楽しい悲話と悪魔の涙


「あいつはレンを殺して少しだけ動揺した」


 サイの淡々とした語りが続く。惨劇の続きを語ってくれる女は涙はなくとも泣いているよう。


 動揺する父親に向かって立つサイが、復讐心に燃える幼い姿が見えるようだった。最愛の妹を奪った者へと立ち向かう姿が幻に見えるようで、その勇気が怖かった。


 復讐は知的生命のどうしようもない衝動。ある程度の知能がある動物にだけある、悲しみの激情による行動。普通ならば同族を殺したようなものに動物は近づかない。


 二の舞を演じるのはわかり切っているから。せっかく今ある命を粗末にするような真似はしないのが自然に生きる動物の普通だ。生きているのだから生きるだけ。


「だから、あいつの持っていた予備の銃を奪って撃ってやった。奇跡的だが、足に当たった」


「じゅう?」


「火薬の炸裂によって鉛の弾を撃ちだす武器だ。弓矢など目ではない。被弾すれば肉が弾けて抉れ、血柘榴となる。超速で撃ちだされる鉛弾は人間を簡単に肉塊と変える」


 サイの声に混ざる笑い。その当時殺した父の死体を思いだしているのか、サイは楽しそうだ。


「撃って撃って撃ち尽くした。あのゴミが持っていた弾倉をすべて使い切り、百十七発でレンの仇を血祭にしたのに……どんなに報せてもレンは返事をしてくれなかった」


「サイ、もういい。もうやめるんだ」


「命を懸けて呼びかけているのに、呼んでいるのにあのコは返事をしてくれなかった。……二度と息をしない亡骸を抱えて私は何時間も泣いて、泣いて、泣い、て……」


「サイっ!」


 ぜいぜいと息を乱しながらなんとか語っているサイの体を包むぬくもり。ココリエがサイを胸に抱いていた。抱きしめられてサイはぽかんとしていたようだったが、いやがるように身じろぐ。だが、ココリエは放さなかった。サイの細い体、孤独に凍えている体をしっかり包んだ。


「もういい、サイ。それ以上自分を傷つけて殺すなっ」


「では、誰が私を裁く? 誰が断罪する、と……?」


「誰にもそんなことはできないし、させない。サイを裁くなどとサイに断罪などと余がさせぬ!」


「……なぜ?」


 なぜ、と訊くサイはどういうわけかとても幼かった。


 今までの大人っぽさをすべてなかったことにしてしまうほどにサイはこどものようだった。


 もしかしたら、だが、彼女は本当はココリエが思っているよりもずっと幼いのかもしれない。


 幼いが為に理解できないのだ。


 どうしてなのか、なぜなのか、わからない。幼い無知が悲しい。闇の中でひとを殺す、後ろ暗い仕事で食い繫いできた少女の悲しさが抉るようにココリエの心を深く、深く果てもなく深々と穿ってきた。少女の痛々しい問いかけにココリエは目頭が熱くなり、頬に悲涙が伝った。


 悲しかった。なにも知らないサイはなにも知らないのに、自身が裁かれるべき最悪の咎人だと認識している。


 ひとを殺して、命を奪ってきた。なるほど、たしかに大きな罪を負っていると言えるだろう。


 しかし、サイが言うサイの罪は生まれた瞬間から植えられたものが大きく幅を取っている。醜いから死ななければいけない、などという通常あってはならない罪を自身の抱える最大の罪だと思っているサイが今までどんな思いで生きてきたのかと思うとココリエは辛くてならない。


 心が潰されるようだった。心が悲鳴をあげているとわかるのに、サイは醜い悪魔である罪に囚われ、さらには妹を死なせてしまったことに最悪の罪を見ている。


「辛かったな」


「?」


「今までよく頑張った、サイ。もういい。もう頑張る必要はないぞ、サイ。……もう、いい」


「イミフ」


「もう、泣いていい。サイ、悲しんでいい。サイはもう充分に頑張って生きてきたから。ひとりの時間はもうおしまいにしてここにいてくれ。ウッペで、共に生きよう?」


「……ぇ?」


 ココリエの言うことがサイには理解できない。


 それはサイが憧れて胸焦がし続けていた音の羅列。


 ココリエが言ってくれた音。ここに、いてくれ?


