第7話 最弱魔王が大会に出場する訳

「……とする魔術同士で干渉させ、互いに消滅させる魔術のことを同位消滅現象という。しかしこれは実戦での実用は不可能とされており……」


 人通りの無い本校舎の廊下。教室の扉を少し開け、窓から黒板を覗き見ながら授業を聞く景久と瑞希。二人の手にはノートとシャープペンが握られており、瑞希は黒板に書かれたことや教師の説明を奇麗な字で書きこんでいくのだが、景久の手が動く気配はなかった。


(間宮君、どうかしましたか? さっきから手が動いていないようですが)

(う、うん……まぁ、ちょっとな……)


 なんとも歯切れの悪い返答をする景久の表情は明らかに優れない。体調が悪いといった風ではない。授業の内容が理解できないといった風にも見えない。

 強いて言うならば、授業そのものに戸惑っている。そのような印象を瑞希は受けた。


「であるからして、【スタンアロー】の詠唱省略に必要なのは――――」


 そんな教師の言葉を聞いて、瑞希は急いで意識をそちらに傾ける。瑞希もそうだが、E組には詠唱省略ができなかったり、苦手であったりする者ばかりだ。

 大魔闘武祭優勝という目標を持つ瑞希には、詠唱省略を身に付けてE組全体に広められるかどうかに懸かっているのだろう。確かに詠唱省略が出来るかどうかで勝敗に大きな影響を与えるのは事実だ。


(え? いや、これは流石に……)


 そんな呟きは誰の耳にも届かず。熱心な瑞希とは裏腹に、授業が始まる前までは高い集中力を研ぎ澄ませていた景久だが、授業が終わってしばらく経っても、戸惑っているかのような微妙な表情を浮かべ続けていた。




 そんな風に景久と瑞希が他のクラスの授業を見学するようになってから1週間が過ぎ、瑞希は景久を時折争奪戦に誘いながら、1年の教室だけではなく、2年3年の教室を覗いて己の糧にしようとする隣で、やっぱり不可解そうな表情を浮かべる景久。


「間宮君、ここ最近ずいぶん難しい顔を浮かべていますが、何かありましたか?」

「いや……何かあったかというより、何もないからというべきか……うぅん……」


 授業が終わり、本校舎からE組寮に戻る道すがら、景久自身も自分の中でも答えが出ていないのか、授業を覗き見る時の様子に関しては要領を得ない返事を繰り返す。

 

「やっぱり、見たことのない魔術を使う間宮君には、普通の授業を見て何か思うところがあるんですか? 何か分かった事とかがあれば、愚痴と共にいつでも零してくれてもいいんですよ? 主にE組全体の底上げになるような情報なら、なお良いですね」

「いや、だからその手の事は話さないっての」


 争奪戦、ひいては大魔闘武祭の参加を拒否するように、瑞希に見られた姿を消したり、記憶を改竄する魔術の詳細については話したがらない景久。

 それもそのはず。自分の手の内を明かすということは弱点や対策を見破られるということ。景久は己の弱さを知るがゆえに、持つ手札の機密には慎重なのだ。


「本当に……? 隠し事してるんなら今の内に言った方が良いですよ……? 正直に答えて、私と一緒に戦ってくれたらご褒美を上げますから」

「ふっ……もうそんな手には乗らないぞ、このビッチめ」


 耳元で息を吹きかけるように囁く瑞希に、内心揺れる心を押さえつけ、景久はニヒル(のつもりでいる引き攣りかけ)な笑みを浮かべながら言い返す。


「あ、ビッチなんて酷い。私、そこまで安い女じゃないですよ?」

「……どうだか」


 この一週間、瑞希は景久を扇情的な仕草でからかい続けていた。身長の低さを補って余りある容姿を自覚しているのか、はたまた景久が女っ気に飢えた童貞であるということを見抜かれているのか、いずれにせよ本心や底が見えにくい女である。


『よぉしっ! そこまで言うのならその条件を呑んで、俺とS――――』

『呑んでくれたら、間宮君がチェックしてた店のフライドチキン奢ってあげます。あそこ高いから中々入れないって嘆いてましたものね』


 このまま主導権を握られっぱなしにしてたまるかと、何度か開き直って条件を呑もうとしたこともあるにはあるが、そういう時に限って何てことの無い〝ご褒美〟の内容を食い気味に明かすのだ。ちなみに景久が何を期待していたのかは秘密である。

 

「そう言いながら、ご褒美に興味津々なのは分かってますよ? 遠慮しなくてもいいのに」


 それは童貞男子渇望の体験の事を言っているのか、はたまた好物のジャンクフードの事を言っているのか、いまいち真偽を図りかねる言動をする瑞希に、景久はどちらの意味合いでも支障がない返答を探りながら答える。


「いや……だって、ここでそれをOKしちゃうと、ずるずると大魔闘武祭まで協力させられそうだし……」

「それについては否定しません」

「何だこの女……捨て身過ぎるぞ……!?」


 地球の女はここまで積極的だっただろうか? もしかして彼女は俺に気があるのでは? 素なのかワザとなのか判断できない! 

