第三話 転生先はとても大きくて賑やかな港町のようです
不意に、どこかで牛が鳴いた。
「うひっ!」
「うひ?」
「いいいい、今のは! 今のは、その……お、お腹が空いちゃって。お昼、食べてなくて」
なぜだか、ユアが顔を真っ赤にしてお腹を押さえている。あー、なるほど。そういうことか。ごめんね牛とか思っちゃって。
壁の時計を見ると、針は二時を少し過ぎたところを指し示している。時間の概念は今までと同じだと考えても良いようだ。
「そ、そうですね。俺も、朝は食欲が無くて食べてなかったので」
「それなら、お散歩ついでに外で食べませんか? 今日はお天気も良いですし、気分転換になると思いますよ。この辺りも簡単にですが、ご案内しますね」
ユアの申し出は正直ありがたい。全く見知らぬ場所に放り出されたのだ、何も知らないままここで生きていくだなんて無理だ。それに、この世界で使えるお金も無い。
ていうか、どうやら死んだ時に身に着けていた衣服とブレスレット以外は異世界に持って来られなかったらしい。
スマホが無くなったら死ぬかと思ったが、意外とそんなことないっぽい。
「ぜひぜひ、お願いします。でも、俺……今お金持っていなくて」
「大丈夫です! 私に任せてください。さあ、行きましょう」
ユアがにこにこと笑いながら、店のドアにかかった札を『営業中』から『休憩中』に変えてそのまま外へと出る。ふと、思う。
このお店、彼女が一人で切り盛りしているようだが。ちゃんと店として成り立っているのだろうか。
「アキマルさん、こちらがお魚屋さんです。『エステレラ』は港町で、界境沿いに位置しているので美味しいお魚が多いんですよ。隣が八百屋さんで、向こうがお肉屋さんです。八百屋さんには薬草も売っているんですよ」
騒がしい通りを並んで歩きながら、ユアが宣言通りに丁寧に街を案内してくれた。知らない世界でありながら、どことなく見覚えがある景色に明丸は目と顔を動かすのに忙しい。
ここは港町、エステレラ。カラフルな街並みに、綺麗な石畳の道。漁業が盛んであると同時に、酪農や農業、工業も発展しておりこの辺りでは一番人口も多く規模が大きい街なのだそう。ううむ、土地勘が付くのは当分後になりそうだ。
……それにしても。
「お、ユアちゃん。今日も頑張ってるか?」
「アレオンさん、こんにちは。はい、頑張っていますよ!」
「ユアちゃーん。元気かーい?」
「ルロンさーん、元気ですよー!」
「お、ユアちゃん。隣の彼はお友達かい? それともカレシかな?」
「ふひ!? ち、違いますよぉ! 彼氏だなんて! そんな人、居ませんよぉ!!」
ユアの姿を見るなり、声を掛けてくる街の人達。どうやら相当慕われているらしい。特に、おじさんウケが良いらしい。あっという間に囲われてしまった。
ついでに、ユアに彼氏は居ないらしい。なるほど。ん? なるほど?
