弐章――センジュ

春一番は血まみれて


 吹き荒れる冷たく強い風。春の訪れを告げる一番風が吹いている。風は国々を渡り、植えられている農作物などや木と藁に石材を組んだだけの簡素な家屋にちょっとした悪戯をしていく。それで倒れる、枯れる、ダメになることはないが、ほんのちょっぴり困ったさんなのであった。


 暖かな気候になりつつあってもまだ東の方は風が身を叩くと冷たく感じてしまうことがある。


 この強風が吹く少し前のこと、まだ初春の候である時のこと。東の一国ウッペとメトレットの間に戦が起こったのはまだ人々の記憶に新しい。身のほど知らない小国メトレットが王は戦国の鬼を雇ったはいいが肝心なところで人徳なく裏切られた。……と、いうよりは見放された。


 命を懸ける価値なしと判断されてしまったそうだ、という話が巷ではもっぱら噂されていた。


 鬼の裏切りと同程度に話にあがっているのはウッペの次期王位継承者、ココリエ王子のこと。


 彼がメトレット右大臣、水刃のテスルハを仕留めた。との話はウッペ農村、集落を沸かせた。


 ココリエ王子、といえば戦国一貧弱な王子、という負の噂があって各国からウッペは田舎である上に次代を担う王子は貧弱者だ、と笑われてきた。当人が悔しいのは当然だが、農業従事者とて悔しい。国の王子を笑われて愉快でいられる者はいない。だから、集落はお祝い気分だ。


 戦国一弱いと云われていた王子が隣国の大臣を、一端の武士を討ち取った。快挙であり、偉業でもある。軽んじられてきた。だから、農を仕事にしている者も嬉しい。


 ココリエ王子が立派に立ってくれたことが嬉しい。


 そして、同時にメトレット国を破ったことでウッペは東の中国から大国になりえた。今までメトレットで重税に苦しめられてきた者たちも新しい国王の下で安心して仕事に専念できている。日々、大なり小なりなにかしら事件があってもウッペの民は平穏に暮らしている。


「殺せ、殺せ、殺せーっ!」


 平和な時間がずっと続くことを祈っている民たちの願いは届かないものとなって今日こんにち、無惨にも破壊された。


 ウッペの南西部にある端の集落キツルキ。特筆するべき名産もなく有名人もひとりしかいないウッペ国内でも目立たない農村の常が壊れ、集落には悲鳴と怒号が満ちる。


 殺せと吠える声の主は殺せと指示するばかりでなく、自らも刀を取ってひとを、抵抗すらままならない弱者たちを殺して狩っていく。妻と子を逃がす為に盾となった男の胸に入る刀身は残酷な鋼の色と鮮烈な緋に彩られている。ひとの生き血をたんと吸った刀が男を殺していく。


 守られた妻子は必死で逃げていく。弱い者たちの中でも特に弱い女こどもが若い村の男たちに誘導される。若者たちは時に自ら肉の盾になって女とこどもを守る。


「こっちだ。ほら、早く乗って」


「主人が……っ」


「あとで追いかけさせる。心配せず、とにかくテンエンを目指すんだ。いいね? 頼むぞ!」


「長老!」


「いくんだ、生きるんだ!」


 老人の言葉は果たして届いたのか。さだかではない。


 だが、生きろと叫んだ老人の声に押されて最後の女こどもを乗せた黒い大きな鶏のような生き物、イークスが青年に急かされて走っていく。見送った老人は助けられるだけの命を助けられたことに安堵している。


 その体に入る冷たさ。老人の枯れた体に刀身が入り、血を噴出させる。老いた体が震えて振り返る。そこにいるのは翁の面頬を飾りに身につけた男。まだ若い男だ。


 相手を確認して老人は噎せる。吐血した老人から刀を抜き取った男は冷えた目で周囲を睥睨。


 キツルキ集落は赤に包まれていた。家屋を舐めて崩していく炎の赤。暮らしていた人々が流した血の赤。地面に落ちている血の雫は斑点どころではなく、大河である。


「ふん、生き残ったところで結末は変わらぬ」


「う、うぅ、なぜ、どうしてこんな、どこの者だ!?」


 重傷を負った老人は息も絶え絶えだった。だが、まるで誰かに聞かせるかのように大きな声で相手に訊ねた。いきなりこんな虐殺を行うなどと正気の沙汰ではない。


 だから、疑問だった。どうして?


 相手が身に着けている鎧に老人は見覚えがない。引き連れている者たちのものにも、ない。とても地味な土色の具足類。とても簡素なつくりでただの足軽とも違う。戦国を駆ける兵士たちにしてはなんというか、違和感があった。まるで、普段は荒事に従事していないかのように。


 たしかに鍛えられた屈強そうな男たちなのだが、その姿は普段目にする村の男衆によく似ている。攻めてきた相手方の男たち、兵士たちは辺りを見て顔を歪めている。


「ファバルに伝えよ。我が名はユイトキ!」


 老人がなんとか相手をよく見ていると老人を刺した男が名乗りをあげた。男の言葉。ファバルに、ウッペ王に伝えろとの言葉に老人はぎょっとした。どうも、本気でウッペに喧嘩を吹っかけるつもりで彼らはキツルキを襲ったとわかって。今のウッペに戦を仕掛けるなど愚かしい。


 今のウッペは安定している。国が一丸となればどのような国にも引けを取らないだけの兵力がある。それは周知のことだと老人は思っていた。諸国も知っている筈、と。


 それなのに、戦国において知名度のない国がウッペに攻め入るなどと蛮勇の塊を見た気分だ。


「我が祖国、センジュはウッペに宣戦布告する!」


「セ、セン、ジュ……? どう、して、センジュが?」


「愚民に、それも老害に答える必要はなかろう。聖上、カグラ様の命により我ここに布告する!」


 轟くような大声で布告を行うと宣言した男はだが、声が震えている。面に流れていく水の帯。


「ウッペ、センジュにくだれ! 我がセンジュの永久とわの繁栄と栄華が為に忠誠を誓え!」


「バカなことをっファバル様が」


 翁の言葉は途中で切れた。ユイトキと名乗った男の持つ刀が老人の命と言葉を刈り取っていた。頽れる老人。ユイトキは空に向かいなにかを吠える。不明瞭な音は春風に吹き散らされた。


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