林檎屋と少女

 舞台観劇の余韻を纏い駅へと向かう。

 友達と観劇する時は話しながら歩くから大丈夫だけど、1人だと作品の余韻から抜け出せない。

 同じタイミングで劇場から駅へと動く流れに身を任せ…。

 初めての劇場、初めての土地を歩く。

 半分程歩いた頃に、甘い林檎の香りに気が付いた。

 お腹も空いた頃だったので、人の流れから逸れて香りのする方へ進む事にした。


 まるで、夢の中で歩くみたいに身体が勝手に動いていた。

 気がつくと木目調の扉を開けようとしていた。

 外からは店内が見えないのに、看板も無い建物のドアを開けようとしている事を、この時は疑問にも思わなかった。

 軋む音と共にドアを開けると、木漏れ日の差し込む喫茶店だった。


「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」

 胸まである黒髪を赤いリボンで結った男性が声をかけてきた。

 店員さんなんだろうか?

 店内を見渡すと、レジも無ければメニュー表も見当たらない。

「…お客様?」

「あ、ごめんなさい。1人です」

「それでは、カウンター席へどうぞ」


 案内されたカウンターは4席だけで、お客さんは誰も居ない。

 私は壁際の席に腰を下ろした。

 舞台観劇の時はいつも小さなショルダーバッグだけなので、荷物カゴは使わずにすんだ。


「あの、このお店は林檎を使ったメニューがあるんですか?」

「はい。…というか、この店は林檎を使用したメニューしかないんですよ」

「そうなんですね……」


 お腹空いてたけど、林檎って事は主食系はないだろうなぁ。

 でも、糖分は摂取しておきたかったから助かったかも。


「メニュー表はないので、食べたいものを仰って下さればお作りしますよ」

「そしたら……ホットアップルティーと、アップルパイを下さい」

「分かりました。少々お待ちくださいね」


 林檎系のメニューしかないと言ってたから、つい「ホットアップルティー」を注文しちゃったけど、流石に飲み物は普通の紅茶もあったのかな。

 店内BGMが無い喫茶店というのも、平成いまの時代に珍しい気もする。

 音楽は流れていなくても、店員さんが紅茶を準備する音がとても心地よい。

 私は、紅茶の待ち時間で数十分前に観劇してきた舞台の余韻に浸ることにした。

 瞼を閉じると、先程までの居た劇場くうかんで感じ取った、呼吸音・衣服の擦れる音・乱れる髪・流れる涙……それからそう、林檎の香り。

 ……林檎の香り?


「あら、ようやくお目覚めね?」

「ふふ。俺の作ったアップルパイは少しくらい冷めても美味しいから問題ないよ」


 時代劇の舞台で、林檎なんて出てこなかったはずなのに…?

 と思って瞼を開けると、いつの間にか目の前には注文していた料理が置かれていた。

 そして…さっきまで私と店主しか居なかったはずなのに、聴こえた私以外の女性の声に横を向くと、髪の長い女性が紅茶を味わっていた。


「ごめんなさい…私、あの…」

「この人の事は気にしなくて大丈夫ですよ」

「『この人』じゃなくて、私の名前は愛華あいかよ。あと、そっちの店主は虹輝こうきっていうの。彼女が気にしているのは、私の事じゃなくて貴方の料理を冷ましてしまった事に対してよ」

「あれ?そうだったんですか…??」


 人肌まで冷めてしまった紅茶は、猫舌な私にとってはとても飲みやすい温度だったので丁度良かったかもしれない。


「貴女、今日は映画を観に行っていたの?」

「え…?」

「それ、チケット入れでしょう?」


 カウンターの上に置いていた桜柄のチケットケースを見たのか、女性に質問された。

 でも、映画のチケットはスマホの電子チケットが主流なのに…なんでそんな風に聞くんだろう?


「これは、舞台のチケットが入ってるんです。家に帰ったらファイルに入れて保管するために」

「舞台観劇…そうなの…ね」

「…。へぇ…それは奇遇じゃないか。この人は女優さんなんだよ」

「えっ…そうなんですか?」

「まったく此処の店主は………ほんとにばかね」

「あ、あの…でもダメですよ。きっとこの女優さんかたは今プライベートの時間を過ごしていらっしゃると思うので、許可なくそういう事を話すのは…」


「あはははは…貴女本当に面白い子ね!」

 大きく口を開けて愛華さんは笑った。

「こんな、今日初めて出会った見ず知らずの自称女優相手にそんな事言ってくれるの?」

「私は、自分に無いモノを持っていて表現する事ができる方々の事をただ尊敬しているだけですよ。その気持ちに、知名度なんて関係ありません」

「でも、残念だったね…えっと、」

「あ…私の名前は姫野愛子ひめのあいこです」

「愛子ちゃんか…可愛い名前だね」

「あらいやね…可愛いのは名前だけじゃなくってよ」

「あの…それで、さっきの『残念』ってどういう意味ですか?」

「あぁ…それはね、彼女の舞台は望む人ほど観れないっていう特徴があってね」

「チケットが取れないとかではなくて…ですか?」

「そうそう。ケチだよね」

「本当に嫌味ったらしいわね…。ちゃんと理由があるのよ…護りたいモノが私にもあるからね」

 カップの中に視線を落としながら、少し苦しそうに愛華さんは語った。


「いつか、愛子ちゃんも観れるといいね」

「虹輝さんは観たことが…」

「無いわ。この人にだけは私の舞台は絶対に観せない」

「棘のある言い方だなぁ…。僕はただこの店から出られないってだけだよ」


 今日観に行った舞台の登場人物達よりも色濃い人達と、美味しい紅茶とお菓子…なんだか不思議な時間だった。

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