大千穐楽

 水面へと向かう途中、崖下に居た1人の女性と視線が合った。

 耳を撫でる風の奥で、女性の声が聴こえた気がした。

 私を助けようと思ったのか手を差し出してくれたけれど、私の手には大切なチケットが握られているから彼女の手を取る事が出来なかった。

 その代わりと言ってはなんだけど、笑ってあげた。

「行ってきます」

 だって、なにも心配するような事は無いんだから。



 半券のおかげか、どうやら無事に目的の劇場には辿り着いたみたいだった。

 海の底の劇場で、私は1人の人生に触れる。

 人生で初めてノイズの無い舞台を観れているかもしれない。

 どういう仕組みになっているのかわからないけれど、愛華さん以外の登場人物はプロジェクションマッピングみたいになっている。

 でも、ちゃんと愛華さんに触れているし立体的なのに…でも、人間じゃないって事だけはわかる。


 演目の内容は、男女の恋愛についてだった。

 愛華さんが演じる恭子きょうこは、幼い頃に交わした約束を守り初恋が実るまで待っていた。

 けれど、幼馴染みの康太こうたは親に決められた相手との縁談を進めていた。

 ある日友人経由で康太の結婚を知った恭子は、想い人を取り返す為に教会に火を放つのだった。


 最期、舞い踊る火花の中で涙を流す花嫁の姿がそこにあった。

 いつか、愛華さんは言っていた。

「私は、そう遠くない未来に板の上で死ぬのよ」

 それが今なんだと何故か悟った。

 きっと愛華さんは、物語恭子と共に命を絶とうとしているのだろう。

 でも、そんな事を傍観者が許すはずが無い。

 この花嫁はせっかく愛しい人と一緒になれたのだから。

 傍観者は、物語の邪魔をしてはいけない。

 不可侵領域へは立ち入ってはいけないのだから。

 演者に招き入れられる以外はね。

 何故なら歴史が変わってしまうから。

 私は板の上に上がり、花嫁から愛華さんを引き剥がし抱きしめた。

「貴女はこっちでしょう?」


『御来場ありがとうございました。どなたも帰り道にはお気を付け下さい』


 劇場のアナウンスは絶対。

 退場の指示が聞こえたならば、それに従わなければならない。

 反応の無い愛華さんの手を繋ぎ、劇場の外へと向かう。


「ねぇ、普段はこんな事聞かないんだけど…」

「……なんですか?」

「私の初舞台だったの…どうだった?」

「えっ?……あぁ、ふふ」


 この人は自分が『憑依型のその先』に行こうとしていた事に気が付いていないのね。


「愛華さんは可笑しな事を言いますね。見えなかったんですか?スタンディングオベーションだったんですよ」


 憑依も共存もさせない状態で演者に客席を見られるのはあまり好きではないけれど、『その先』へ行かれてしまうのは…それはそれで困っちゃうのかもしれない。


 パチパチ…バキン


 背後から聴こえた音に、足を止めて振り返る。

 火の粉が舞い、焼かれ舞台セットチャペルが音を立てて崩れていく。

 壁面が崩れた風圧で熱風に煽られ、私は愛華さんへと告げる。


「愛華さん。もしも貴女が此処へ残るというのなら、魔女狩りかのじょ達が黙ってはいないでしょう」



 私は遠い昔に読んだ本で、人間達のエゴで傷つけられた桜の木を知っている。

 愛華さんが板の上で死にたいと願うのをエゴだと言うのなら、本来居るべき世界へと連れ戻そうとする私は極悪人かもしれない。

 桜の木を護ろうとした春の精みたいにね。


 私はまだ見ぬ物語がきっとこの海深い底にあると確信し、時間が許す限り進んでいく。

 退場を促すアナウンスが流れるその時までは……。


 劇場の扉を通り抜ける時、背中を優しく押され私の意識は薄れていった。


「約束は必ず守るから安心なさい。お嬢の望む世界に行けるよう願っているわ」


 そうだった。

 彼女は劇場の魔女なんだって…虹輝さんが言っていたっけ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る