処断


 なんでもない、どこにでもいそうな顔の男。男はどうして自分がここに呼ばれたのか心当たりがない様子で戸惑いを隠せず額に汗を噴かせている。緊張から彼が流している滝のような汗にリィクは不快そうな表情を見せたが、上塗りした笑みがより怖い。色違いの目にあるは凍土。


「聞いたぞ、サルよ」


「は、ははっ、その、失礼ながらどういったご用件でしょうか? その、拙者如き卑小の身には聖上のお考えを察することも叶わず、どう、お答えしてよいやら」


「……なに?」


「え?」


 突然報告会から引っ張られ、戦国の最高位貴族の前にだされた理由を訊ねた男に帝は冷たい声をだす。まるで、男がとんでもない悪態をついた、とばかりの声色。


 帝の、リィクの顔にあった筈の笑顔が拭われていく。


 現れたのは不機嫌さを前面に押しだした不満顔。再び開かれた帝の口は表情と声色の通り冷たい音を吐いた。


「なぜ、余がお前如き愚民に説明してやらねばならぬ」


「あ。あ、あああの、失礼をその、はい。あの、センジュとウッペのこと、でしょうか?」


 リィクの冷たい声に呼びだされた男、リィクにサルと呼ばれた男は飛びあがって平伏し、半分ばかりあてずっぽうに答えてみた。しかし、そのあてずっぽうがなんとか正解したらしくリィクはひとつ、傲慢に鷹揚に頷き、先を促すように顎でしゃくって続けろ、と示した。


 サルはなんとかこのまま機嫌を悪化させないように、努めて明るく報告の声をあげた。それは男が先んじて文書で上に報告をあげていた事柄について、だった。


「センジュは敗北。ウッペはセンジュからの同盟申し入れを受けて各集落に触れをだした、と」


「……お前は余をバカにしているのか?」


「へ?」


 男がせっかく口頭で説明するのをリィクは遮ってまた冷たい声をだした。バカにしているのか、と。柔らかく優しく訊ねていたが、それは誰がどう聞いても詰問だった。


 サルに帝をバカにしているつもりはない。そんな気は欠片も砂粒ほどもない。そんなものを持ったらその時点で首を刎ねられる。ばかりか、家族も打ち首になる。


「戦の顛末などどうでもいい」


「え、あ、では、いったいなにを……」


「ほう? わからぬ、と申すか」


 サルはなんのことか、と訊ねることもならなかった。サルの腕に走っていく朱線。そして、サルは激痛に絶叫。朱線が走ったサルの腕はそこで切り落とされていた。


 痛みと驚きでサルは跪いた姿勢から七転八倒する。


 切断の痛みに転んで倒れてするサルを見るリィクの瞳は冷たい。急速冷凍された湖と青い炎の瞳は氷点下の温度で男の激痛を笑っている。笑いながらリィクは仕方なく教えてやる、という口調で説明をはじめた。


 彼の機嫌が底辺にあるその理由について語りはじめた男の声には嘲笑が大量混入されている。下等生物に語りかけるようにその口調はゆっくりで小バカにしている。


「なぜ、ウッペとセンジュの同盟を許した?」


「え、えひぃ、へひ?」


「とんだ大間抜けめ。これでもうどの国も迂闊にウッペ攻めを練ることならず、ウッペはまた勝利したばかりかさらに大きくなり、本性を隠すにいたったではないか」


「ほ、本性?」


「戦国の柱と誉高き戦士をふたりも抱えていながらどうしてこの戦国で消極的になる? なぜさらなる野蛮さを示さない? それを疑問に思うことすらないのか」


 リィクが言ったのは結構無茶苦茶なこと。平穏であろうとするウッペに本性がある、と思っているのもかなりどうかと思うが、それの化けの皮を剝がそうとしないことを窘められるとは思わなかったサルはどうしたらいいか、と思考を廻らせようとするが、考えは痛みに塗られる。