 耳から脳に情報として伝わっても理解できない音を理解しようとするサイは徐々に混乱する。


 どうしてもわからない。なぜ、悪魔サイを許してくれる、と言ってくれるのか。深く勘繰ろうとするサイの肩にココリエが零した涙が落ちて着物に、そしてなにより心に沁み込んだ。なぜ泣いてくれるのかわからない。悪魔の為に泣く者などなく、サイはずっと謗られていた。


 人殺し、化け物、悪魔だと言われ続けてきた。


 サイの為に泣いてくれる者などなかったし、ありえないとサイが一番よく知っていた。そう、ありえない。だってサイは悪魔。関わってはいけない最悪災厄の種だから。


 なのに、ココリエは泣いてくれている。


 サイの為に泣いてくれている青年はサイを抱きしめたままでいる。ここ三日でルィルシエに教えてもらったこと。ココリエは女性が苦手、だとサイは聞いていた。


 苦手も苦手で城の女官たちにすら近づけないほどだそうだ。ココリエが幼い頃からいる熟練の女官さんもてんでダメでココリエは女性から逃げまくっているらしい。


 だから、サイは稀少な存在。ココリエが構えずに自然体で接することができる女性ひと


「コ、コリエ……?」


「サイ、辛かったな、よく話してくれた。苦しかった、淋しかっただろう? 父に殺されかけるなどと怖かっただろうに。妹を目の前で殺されるなどと悲しかったな?」


「……っ、ぅ、ふ……」


 押し退けようとしていたココリエの体温。温かいひとの温度。ずっと失うことを恐れてサイが避けてきたものがすぐそばに在る。そばに在って泣いてくれている。我がことのように悲しんでくれているココリエの優しい言葉がサイの中に沁みていき、サイの頬に雫が零れていった。


 悲しみの水滴は止まることを知らないようにあとからあとから溢れてくる。とめども、なく。


 サイは恐々と遠慮するように、それでいて心から求めてココリエのぬくもりに縋って泣いた。


 抱きしめてあやすように背を優しく叩いてくれているココリエの着物の胸元を掴んでサイは彼の胸に顔を埋めた。温かい陽向のにおいを感じる。陽だまりのにおい。心落ち着く優しいにおいを胸いっぱいに吸い込んで泣くサイは今まで堪えてきたものがすべて溢れるようであった。


 欲しかった言葉。ずっと望んで夢に見てはありえないと自らを切断してきたサイ。サイの悲しみを汲み取ってココリエは彼女が本当に欲しかった言葉をくれた。


 嬉しい、とサイははじめて思った。他人のぬくもりで安堵することなどなかったから余計に。


 すべての者がそうだと思えるほど愚かではない。それでもココリエの言葉と行動に嘘はない。


 そんなふうに思えたサイは今だけだ、と自身に厳しく言い聞かせてココリエに縋って泣き続けた。朝の時間は飛ぶようにすぎ去っていき、昼になって、夕が暮れて宵が来た頃になってようやくサイは泣きやんだ。流した涙は今までの人生で、サイのまだ短な命で溜められてきた涙。


 てっきり枯れていると思っていたサイは自分がこんなにもたくさん涙を零したことを、溜め続けてきたことを自覚して悲しくてもうひとつ涙を落として嗚咽した。


 ココリエはずっとサイをあやしてくれていた。いつの間にか中庭にはふたりだけ残っている。


 おそらくどちらか一方が気を遣ってどちらかを引っ張って退けてくれたのだろう。気づいてココリエはそのどちらか知れない誰かに感謝した。視線にさらされてはサイも思いっきり泣けないだろうから。今までずっと堪えてきただけあり、女の涙は重たかった。苦痛に満ちていた。


「すまぬ。こんな、時間……っ」


「構わない。サイの今までの孤独を綺麗にできるならば余はいくらでも時間をつくって削るさ」


「……夢、みたい、だ」


「夢ではない。サイ。もう大丈夫だ。これからは余が、そなたを、その心を守るからな、サイ」


「……。……Grazieありがとう


「え? ぐ、ぐぁっつ?」


「……なんでもない」


 照れ臭くなってサイはさっさとココリエから離れて部屋に戻っていき、夕餉をいただいた。


 はじめて素顔のまま眠るサイはココリエの優しさにまどろみ、また一滴涙を零したのだった。


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