 景久は目的に関して一切偽らない瑞希を、期待にも似た予感があるせいで突き放せずにいた。


「良いじゃないですか。争奪戦は何も悪い事ばかりじゃないんですよ? 勝てば大魔闘武祭の選抜戦資格だけじゃなく、待遇の向上も、寝泊まりしている寮の交換だって出来ますし。知ってます? A組の寮は全部個室で空調にパソコンが常備されてるんですよ? 寮のご飯も美味しくなりますし、良いこと尽くめだと思いませんか?」

「いや、それはそうだけどさぁ」


 確かに何かを変えなければ、景久の青春は灰色のままであるのは確実だろう。美少女との接点を深める意味でも瑞希の提案に乗るべきではという欲が沸いたのは否定しないが、勇者に目を付けられるというリスクが大きすぎる。


「……そういうお前は、何たってそこまで大魔闘武祭に拘るんだよ?」

「私ですか?」


 なんてことを考えながら、ふと疑問に思う。こんな男が勘違いする(事実として景久は勘違いしまくっている)誘惑を繰り返してまで、大魔闘武祭の優勝を目指しているのか。

 能力の差、待遇の差、E組全体のやる気の無さ。乗り越えるべき壁が多すぎて、普通なら諦めようとするのが人間だ。

 瑞希が景久に何を見出したのかは分からないが、たとえ景久が戦うことを選んでも戦力差は歴然としている。事実、景久とて魔力の総量やスキルに関して月観川学園の最低水準並みなのだから。


「んー、自分語りみたいなのは好きじゃないんですが……緒方っていう苗字、他に聞いたことがありません?」

「……元世界ランキング1位、《てん射手いしゅ》、緒方総一郎おがたそういちろう?」

「私の父です。もっとも、義理なんですけど」


 魔術関連の事をネットで調べ回っている内に知った事だが、魔術戦という競技が成り立つにあたり、世界で最も優秀とされる異能保持者100人を順位付けし、ランキング制度を作り出したという。

 そんな歴代ランキング1位の一人である緒方総一郎は、超長距離魔術射撃の名手として名を馳せ、常人の魔術やスキルの効果範囲外から必中とまで謳われた狙撃能力で瞬く間に魔術戦の世界を制した傑物だが、足の怪我を理由に前線から引退し、今はランキングなどを決める国際異能連盟の幹部の一人として勤めているらしい。


「7歳くらいの頃、それ以前の記憶がない身元不明の子供だった私に、父と母は緒方という苗字を与え、養子として引き取ってくれました。ですが、異能が発現したあたりからでしょうかね……元ランキング1位の娘だというのに、大したスキルも魔術のセンスも持ってないって、父がに悪く言われるようになったのは」


 その光景は景久にも想像できた。特権意識という言葉があるように、世界的に見て少数である異能保持者たちは、自分たちは特別であるという感覚に陥りやすく、そんな自分たちよりも劣っている者たちに対しては攻撃的になりやすい。

 瑞希の時の場合、父親が持つ元世界ランキング1位という肩書も、それを冗長させていたのだろう。どこか飄々とした態度の彼女は、その時の事を思い出して遠い目をしているように見える。


「家族は私に気にするなっていつも言ってくれますけど、怪獣並みに図太い性格を自認している私でも気にしますよ。両親は優しいし、義妹は可愛いし、その分いらない悪評が余計に気になるんです。目が見えないって事までネタにして皆を悪く言われたら流石の私だって……」

「ちょい待ち。お前……目が見えてなかったのか?」

「……あぁ、噂になっているだけで言ってませんでしたね。からかい甲斐がある分、なんだか随分前からの知り合いのような気がしてましたから」


 ニヤリと、からかうような口調で平然と答える瑞希みて、景久は彼女の無機的な赤い瞳には何も映っていないことに気付く。

 彼女にとって盲目であることは、【探索】というスキルを偶然発現したこともあって、既に負い目には感じていないのだろう。

 それでも盲目をネタにされて怒るのは、その悪意の向き先が自分ではなく家族に向いているからだ。話を聞く限り、能力や他人の目など気にしない温かみのある家庭……きっとスキルが発現する前後も瑞希を守ってくれていたに違いない。