「皆さん。体調が悪くなったり、怪我をした時はいつでもお店に来てくださいね。お薬、たくさん作っていますから!」
満開の花のような笑み。ああ、この人マジで天使だ。やっぱり、どこかの誰かとは違う。無意識に天を仰いでいると、何やら彼女を取り巻く雰囲気が変わったことに気が付いた。
今までユアをちやほやしていた人達が、一瞬で顔を引きつらせる。
「え、あー……わ、わかってるって」
「お、おう。その時は、頼りにさせてもらうよ」
「じゃ、じゃあなユアちゃん。オジサン、仕事に戻るわ」
まるで蜘蛛の子を散らすように、ユアから離れる人々。何なんだ、一体。不自然な光景にアキマルが首を傾げると、ユアがこちらを振り向いて笑った。
今までとは違う、どこか寂しそうな顔で。
「……次、行きましょうか」
「は、はい」
何だろう、今の。止めていた足で再び歩き出すユアに、明丸は慌てて後を追った。どうしよう、ちょっと気まずくなってしまった。
でも、今のが何なのかを聞くのはちょっと抵抗がある。何か、適当な話題は無いだろうか。
「あ、な……なんか、この辺り良い匂いがしますね」
「ええ、この辺りは食べ物屋さんが多いので。アキマルさんは、何か食べたいものはありますか?」
ふんわりと漂ってくる香りに、再びユアの表情が明るくなる。ほっと安堵しながら自分の気分を考えていると、またもや誰かが彼女の名前を呼んだ。
「あら、ユアちゃんじゃない」
「おーい、ユアー。今頃休憩かー?」
「あ、カルラさん。ウーヴェさんも、こんにちはー!」
またもや知り合いだったらしく、ユアが右手を大きく振った。見ると、明丸より一回り程年上の男女が店の軒先からにこやかに手を振っていた。
男は恰幅が良く、白い肌に赤みの強い金髪。女の方は平均的な体格で、明るい表情にそばかすが少しだけ目立つ。セミロングの茶髪にヘアバンドをしている。
二人ともお揃いの黒いエプロンを着ている。オープンテラスに、心地良いハーブティーの香り。どうやらここはレストランのようだ。
「アキマルさん。こちらはカルラ・ルッテさんとウーヴェ・ルッテさんです。ご夫婦でレストランを経営していらっしゃるんですよ」
「あら、見ない顔ね。わたしはカルラ、よろしくね」
「おれはウーヴェだ。この『エルの庭』の店主兼シェフだ」
「あ、アキマルです。よろしくお願いします」
小さく手を振るカルラに、ふふんと胸を張るウーヴェ。なるほど、夫婦で店を経営しているのか。
「なんだ、ユア。彼氏とデート中だったか?」
「でっ、デート!?」
「ちちち、違います! もう、何で皆さん同じ勘違いをなさるんですかぁ!?」
「なーんだ、ちげぇのかよ。いやぁ、ユアはもう二十五だろ? 浮いた話の一つや二つ、聞きてぇじゃねぇか」
ウーヴェのからかいに、ユアが顔を真っ赤にして俯いた。全く、何で他人って人の色恋沙汰がそんなに気になるのだろう。
それにしても、ユアさんは二十五歳なのか。
「ねえ、二人とも。今、時間ある? 最近、夏に向けて新メニューをいくつか考えているところなの。良かったら、試していかない?」
「え、良いんですか! 実は、お昼まだなんです」
「おう、それなら丁度良いや。食ってけ食ってけ」
「さ、座って。すぐに持ってくるわね」
二人は半ば強引にテラス席に座らされて。ルッテ夫婦が店の中に戻るのを見守っていると、さわさわと気持ちの良い風が吹き込んだ。
柔らかく靡くユアの髪に、思わず見惚れてしまう。
「……綺麗、です」
「ええ。この街はとても綺麗ですよね。それに、いつも気持ちの良い風が吹くんですよ。今日は特に気持ちが良いです。エルの庭はとても人気があるお店で、ランチタイムは行列が出来る日もあるんですよ。新メニュー、楽しみですね!」
「え、ああ。はい」
危ない危ない。何を言っているんだ、俺は。熱くなる頬を隠すように、明丸は周りを見回す。
ランチタイムは過ぎている為か、今は客足も落ち着いているらしい。五席あるテラス席は明丸達と、初老の男性が新聞を読みながら座っている。店内も若い女性のグループが一組居るだけ。
しばらくはゆっくり出来そうだ。
「はい、お待たせ。カルキノスの魚介氷鍋と、ケルピーと夏野菜のカレー、それからジャック豆とベーコンのパスタよ」
「わあ! 美味しそうです!」
カルラが器用に運んできたメニューの数々に、あっという間にテーブルが満杯になってしまった。凄い、確かに美味しそうではある。
「け、結構量がありますね……ユアさん、二人で食べきれますか?」
「うふふ。うちの人の料理は絶品だから、心配しなくてもペロッといけちゃうわよ。それに、アキマルくんはちょっと痩せ過ぎ」
「あはは。そうですね、アキマルさんは男の人にしては細いです。もっとしっかり食べてください」
「ユアちゃんも、よ。大変なのはわかるけど、ちゃんとご飯食べないと」
「は、はひ!」
ぽんぽんと頭を撫でられて、ユアがはにかむ。ルッテ夫妻との兄弟姉妹のような関係に、明丸は微笑ましく見守っていた。
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