第五話 見間違い? それとも……


 次にユアが目を覚ました時に感じたのは、随分強くなった雨足が窓を叩く音。それから凄まじい頭痛と信じられない程の寒気だった。


「さささ、さむい! 急に冬が来ました!」

「ふふっ、まだ夏よ。ユアちゃん、起きたのね?」

「あれ……カルラ、さん? どうして、ここに」

「にゃー! シナモンも居るのにゃー!!」


 冷たい濡れタオルを額に優しく押し当ててくれるカルラと、心配そうに見つめてくるシナモン。あれ、おかしいな。ここはどう見ても自分の部屋なのに。シナモンはまだしも、どうしてカルラがここに。

 それに、このあからさまな体調不良は?


「あ、あの……私、どうして」

「ああ、だめよユアちゃん。まだ寝ていなくちゃ」

「ユア、お店で倒れたの……覚えてないのにゃ?」


 咄嗟に置き上がろうとするも、カルラにやんわりと止められてしまう。というか、どうしてベッドで寝ていたのだろう。

 いつの間にかパジャマに着替えてるし。二人が着替えさせてくれたのかな?


「でも、あの……お店は?」

「それは大丈夫なのにゃん! アキマルとハルトがしっかりやってるのにゃ!」

「でも、こんなお天気だからお客さんは少ないみたい。うちも今日はお店を開けようか迷ってたんだけど、アキマルくんにユアちゃんが倒れたからバイトをお休みしたいって言われたから。わたしとウーヴェも今日はお店をお休みにして、様子を見に来たの」

「え、ウーヴェさんも居らっしゃってるんですか?」

「そうにゃ! 美味しい卵雑炊作ってやるって張り切ってたにゃん! うにゃーん、良い匂いするにゃーん」


 鼻をクンクンと鳴らしながら、シナモンが幸せそうに笑う。ああ、何だか大事になってしまった。


「ごめんなさい、私のせいでご迷惑を」

「気にしないで。困った時はお互い様、でしょ? 今はとにかく、しっかり食べてゆっくり休んで。ユアちゃんが元気じゃないと、薬局に来るお客さんも不安になっちゃうから」

「……はい、ありがとうございます」

「どういたしまして。それじゃあ、わたしはちょっとウーヴェの様子を見てくるわね? シナモンちゃん、ユアちゃんのことをお願い」

「はーいにゃ!」


 静かに立ち上がって、部屋を出て行くカルラにお礼を言って。そうか、連日の忙しさや睡眠不足などの不摂生が祟ってしまったのか。まさか、このタイミングで風邪だなんて。

 うう、我ながらなんて情けない。


「ユア、大丈夫かにゃ? ご飯食べたら、ちゃんとお薬飲むにゃよ」

「はい、わかりました」

「にゃふふ。にゃんだか、いつもと立場が逆で新鮮だにゃ?」

「ふふっ、そうですね」


 確かに新鮮だ。ユアは薬師としてずっと誰かのことを気遣って、思いやって、心配していたけれど。こんな風に、誰かに心配をかけて看病までされたのは久し振りだ。それも、キルシ以外の人に。

 たくさんの人に迷惑をかけて、世話をかけてしまって。とても申し訳なく思う反面、とてつもない安心感も感じていて。なぜだろう、とても不思議だ。お店のこととか、借金のこととか、色々と不安なことは山積みなのに。


 不意に、本当に何の前触れもなく。


 ――ユアは、自分はもう大丈夫だと確信出来た。


「ユア、お水飲むかにゃ? アキマルに、こまめに水分補給させるように言われてるのにゃん」

「そうなんですか? それじゃあ、頂きます」


 シナモンが水差しからコップへと水を注ぐ。ユアはゆっくりと上体を起こして、コップを受け取った。ちょっとだけフラフラするが、そんなに酷い風邪ではなさそうだ。

 こくこくと、少しずつ水を口に含んで飲む。


「それにしても、雨……凄いですね」

「これからまだまだひどくなるらしいにゃ」

「そうなんですか……あ、あれ?」


 ざあざあという雨音と、雨粒で洗い流されてしまいそうな窓の景色を見ていたその時だった。信じられないものが見えた気がして、思わずコップを窓際に置いて窓を開けた。

 ぴしゃ、ぴしゃと冷たく大粒の水滴が顔を打つ。見えた、確かにこの目で見てしまった。


「にゃにゃ!? ユア、何してるのにゃ! 濡れちゃうのにゃー!」

「シナモンさん! あ、あそこを見てください! あの人って、もしかして」


 突然のユアの奇行に、シナモンが飛びつくようにユアのベッドに乗る。そんな彼女に、ユアは窓の外を指差した。こんなところに、それも嵐の中に居るような人物では絶対にない。

 でも、確かに見えた。大雨の中でも、少しも色褪せない程に――


「……誰も居ないのにゃ」

「へ? あ、あれ……」


 隣に並んだシナモンが、不満げに首を傾げる。一瞬だった。そして、彼女が言う通りだ。そこには、誰も居なかった。

 見間違い……? でも、あれは間違いなく。


「にゃうー……? よくわかんにゃいけど、きっと幻にゃ。何かと見間違ったのにゃ」

「そ、そうですよね」

「ほらほら。雨が入ってくるから、窓閉めるにゃよ」


 カラカラと、シナモンが窓を閉める。そして半ば強引に布団にくるめられると、ベッドに寝かしつけられてしまう。


「今日のユアの仕事はたくさん食べて、しっかり薬を飲んで、たっぷり寝ることにゃん! シナモンが見張ってるんだから、それ以外のことはしちゃ駄目にゃ!」

「……ふふ、わかりました」


 得意げにぴこぴこと動く三角耳に、くすくすと笑って。思いがけずに与えられた穏やかな時間に、ユアは素直に大人しくしていることに決めた。

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