「だから見返してやろうって思ったんです。恩もあるけど、何より自分の為に、魔術が下手で弱い弱いって言われるスキルを持ってても成り上がれるってことを証明するために」

「そりゃ……随分親孝行な話だな」

「自分でもありふれてる理由だと思いますけどねー」

「まったくだ」


 表面には出さないが、景久の胸中は暗鬱とした想いが立ち込めていく。瑞希が得たものは、平行世界から来た景久や、元々この世界に居た景久が一度失い、終ぞ取り戻すことの出来なかったものだ。


「でも動機を得るのはもっと早かったんですよ? 弱いスキルしか発現しなかったら、その時こそ魔術戦の世界で成り上がってやろうと思ってましたし」

「はぁ!? さっきまでの話何だったの!?」

「あれは面接とかでも使える後から出来た動機です。いくらなんでも、自分の欲求くらい無いとこんな無謀な事には挑めませんよ」


 ケラケラと笑いながら、片手をヒラヒラ上下させる瑞希。なんだか騙された感があるように感じるのは、彼女の悪戯好きな子供に似た笑みのせいであって、他意は無いのだと思いたい。


「さっきも言ったとおり、7歳以前の記憶がない私ですけど、一つだけ覚えている言葉があるんです」

「言葉?」

「はい。顔も名前も思い出せない、思い出と呼ぶには儚すぎる記憶の中の人が言った言葉。確かめる術すらありませんが、その人は確かにこう言ったんです。…………『やられっぱなしで終わるな。抗って生きろ』って」


 風が舞って桜が散る。気が付いたら、景久は瞠目しながら瑞希を見つめていた。


「そんな必死な声だけは、やけに印象的で、どうしても忘れられないんですよ。それが今の世の中に対する叫びみたいに思えて」

「お前……」


 信じられない。そんな目をした景久の視線に耐え切れなくなったのか、瑞希は少しだけ顔を赤く染めながら弁明するように捲し立てる。


「な、なーんて! これはほんの些細な動機みたいなものですから! E組としては、強いスキルだけでチヤホヤされるA組が気に入らないってだけの話です! あ、私そろそろ用事があるのでこの辺で失礼しますね!」


 自分語りが過ぎて、流石に恥ずかしくなった瑞希はその場から駆け出す。その背中を、景久は何時までも見つめるのであった。




 その日の夜。景久は寮の自室で寝転がり、インターネットを見ながら昼間の事を思い返していた。

 実際問題、異世界で苦労して勇者を倒し、異世界から持ち帰った魔道具で好き勝手に過ごそうとしていたら、平行世界に行きついた挙句にそこは魔術が浸透した世界だった為に、当初の目的が果たせずに差別待遇に甘んじるしかない元魔王。

 これで一輝が居なければ目立つように動いてもよかったかもしれないが、現実問題として居る以上、異世界でボコボコにした恨みを晴らしに来る可能性はどうしても捨てきれない。一輝も日本の異能養成学園に通っているというし、大魔闘武祭で優勝を狙うならいずれぶつかる敵だ。


「……いや、それは今は置いておこう。勇原を理由に逃げに走る考えは一旦ポイだ、ポイッ!」


 それはあくまで最終手段。このまま憎き勇者がチヤホヤされる世界を生きなければならないという未来を仮定する。


「…………やばい、超ムカつく」


 9割以上妬みが入っているんじゃないかという憤怒の形相を浮かべる景久。異世界や元居た方の地球と同じく、美少女ばかり侍らせて漫画やライトノベル並みのハーレム状態など、神が許しても魔王が許さない。

 それに加え、E組所属のままで何の実績も無ければ、進路は軍の雑用(安月給)でほぼ決まりになるというのは、結構有名だ。異能保持者が軍事力として数えられるのだから仕方ない話だが、月観川学園をE組として卒業した生徒は今、そういう職に就いているらしい

 それは流石に勘弁願いたい。元々地球に戻ってきたのだって、地球特有の豊かで平穏かつ、魔道具で楽な生活を送りたいからだ。何が悲しくてハードスケジュールな仕事に就かなければならないのか。

 もはやそんな願望を叶えようと思ったら、この世界最大の競技である魔術戦で活躍するほかない。それこそ、優勝という肩書を得て、勇者すら寄せ付けない勢力を従えて。


「でもどうすっかなぁ」


 しかし一番の問題として、今の景久には勇者と戦うどころか、選抜戦や争奪戦を勝ち抜くのに必要不可欠な味方が居ないのも事実だ。

 正直に答えれば、女にばかり受けの良い一輝の顔面が変形するまで殴りたい。しかしその為には手持ちの手札が圧倒的に足りなさすぎる。


「手札手札……1年E組でも勇者をボコれるだけの手札……ん?」


 どうすればいいのかと、当てもなくネットの海を漂っていると、景久はあることに気が付いた。

 

