んでいない。めかし込んでいる男に比べるとかなり手抜き準備した感がマジでびっくりするくらい滲んでいる。


「い、いい天気だな」


「うむ」


「その、春も本番だな」


「うむ」


「……」


 ふたり共、口を利かないと思っていたが、男の方が気を遣って声をかける。女は簡単に返事をする。男、というかおっさんのような返事である上に素っ気ない。


 女の返事に男の口も重くなる。


 なにを話していいのか、なにから話すべきなのかきっかけを探っている身で女のすげない返答は結構心にクる。


 なにかしらの予感すら覚えていない女の返事と様子にまわりにいる人間は突っ込みたいのを必死で堪えて見守る。やがてふたりは男の先導で一軒の茶屋に入った。


 この並木通りで一番の人気店「風坊ふーぼー」には日々、特にツェルが花をつける春の季節は多くの恋人たちが出入りする。眺めもいいし、お値段も庶民向けであり、お菓子も茶も美味しい。春を迎え入れる候は愛の告白場所にもよく選ばれ、近隣にただよう空気は桃色。


 男の様子からして店で突然告白するようには見えず。なので、ここで食事を楽しんで、どこか心に決めた場所へ連れていこうという腹だな、と恋の先輩方、おじいとおばあは微笑ましく笑いながら通りを歩いていく。若い恋は咲くにしろ散るにしろ見ている方に初々しさをくれる。


 通りを歩く他人に、おじいやおばあに微笑ましく思われている、などと露ほども気づいていない女はしっかり空気を感じて余計に緊張している男のすすめで窓がある席に腰をおろす。茶屋で働く少女がすぐ温かい茶を給仕してくれる。ふたりはそれぞれに似たような反応を見せた。


 男は手をあげて感謝の気持ちを示し、女の方はまばたきだけしてとても簡単に感謝を伝える。


 少女はびっくりした。男は田舎の国にいる農夫たちに比べるとまま美形だが、女の美貌はこの世のものと思えないくらい素晴らしくあり、とてつもない、とすら思えた。


 まるで月の化身。月を美貌に宿した錯覚を覚える隻眼はものものしい筈なのにとても美しい。


 月のようだがそれは同時によく切れる刃物のような目でもある。触れなば切れん、触れようにも触れられない、そんな幻想を抱く美女は無表情のまま。その様、非常に不安を煽られる無表情はまるで……。


「その、サイ」


「なにか、ユイトキ」


「退屈か? その、こんなのは」


「特にそういった感想は抱いていない」


「そう、か。ならいいんだが」


「なにがいいのか知れぬが、よかったな」


 ……。この場にまともな感覚のひとがいたらきっとなにかしら突っ込んでくれたことだろう。


 しかし、残念なるかな。店に現在ひとは、正確には客というのはふたりだけだ。いつもだったら混みあっている時間帯だが、他の客はいない。理由は、男の身分にある。


「某はみたらしをもらおう。サイ、どうする?」


「ところてん。三杯酢で」


「……。甘いものは苦手か?」


「大嫌いだ」


 はい。ここも突っ込みどころですね。例え本当に甘いものが嫌いでもここは相手にあわせるのが礼儀。せっかくのおでかけがでだしから大転倒だ、と突きつけるなどと……。どうやらこの美女、美貌に似合わずかなり残酷な真似をやらかしやがる様子。しかも素で。弩級の天然で。


 せっかくのデートがかなり悲惨なことになっているのを感じて男が、ユイトキがついへこむ。


 女は、サイはへこんでいるユイトキを見て不思議な謎生物を見つけたかのように瞳を揺らす。そして、ついでなのでサイは、ウッペ国の傭兵職に就いている女戦士はユイトキに、ウッペの隣国センジュの王に質問。


「己は好きなのか、甘味」


「……。その、変か?」


 サイの問いにユイトキは質問で返した。これにサイは微妙に瞳を揺らして答えてくれる。


「別に。ひとの嗜好はそれぞれである。甘党だろうと辛党だろうと塩党だろうと脂党だろうと当人たちの自由であって私やまわりの者がどうこう口をだすことではない」


 実に素っ気ないサイの言葉にユイトキはだが、あからさまにほっとした様子で肩をおろし、息を吐き、ちょっと弱いが笑みを見せた。そしてサイの問いに改めて答える。


「某もなくてはならぬ、というほどではないが……。ただその、農業をする合間の一服にはいつも甘いものを摘まんでいたのでそれで、たまに食べたくなるのだ」


「たまの息抜きならばよかろう。なければ死ぬ、と言ってしまうようでは成人病で死ぬ、と警告するが。まあ、あの王女もそのうち気にするようになろう」


「ルィルシエ王女のことか? そういえば彼女はかなりの甘党だとファバル王に聞いたな。しかし、甘いものを食べていて死ぬ、というのはよくわからぬな」


 ユイトキの言葉でサイはここが戦国、医療がまだそこほど発展していない世だった、と思いだして言葉を足す。


「甘いものは小量ならば害はない。しかし多量かつ習慣的に摂取すると体の機能に不備がでることがある。当人の体質にもよるが、一度でもそうなるともう、好きなものを食べられない食事制限という地獄が待っている」


「……。えーっと、なにやらすさまじいな」


「団子のひとつ、ふたつでなることはない。心配無用」


 不安を煽っておいて心配するな、ってどの口が言うんだろうと思っているのはけっして少数じゃない。まあ、大多数の意見だからとそれがサイに当てはまるわけでもない。サイにはサイの、ユイトキにはユイトキの常識がある。他人もまた然り。それぞれの世界があるので楽しい。


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