第四話 人は、きっと誰かに支えられて立てている


「それでは、先に休ませて貰いますね」

「はい。お休みなさい、アキマルさん」

「お休みなさい。ユアさんも、今日は早めに休んでくださいね」


 そう言って、明丸が部屋へと向かった。ユアもリビングの明かりを消して、戸締りを確認してから自室へと戻る。

 いつもと同じ、自分の部屋。見慣れた景色に、夕方からずっと張り詰めていた緊張感がやっと緩んだように感じた。


「ふう。今日は大変な一日でした」


 お風呂で火照った頬を団扇で扇ぎながら、ユアはベッドへと腰を下ろす。結局今日はジョナンが姿を現したことですっかり気が滅入ってしまい。早めに店を閉めてしまった為、その後の時間はいつも以上に余裕があった。

 明日の分の薬は用意した。明丸が言うように、たまには早めに休もうかな。手元にあった本をパラパラと捲りながら、久し振りに持てた自分の時間をのんびりと過ごしていた。

 でも、頭の中にあるのは帰り際に見せたアレクの表情だけ。ジョナンの言葉に傷ついて、涙を必死に堪えるしかなかった少年の姿が何度も繰り返される。


「……どうしましょう、一体どうすれば」


 ユアは薬師としての性か、それとも元来の性格のせいか。昔から、他人の表情や感情に敏感だった。だからアレクが病気のせいで、今までどれだけ辛い思いをしてきたのかどうしても考えてしまう。

 ジョナンの言葉も、あながち嘘ではないのだろう。きっと家族も、友人も魔人ゆえの美しい者ばかり。心無い言葉を吐かれ続けたか、蔑ろにされなければあんな顔は出来ない。

 それに、明丸も。彼はきっと、アレクに弟の姿を重ねている。温厚で少し気弱な彼が、ジョナンに拳を向けようとしたのだ。

 大切だった人。守れなかった、大好きな人。そんな存在を失った悲しみは、ユアにもよくわかる。


「お父さん……」


 たった一人だけだった、ユアの家族。誰よりも仕事に打ち込んで、街の人のことを思い続けた自慢の父親。大好きだった。だから、彼が息を引き取って、街の皆の手で火葬されてお墓の中に入れられて。写真と記憶だけの存在になってしまった父親への喪失感で、しばらくは仕事どころか食事すらもまともにとれなかった。

 ここまで立ち直ったように見えるのも、正直なところはキルシに縋りついているだけに過ぎない。キルシのようになりたい。だから薬を作り続けて、彼との約束を守り続けた。ただ、それだけ。そうしていると、キルシが近くで見守ってくれているような気がするから。


 ……そうやって、ユアは今まで何とか立っていられた。そして、いつの間にか明丸にハルト、シナモン。街の皆がユアを支えてくれていた。自分はとても恵まれている。


 でも、アレクは?


「……よし」


 決めた。ユアはベッドから立って、机の前に座った。そして、これまで積み重ねてきた資料やメモを片っ端から引っ張り出して目の前に並べる。

 キルシのレシピの中には、アレクの病を治せる薬は無い。彼と出会ってから、明丸と共に何度も調べたけれど。アトピーに効く薬は無かった。それに、明丸も言っていた。アトピーは体質が大きく関与している病気である為に、治すのが難しいと。


 でも、それでも。ユアは一度大きく深呼吸をすると、薬草の資料を開いて片っ端から読み込み始めた。求める答えを見つけ出す為に。



 そんな無理が、祟ってしまったのだろう。


「おはようさん、二人とも」

「ユア、アキマル。オハヨーなのにゃ! 今日はひやかしに来たにゃん、にょほほ」

「おはよう。どうせ来たなら掃除なり何なり手伝ってくれない?」


 翌日。開店時間よりも前に、ハルトとシナモンが遊びにやって来た。いつも武器や防具を身に着けている二人だが、今日は珍しく軽装だった。


「えー? どうしようかにゃーん? 今日はー、シナモン達オフだしにゃー」

「はは、もちろん手伝うぜ。本当なら、また薬草採取にでも行こうと思ってたんだが、この天気だしな。暇だし、出来ることがあれば何でも言ってくれ。っていうか、言い出しっぺもシナモンだし」

「にゃー! ネタばらししちゃダメにゃんハルトのバカ!! せっかくシナモンが合法的にお菓子をゲット出来る機会だったのにぃ」


 むきー! と悔しがるシナモン。窓の外は朝だというのに薄暗く、どんよりとした空模様だった。街の占い師によると、夕方から明日にかけて大きな嵐になるらしい。

 今はまだ雨が降っているだけだが、これから強くなるであろう風に今日明日は港から船を出すことも禁止となったようだ。

 そういう状況の為、ハルト達も今日は大人しく過ごすことにしたようで。


「っていうか、こんな日に薬を買いに来るヤツなんて居るのか? 他の店は、結構休みになってるところ多かったぜ?」

「でも……天気の悪い日は、体調を崩す人が……多いので。それに、アレクさんが昨日の忘れ物を取りに来てくれるかもしれませんし」

「……ユア、大丈夫かにゃ? なんか、顔が赤いにゃ」


 レジの中身を整理するユアに、シナモンが心配そうに首を傾げた。ううむ、そんなに目立つのだろうか。


「お、おう。確かに、大丈夫か? なんか、元気ないっていうか。そういう次元じゃないっていうか」

「あの、ユアさん。店番くらいなら俺でも出来ますから、やっぱり今日は休んでください。朝ごはんもほとんど食べられなかったじゃないですか」

「だいじょーぶれすよー。わらしはー、げんき……れすよー」

「いや、呂律が完全に追い付いてにゃいのにゃ」


 不思議だ。三人が同じ顔でユアを見ている。確かに、今日は不思議と食欲が湧かなくて、朝は水しか飲んでいないけれど。

 大丈夫。私は元気だから、休んでなんかいられない。


「おかね……稼がないと……それに、わた……し……アレクさんに……言いたい、こと……が」


 休んでいる暇は無いのに。視界が、揺らぐ。


「ユアさん!?」


 明丸の焦ったような声。何故だか、彼の顔が近い。どうしたんだろう? ハルトとシナモンも血相を変えて駆け寄ってきたのを見て、ユアはようやく自分が倒れかけたのを彼が助けてくれたのだと知った。

 うーん。ひょろっとした細い体格なのに、男の人の腕ってなんでこんなに逞しく感じるのだろう。


「ふしぎですねー、あひゃひゃひゃ」

「ユアさん!? どういう笑い方してるんですか!」

「お、おいスゲェ熱だぞ!」

「大変にゃー! ユアが死んじゃうにゃー!!」


 ぐるぐる回る視界の中で、三人が大慌てで騒いでいる。ああ、何だか凄く眠い。やっぱり、頑張りすぎて徹夜をしてしまったのが裏目に出たか。

 仕方がない、少しだけ眠らせて貰おう。自分の状況が理解出来ないユアは、目蓋の重さに勝てず、そのまま妙に心地良い睡魔に身を委ねることにした。


 

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