「……え? えぇ!? ちょ、ちょいちょいちょい!? ……嘘だろ!?」


 血相を変えてスマートフォンの画面をタップしまくる。そんな景久の脳裏には瑞希との会話、街の様子、授業内容が次々と浮かんでいく。

 

(……俺、魔術が浸透した世界だからそういうもんだって思いこんでた。でも違う……最初に結論付けたじゃん! 勇者〝が〟慣れしたんだ魔術を持ち込んで好き勝手したかったんだろうって!) 


 後に景久は、この事をもっと早く気づければよかったと後悔することとなる。しかし異世界の魔術文明に1年以上触れ続けたがゆえに気づけなかった。

 それほどまでにこの世界は歪であり――――


「…………これ、俺が好き勝手出来るかも」


 景久にとって、成り上がるための絶好の舞台でもあった。

 

「そうと決まれば善は急げだ!」


 景久は急いで部屋を飛び出す。


「緒方。俺だけど、居るか?」


 向かった先はE組寮の1年生棟2階。女子エリアと呼ばれるその場所で、景久は目当ての人物の寮室の扉をノックすると、就寝前なのか、初めて会話時と同じくパジャマ姿の瑞希が出てきた。


「間宮君? どうしたんですか、こんな夜中に。あ、さては夜這いですね? もう、思ったよりも大胆な事を――――」

「緒方!」

「ひゃいぃっ!?」


 もはや平常運転と景久から認識された、扇情的な冗談を口にしようとした瑞希の肩に力強く両手を置き、真剣な表情を浮かべながら赤い瞳をのぞき込む。


「ま……間宮、君……?」


 いつもは女を武器に少しだけからかえば、顔を真っ赤にしながら狼狽えたり、安っぽい誘惑に引っかかりそうになったりする、実に弄り甲斐のあるクラスメイトが、〝男〟の表情を浮かべている。

 先ほど冗談で夜這いに来たのかと言いかけたが、まさか本当にからかいが過ぎて本当に夜這いに来たのではなかろうか? 徐々に赤みが増す顔を自覚しながら、普段とうって変わって内心で動揺し始める。


「あ、あのですね? 昼間も言ったと思いますけど、私はそんなに軽い女ってわけじゃないんです。何時ものあれはちょっとした冗談みたいなもので――――」「喜べ、この間宮景久大明神様が、直々に大魔闘武祭に参加してやろうじゃないか!」

「…………え?」

「…………ん?」


 思っていたのと違う言葉が飛び出し、思わず呆気を取られる瑞希と、その反応を意外に思ったのか、首を傾げる景久。

 しばらくの沈黙。やがて景久の言葉の意味を理解した瑞希は、コホンと気を取り直すような咳払いをし、赤く染まった顔をより赤くして肩に置かれた手に触れた。


「……とりあえず、離してもらえません? もしかして、このまま私を部屋に押し込んで押し倒すつもりなんですか? いやぁ、間宮君は思ったより大胆ですねぇ」

「ふぁっ!? ち、ちち違うし!? 俺はもうちょっと真面目な話をだなぁ――――」

「冗談ですよ。本気にしないでください。もう、これだから童貞は」

「はぁあああっ!? どんな俺が証拠で童貞だよっ!?」

「日本語、可笑しいことになってますけど?」


 いつもの悪戯好きな顔を浮かべ、瑞希は心を落ち着かせることに成功する。その引き換えとして、少年の隠したいが隠せていない秘密が露呈したが。


「でもいきなりどうしたんですか? 昼間ではあんなに反対していたのに」

「いやぁ、あの後色々考えてな。ここはいっちょ、俺も成り上がるために大魔闘武祭優勝を狙ってみようかと」

「???」


 訝し気な表情を浮かべつつも、とりあえず味方が増えたことを素直に喜ぶことにした瑞希。そんな彼女に悟られぬよう、景久は心の中では欲望渦巻く邪悪な笑みを浮かべていた。


(ぐへへへ……いける、いけるぞ。長年費やす計画になるかもだけど、ウハウハ生活計画が復活してきやがった!)


 異世界の時と同じく、勇者を降して誰にも憚ることのない豊かな生活を手に入れる。その勝算が見えた以上、か細い可能性であっても手を伸ばす。それが異世界で学んだ景久の生き方である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る