 腕からの出血は激しくとも今すぐ言い訳して帝宮つき薬師に診てもらえば即完治する。わずかな希望を胸にしてサルは言い訳をしようと口を開いた。しかし、声が口を衝くことはなかった。男の濁った音が宙に飛ぶ。遅れて赤黒い鮮血が噴水のように天井目指して噴きあがった。


「なんと、猿どころか豚の悲鳴だな。なあ、ネコ?」


「失礼。私にはよく聞こえませんでした。ただ、「ぴぎぃっ」となにかが鳴いた気はしましたが」


「聞こえておるではないか、ネコ。ああ、つまらんな。ネコよ、なにか愉快なことはないか?」


 たった今し方、配下の首が宙に舞ったというのに家畜が死んだ程度にしか認識していない。


 冷酷な男に話をあわせているネコもたいがいだが帝こそが恐ろしい。ひとをひとと思っていないリィクは愉快なことを聞きたいとネコに迫った。ネコはさっきサルの腕と首を斬った刀の血糊を払い、鞘にしまう。納刀したネコは絶やさぬ微笑みのまま、リィク帝に楽しい話をする。


「お話にあがりましたウッペの御目通りをいかにいたしましょう? いつも通り冬の頭には伺いの文が届いておりましたが、希望は春の候。そろそろ予定を組んでも?」


「ふん。どうせまた山神の恵みであろ? 毎度それでは飽きるし、目新しさがないとつまらん」


「そうですか? 結局私の口には一滴も入りませんでしたが、ウッペ国が誇る極上の澄酒は聖上、あなた様のお気に入りではありませんか。あなた様のご所望に届くように今季は酒蔵を増築した、と聞いております。雪山の湧き水で仕込み、数年、寝かせるからこそ春に絶品となる」


「ふむ、そんな過程を聞いたような……まあ、どうでもいいが。ああ、だがそうだな、アレはたしかに絶品だ。アレは是が非でもまたおさめさせたいものだ」


 リィクの好物を正確に把握しているネコの話題でリィクはウッペ国がつくる酒の味を思いだしでもしているのか、斜めだった機嫌が持ちあがって愉快そうに笑っている。


 ネコはすかさず背中に置いておいた盆をリィクの座る海外製の革椅子にあわせて特注した机へ置く。盆の上には酒の入った徳利と美麗な姿形の猪口がひとつ置いてある。


 ネコが用意した晩酌に帝はさらに機嫌を持ち直す。


 リィクが猪口を指先で摘まんで掲げると同時にネコが酌をして背後に控える。帝は注がれた酒、戦国には珍しい澄の酒をゆっくり一口呷り、満足のため息。


「仕方ない。直近で予定を組め」


「かしこまりました。ああ、そうそう」


 リィクにダメ押しのウッペ産酒をご馳走したネコはことのついでにもうひとつ、サルが報告していなかったこと、まあ、普通はさして重視しない事柄についてもリィクに報告をしておく。


「今年の御目通りはファバル王が慎重でもいい歳の頃ですしココリエ王子をだしてくる筈です」


「だからどうした。男のことに興味などない。それも戦国一貧弱で才能もない不名誉王子など」


「故に、心配なさったのでしょう。新しく側近がついたと草が報告をあげてきておりますよ」


「……お前がわざに、こうして余にだけ報告するからにはただの側近、側付きではない、か?」


「海外出身の傭兵、だそうですが。それがそう、信じ難いことにまだ若い十五、六の女、だと」


 ネコの言葉にリィクは酒に噎せかけた。なんとか飲み込んでネコに振り向いたリィクの顔には信じられない、と語る色がある。海外出身の傭兵が王子の側近につくだけでもありえないのに、それがまだ若い女、いや、十五ならばまだ娘と呼ばれる歳だ。それが王子の補佐を担う?


「草も動揺しておりました。あまりにも美しく月の化身ではないか、と思うほどの絶世の美女」


「早急にウッペを呼べ」


 帝の命令にネコは恭しく頭をさげて部屋を辞していった。ウッペに返事を用意し、呼ぶ為に。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る